[Poison] The Heart Is a Lonely Hunter
『愛すれど心さびしく』

【Part 2】

原作はベストセラーになったCarson McCullers(カーソン・マッカラーズ)という女性が23歳で書いた小説です。邦訳題名は『愛は寂しい狩人』。原作を読んでいないので、なぜ、"hunter"(狩人)なのかよく分りません。

Alan Arkinがどうして知恵遅れの友人にああまで拘るのかも理解出来ません。友人のために知らない町に下宿するとは、ちと尋常じゃありません。しかし、彼等は同性愛でも何でもなく、ただ親友として離れ難いだけのようです。

その親友が死んでしまい、取り残された虚無感、絶望に耐えきれず、Alan Arkinも死んでしまいます。彼等の友情は分りますが、友人の死でそこまでする人は普通いません。そんなことをしていたら、命がいくらあっても足りません。うちのカミさんは「この友人のように知恵遅れではないまでも、Alan Arkinもかなりシンプルな人間なのではないか?」と云っていました。

Alan Arkinは人々を喜ばせることに専念し、ほとんどの場合成功していました。チェスの研究は役に立ったわけです。しかし、自分の問題(親友の死、孤独)は解決出来ませんでした。彼は誰の助けも求めず、誰も彼を助けなかった。Sondra Lockeは「私も孤独だった。でも、音楽を見つけてから孤独じゃなくなった」と云いました。残念ながら、聾唖者であるAlan Arkinには音楽は聞こえません。彼の孤独を癒すものはゼロだったことになります。

Sondra Lockeとボーイ・フレンドの挿話は初々しくて面白いし、Stacy Keachの流れ者も興味深い存在です。黒人父娘と娘婿の物語は、1968当時ここまでリアルに黒人差別を描いた映画はなかったので('In the Heat of the Night'『夜の大捜査線』ぐらい)ショッキングだったでしょうが、(今となっては)よくあるようなエピソードの連続に見えます。過剰に深刻で暗い。

Alan Arkinを挟んで二家族の話が錯綜しますが、それらはどこかで一緒になることもなく、同一テーマが対位法的に描かれるというわけでもありません。これらを一緒にしたことは、小説ではごまかし得たかも知れませんが、映画ではうまく融合しているように見えません。

(May 01, 2001)





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