[Poison]

Inherit the Wind

『聖書への反逆』

【Part 2】

聖書を文字通り信じる人々がデモ隊を結成し、教師と彼を守る側を攻撃するなどということは、一般の日本人には信じられない思いですが、"Bible Belt"だからこそ起るのです。私の町は約40,000人と網走の人口程度ですが、そこに教会が200もあります。住民200人につき一つの教会がある感じです。日曜日の朝ばかりでなく、水曜日の夜の礼拝に出る人も多いようです(駐車場の車の数で分る)。日曜日も、朝に礼拝し、夜の礼拝にも行く(一日二回)という人も結構いるそうです。それだけ熱心な信者が多いので、"fundamentalism"(キリスト教原理主義)が根づく土壌はあったわけです。

映画のように被告側は敗れ$100という名目的な罰金を課されますが、実際には後に法的ミスという理由で(詳細不明)この罰金刑は覆ったそうです。しかし、「進化論」を教えてはいけないというテネシーの州法はこの裁判後42年経った1967年まで続きました。

1968年に連邦最高裁は「『進化論』を教えてはいけないとする法律は違憲である」という判決を下します。一方、宗教家たちも「創造説」という、「神が無から生命を創造した」という説を作りました。アーカンソー州は1981年に「進化論」と「創造説」を並行して教えなければならないという法律を作ります、しかし、連邦裁は「『創造説』には科学的根拠はなく、単に宗教的な説でしかない」と、この法律にも違憲判決を下します。

多くの人々(クリスチャン、イスラム教徒、正教会を奉ずるユダヤ人などを含む)は、彼等の宗教的信念と相反する「進化論」を受け入れません。彼等は「神は自分の姿に似せて人間を作った」という聖書の言葉を信じています。しかし、他の多くの人々は彼等の宗教的信念の枠組みの中で「進化論」を受け入れています。つまり、天地創造は象徴であり、文字通り生命の起源を表したものではないという解釈が一例です。

映画の最後でもSpencer Tracyが聖書と「種の起源」の二冊の本を取り上げ、重さを量るような仕草をしてから、肩をすくめて両方を抱えて法廷を去ります。これは「どちらも大事である」というメッセージで、クリスチャンにも迎合した結末でしょう。

一説には、この映画のテーマはマッカーシズム批判だそうです。マッカーシズムは1950年に共和党上院議員Joseph McCarthy(ジョゼフ・マッカーシー)が提起した「赤狩り」のことで、先ず国務省の200人余の追及に始まり、次第に映画界など各界へと広がったものです。この映画では頑迷な原理主義者をマッカーシズム支持者に譬えていることになります。脚本家もブラック・リストに乗せられた人が変名で書いたそうです。なお、この映画が公開される前に「赤狩り」は終っていました。

告発人を証人席に着かせたのは異例ですが事実だそうです。告発人は熱心なキリスト教原理主義者でしたから、聖書に関する証人としては相当自信があったのでしょう。彼が急死したのも事実ですが、法廷の中で亡くなったのではなく裁判の五日後だったたそうです。映画では、彼が雄弁家として有名だったという事実を取り込み、閉廷後に席を立つ傍聴人たちに向って闇雲に演説するという、哀れな行動の最中に倒れるようになっています。

法廷ものですが、Spencer Tracyがどう旧弊な宗教的信念を突き崩すのかという興味と、対抗する二人のプロ的手腕、裁判長の微妙な判断などが相まって厭きないで観ることが出来ます。

しかし、法廷内でマグネシウムを焚いて写真を撮ったり、報道陣が電話器に向って喋っていたり、果てはラジオの実況中継まで裁判長席の目の前で行なわれるなど、信じられないようなことが行なわれます。

(March 15, 2002)


【Part 3】

'For Reel' by Harold Schechter and David Everitt (Berkley Boulvard Books, 2000)という、事実に触発されて作られヒットした映画について解説した本を読みました。その中の、この映画に関する部分を書き抜いておきます。

「・映画では"Hillsboro"となっているこの物語の実際の舞台は、テネシー州中部のNashville(ナッシュヴィル)と東部のKnoxville(ノックスヴィル)の中間にあるDayton(デイトン)という小さな町であった。当時、この町は人口の減少と、工業的発展に悩んでいた。

・テネシー州が学校で『進化論』を教えることを禁ずる法律を制定したとき、American Civil Liberty Union(ACLU、アメリカ自由人権協会)は「われわれは、言論・学問の自由を擁護するため法廷闘争を試みる教師を援護する」という声明を発表した。ニューヨーク生まれでDaytonに住んでいたGeorge W. Rappleyea(ジョージ・W・ラップリーエイ)という男は、『聖書』と『進化論』は両立すると考えていて、テネシー州の新しい法律に憤慨していた。彼は町の進歩的有力者たちに、ACLUのテストケースとしての裁判をこの地で行なえば、町の宣伝と活性化が期待出来ると働きかけた。

・George W. Rappleyeaとその賛同者たちは、高校の生物の教師が病気療養中だったため、一般科学担当の若い高校教師John T. Scopes(スコープス、24歳)の協力を得ることにした。彼は生物など教えていなかったが、『進化論』は正しいと信じていた。彼はシャイな温和な青年で、ラディカルな性格ではなかった。

・つまり、映画のように教室で『進化論』を教えた生物の教師が逮捕され、その教師が牧師の娘と恋仲であったという筋書きは、ハリウッドが付け加えたフィクションである。

・映画では、この町の人々は聖書に逆らう者は直ちに縛り首にしそうな集団に描かれているが、事実はそうではなかった。"Monkey Trial"(モンキー裁判)と呼ばれたのにあやかって、町中には類人猿やチンパンジーを用いた看板が沢山見られたし、ある警官のオートバイには"Monkeyville Police"(お猿村警察)と書かれていたほど、お祭り騒ぎの様相を呈していた。市民たちに宗教的ヒステリー症状など全く見られず、逆に国中から注視されている重要な出来事を主催している実感を抱いていた。

・“アメリカの法律的歴史の中で最も有名なシーン”は、実は蒸し蒸しする法廷の中ではなく、裁判所前に作られた仮設舞台の上で、約3,000人の聴衆(町の人口の二倍)の前で行なわれた。弁護士Clarence Darrowは告発人William Jennings Bryanに舌鋒鋭く詰め寄り、William Jennings Bryanをたじたじとさせた。論戦はClarence Darrowが優勢だったものの、聴衆は彼は傲慢で意地悪だと感じた。映画では、傍聴人たちが論戦に敗れたFredric Marchに愛想を尽かして去って行くが、実際には人々は証言台に立ったWilliam Jennings Bryanの宗教的信念と勇敢さを賞賛し、同情的であった。彼が亡くなった時も、“古き良き原理的宗教を護った殉教者”と称されたのだった」

(February 10, 2011)


'Gene Kelly: A Life of Dance and Dreams' by Alvin Yudkoff (Back Stage Books, 1999)というGene Kelly(ジーン・ケリィ)の伝記に、この映画に関する興味深い部分がありました。彼の栄光のミュージカル映画の時代は過去のものとなり、彼がブロードウェイのミュージカルの演出などを手掛けていた時期。

「1959年、Gene Kellyがやろうとしていたプロジェクトは何故かよく分らない理由で全て頓挫し、彼は落ち込んでいた。ヨーロッパ留学中の娘との休暇を楽しんでいた時、映画監督・製作者のStanley Kramer(スタンリィ・クレイマー)から電話があった。彼の次回作'Inherit the Wind'の重要なサポート役への出演依頼であった。

Stanley Kramerは前作'On The Beach'『渚にて』(1959)で、Fred Astaire(フレッド・アステア)にダンスをしない役を与えていた。当時、Gene Kellyは『この監督はダンサーたちが失業してることを知ってる』と冗談を云っていたのだが、彼にもお鉢が廻って来たわけだ。Frederic Marchと、友達であり俳優としてのアイドルSpencer Tracyとの共演というのは願ってもない仕事だった。Gene Kellyは、これは彼の映画俳優歴における最後のチャンスであると捉えた。その経験は名優二人に挟まれた演技修業になるだろうと、彼は予感していた。

撮影セット入りした初日に、彼は自分の考えが間違っていたことを覚った。二大スターは演技学校を公開するどころか、俳優のいい見本とは全く云えない態度だった。Spencer Tracyは、いつもの癖で初手から監督を威圧しようとしていた(彼と愛人のKatherine HepburnはStanley Kramerを気に入っていたのだが)。Spencer Tracyは誰がボスであるか示す決意をしていて、丁寧にテイク2を頼んだStanley Kramerに明確に話すことをしなかった。彼は監督をしばし苦い顔で睨みつけ、撮影クルーが待機している前で、『ミスターKramer、あたしゃどう台詞を喋るか覚えるのに30年かかった。あんたやUCLAの演劇専攻の御仁がこのスピーチをこういう風に演(や)れというんなら、やって見せて貰おうじゃないか』と云い、静かに『オーケー、もう一回やろう』と付け加えた。

さらに悪いことには、Frederic MarchとSpencer Tracyはどの場面でも相手を食おうとして演技過剰だった。Spencer Tracyが長い独白をする場面では、Frederic Marchは藁で出来た大きな団扇をひらひらさせていた。逆に、Frederic Marchが派手やかに論ずる場面では、Spencer Tracyには小道具は必要なく、彼は単純に鼻をほじくっていた。『あの二人について行くなんてことは出来なかった』とGene Kellyは述懐している。『二人のどっちからも何か学び取るなんてことは不可能だった。彼らがやっていたことは、彼ら自身の奥深くから出て来ているので、学ぼうと切望しているアウトサイダーの私なんかには完全に手の届かないものだった。私に出来たのは、魔術を見守って驚愕することだけだった。彼らから実際に学んだのは、私がどんな演技をしたにせよ、彼らみたいには絶対に出来ないということだった』

Gene Kellyは役柄をうまくこなしたと思うが、批評は全て主演の二人の演技に集中した。この映画は興行的成功からは程遠く、ハリウッドはGene Kellyが客寄せには繋がらないことを痛感した。Gene Kellyがシリアスな役を得ることは二度となかった」

(February 20, 2011)





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