[Poison] The Adventures of Huck Finn
『ハックフィンの大冒険』

【Part 2】

私はElijah Woodのビー玉のような緑色の目が実は好きではありません。人形の目のように思えて。'The Lord of the Rings'ではそれがとても気になりました。しかし、この映画では何故か気になりませんでした。彼が12歳の時の映画ですが、目の色が変わった訳でもあるまいに、どうしてでしょう?あまりアップにならなかったからでしょうか?この頃のElijah Woodは、映画の中の女性たちみんなから可愛がられるだけの魅力を備えています。難を挙げれば、彼の眉根を寄せる表情でしょうか。とても悲しそうな、あるいは不安そうな顔になるので、Huckleberry Finnの陽気でやんちゃな性格との違いが際立ってしまいます。

Huckleberry Finn映画の伝統に則り、Elijah Woodもパイプ煙草を吸います。ま、おざなりに吸っているだけで、味わっているようには見えませんが。しかし、12歳の少年俳優に煙草を吸わせていいのでしょうか?あれは煙草じゃないとしても、煙が出る吸引物で無害なものって考えにくいですが。

他の二本の映画と最も異なる点は、Jimが「人を売り買いして奴隷として使うのは間違いなんだよ、Huck。奴隷制度はよくない。全ての人々は自由であるべきだ」と堂々と主張することです。Huck Finnはプランテーション・オーナーの畑で奴隷が鞭打たれる場面を目撃し、さらにオーナーからJimも鞭打たれたことを知り、悲しい思いをします。Jimを牢屋から助け出し自由州へ送り出すことは、いつしかHuck Finnの友情以上の“使命感”となって来るようです。

これは1960年代の公民権運動を経て、黒人差別が違法となり、一般的に白人・黒人が問題なく共存し始めた風潮の反映でしょう。愚かな道化者のような黒人奴隷ではないJimを造形している理由も、同じく時代の反映でしょう。

アメリカでは「原作に忠実でない」という意見もあるようですが、原作に忠実に映画を作ったら大変なことになります。Huckleberry FinnはJimとは仲良しですが、内心でJimのことを考える時彼を"nigger"(黒ん坊)と呼んでいるのです。HuckはJimを軽蔑している訳ではなく、単に大人たちや周りの少年たちの云い方に倣っているだけです(時代は南北戦争以前ですから)。しかし、現在これは差別語・軽蔑語の最悪のものですので、到底Disney(ディズニィ)映画で使える台詞ではありません。原作を読んだ人は「あのシーンが抜けているから不満だ」と云うことは出来ても、「原作に忠実でないから駄目だ」とは云えないでしょう。そもそも本と映画は別なメディアなので、そっくり同じに作ったら面白いかというと、そうでもありません。それぞれのメディアに有利な表現を積み重ねるのが正しい棲み分けだと思います。

なお、ケンタッキー州のミシシッピ川沿いの港町Cairoを、Huck FinnもJimも「ケーロ」という風に発音します。エジプトの首都は「カイロ」でこれは正しい発音でもあります。何故、「ケーロ」なのか不思議です。フランス語読みなら分りますが、この二人がフランス語を知っているとは思えません。Mark Twainの有名な短編に「蛙」をテーマにしたものがありますが、それと関係ない筈です:-)。

(January 12, 2007)





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