[Poison]

Tennessee Johnson

『剣なき闘い』

【Part 2】

映画では登場直後のAndrew Johnsonは文盲のように描かれていますが、実際にはそれほどひどくなかったようです。また、若気の至りで違法行為をしたこともあったようですが、足枷を嵌められ、しかも脱走という挙に出たかどうかは定かでありません。

しかし、テネシー州にやって来て、知り合った女性から教育を受けたことは事実のようです。映画では省略されていますが、シェリフ就任以後どんどん政治の階段を上り詰めて行くのも事実。

面白いのは、彼はずっと民主党だったのです。リンカーンは共和党ですから、政治的には対立する政党です。特に奴隷制などについては彼はリンカーンとは意見が異なりました。彼自身奴隷を使っていたこともあり、「憲法は奴隷制を認めている」とまで主張しました。

Andrew Johnsonは1860年に「私は彼(リンカーン)に投票しなかった。私は彼の政策を攻撃した。私は彼を叩きのめすために自分の金を使った。しかし、私は我が国を愛している。憲法を愛している。私はその憲法の保証を力説したい」と演説しました。彼は連邦の分離に最後まで反対し、合衆国から離脱しなかったたった一人の南部選出上院議員となりました。彼は離脱した人々を「裏切り者」と呼び、それは南部諸州の人々を怒らせました。地元テネシー州ですら暴徒が彼を襲おうとする始末。結局テネシー州も投票により合衆国を離れることになります。

Andrew Johnsonを副大統領候補にすることは、戦後の南部の扱いに苦慮したリンカーンの妥協の産物だったでしょう。一応、南部代表としてAndrew Johnsonを副大統領に据えれば、南部の体面も保たれ、南部との窓口も出来る。戦中、戦後を通じてリンカーンと合衆国を信じて来た民主党の人々と共に、Andrew Johnsonは共和党員となります。

共和党には奴隷制廃止だけでは不足であるとし、南部のプランテーションの土地を没収しそれを黒人たちに分配するという黒人への経済的助力、さらには黒人に投票権などの公民権も与えようとする急進的グループが存在しました。これは一つには黒人票を得て共和党の地盤を強固にする意図を持っていました(最近は民主党がこの政策を取っていて、逆)。彼らは合衆国に刃向かった政治家や軍人の復権を認めない方針でしたが、リンカーンが南部を罰するつもりはないことを知っていたAndrew Johnsonは、自分が大統領になってからもその路線を継承しようとしていました。

同じ共和党内から罷免訴追を受けるという稀なケースですが、下院では126対47という大差で罷免決議。上院が罷免決議に至るには上院の2/3(54議席のうち36票)必要で、無罪には19票必要でした。結果的にAndrew Johnsonは35:19という薄氷を渡るような際どさで罷免を回避します。

Andrew Johnsonは任期の終わりにあたって、南部の軍人、政治家全部に恩赦を与えて放免します。彼は民主党からの大統領指名を期待しましたが肩すかしにおわり、数年にわたって上院議員、下院議員選挙に出ますが敗退。1875年、67歳にしてついに上院議員として再当選し、大統領経験者が上院議員となった最初の人物となります。しかし、同年6月、テネシーを訪れている間に発作で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。

これが1942年に作られた映画であることは、物語と演技・演出に多大な影響を与えています。黒人の公民権運動が実った現時点では、映画の敵役である急進的共和党員たちの主張(黒人の待遇改善、公民権授与)は、実は正しいものであり、それに同意せず南部の軍人・政治家たちを無罪放免したAndrew Johnsonが、逆に公民権運動を遅らせた悪役とされても仕方がないでしょう。Andrew Johnson罷免の中心人物Thaddeus Stevensは「死んだら黒人の墓地に埋葬してくれ」と遺言し、実際にそれは実現されたそうです。いま黒人たちが映画を作ったら、このThaddeus Stevensをヒーローとして描くのではないでしょうか。

(May 10, 2003)





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