[Poison] Dear John
『親愛なるきみへ』

【Part 2】

この映画は表面からは窺えない二つの挑戦を行なっています。

1) 世界各国にまたがる場面を全部主なロケ地のサウス・キャロライナ州Charleston(チャールストン)で撮ってしまったこと。砂漠のようなアフリカのコンゴとアフガニスタン、ドイツの町並み、ハンガリーの町並みなど。私は主人公が9.11について知るハンガリーの場面が「いやにタイトな画面だな」と思っていましたが、Charlestonの古い小学校をヨーロッパ風のカフェ一に改装したのだそうで、ロングに引くわけにはいかなかったようです。DVDにはその改装の模様が記録されています。

アフガニスタンの爆撃で荒れた町並みはCharlestonのセメント工場跡地、コンゴの赤土の裸地もCharlestonの荒れ地だそうです(アメリカ南部は赤土なのでぴったり)。これらは実によく出来ていて、現地でロケしたものだとばかり思っていました。プロダクション・デザイナーKara Lindstrom(カラ・リンドストロム)の功績です。

2) 原作者Nicholas Sparks(ニコラス・スパークス)の息子の一人は、小さい時自閉症児だったそうです。それでこの映画に自閉症の子供が登場するわけです。しかし、驚くべきことに、この少年Braeden Reed(ブレエデン・リード)は俳優ではなく、本物の自閉症児なのだそうです。製作者や監督は何人もの少年俳優を集め、オーディションしました。しかし、自閉症児の言葉や表情、歩き方などは、とても演技では真似出来ないことが分り、このずぶの素人Braeden Reedが選ばれました。これは監督にとって大きな賭けでした。しかし、少年の生なアクションに対しては職業俳優たちもリアルに(芝居ではなく)反応しなければならず、これは映画にいい効果をもたらしたそうです。

他愛無いメロドラマに難癖をつけるのも大人げないとは思いますが、どうしても書かねば腹が収まらない部分があります。推測するに、原作者は"Dear John"というタイトルから物語を発想したのではないでしょうか?となると、どうしても別れ話にしなければならない。で、Amanda Seyfriedが難病に罹ったHenry Thomasの息子の世話をするために、強引にHenry Thomasと結婚させてしまった。少年の世話をするのに、何も愛してもいない男と結婚する必要はありません。Channing Tatumだってこの少年が好きなのですから、Henry Thomasが死んでしまったら養子に迎えたっていいのです。

映画の中でChanning Tatumが云うように、Amanda Seyfriedは愛するChanning Tatumに相談すべきでした。二人でいい解決策を見出すべきでした。無理に愛する男に別れを告げ、義理の結婚をするなんて馬鹿げています。21世紀の女性がする選択とは思えません。

多分それは、Amanda Seyfriedの少年への愛情が充分に描けていないせいもあるでしょう。画面上、彼女は甥に対する愛情を抱いている程度にしか見えないのです。Channing Tatumの父がコインに魅せられている程度に、Amanda Seyfriedが少年を溺愛している場面がいくつかあれば分らないではありませんが。

Amanda Seyfriedの結婚が、物語を作るための人を馬鹿にした小細工にしか見えないのが最大の欠点です。

エンディングで二人は再会し、多分縒りを戻すように見えますが、これはとって付けた感じでお座なりです。この映画のDVDには、映画には採用されなかったalternate ending(別の結末)が含まれていますが、これは遠くからChanning TatumがAmanda Seyfriedの姿を見て、微笑みながら去って行くという悲しいエンディング。これも馬鹿馬鹿しい。脚本がいけないようですね。

(August 16, 2010)





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