【Part 2】
名監督と錚々たるキャストなのですが、弘法も筆のあやまりという感じです。Otto Premingerの製作・監督という以上、何か魔法のような展開があるだろうと期待してしまいますが、魔法どころかダラけた物語運びでうんざりしてしまいます。例えば、冒頭でJane FondaとMichael Caineの夫婦、John Phillip LawとFaye Dunawayの夫婦が何度もカットバックするのですが、「何だ、まだ同じ日の同じ時刻なの?」と思うほどそれぞれが長いのです。テンポというものがありません。
脚本家の一人は'To Kill a Mockingbird'『アラバマ物語』(1962)などのHorton Foote(ホートン・フート)ですが、とても同じ人物とは思えない出来の脚本です。
人種問題がテーマなのか、富める者と貧しい者の対比をしたいのか、二組の夫婦の問題なのか、結局どこにも焦点が合っていなくて、要するにある地域のメロドラマに過ぎません。
Hugo Montenegro(ウーゴ・モンテネグロ)の音楽もひどい。まるでボツになった西部劇の音楽を流用した感じ。
こんな出来の悪い映画に文句を云っても始まらないのですが、特にJohn Phillip Lawの長男の扱いはひどい。この長男は父を邪魔者視して、父を裏切ってMichael Caineに情報を流したりします。少年のくせに田舎暮らしが嫌で、Michael Caineに「どっか他所に連れて行ってくれ」と頼みます。Michael Caineも無責任で、「いいとも」と応えます。従兄のJohn Phillip Lawに相談もしません。それどころか、裁判でJohn Phillip Lawが敵対したことを根に持って、町のごろつき連中をたきつけ、John Phillip Lawの家の周りにダイナマイトを仕掛けさせます。時限装置か何かで、翌朝爆発する段取りです。この爆発によって堰が切れて洪水が起り、John Phillip Lawの長男は溺れ死んでしまいます。
この少年のあり方を決め、少年を殺してしまう脚本は憎たらしい。そう云えば、Jane Fondaの知恵遅れの子供の描き方も非常に冷たい。常に泣き叫ぶ厄介者として登場し、最後には頭に怪我までさせてしまいます。原作がそうだからかも知れませんが、相当子供嫌いの人達が作ったお話に見えます。
唯一印象的だったのは、Michael Caineのサキソフォンを取り上げたJane Fondaが、まるでfellatioのようにマウスピースを舐め挙げるシーンです。しかし、二時間以上の映画で印象的なのがこれだけというのは悲しいもんですねえ:-)。
Michael Caineは'Austin Powers in Goldmember'『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』(2002)にAustin Powersの父親役で登場しましたが、彼の若い頃の映像としてこの'Hurry Sundown'のワン・カットが使われました。
(August 29, 2002)