[Poison] Huckleberry Finn
『ハックルベリーの冒険』

【Part 2】

この映画に出資した製作会社の一つは'Readers' Digest'(リーダーズ・ダイジェスト)誌です。角川映画みたいな感じですね。

タイトル・バックの撮影・編集は失敗だと思います(責任は監督)。先ず、黒人奴隷の群れが農機具を肩にのろのろと畑の方に歩いて行きます。こののろのろとした行進は「奴隷の仕事が楽しそうに見えない」ため、NAACP(全国黒人地位向上協会)から褒められこそすれ叱られることはないでしょう。何しろ、NAACPは'Song of the South'『南部の唄』(1946)のVHSを「奴隷の生活が楽しそうに描かれている」という理由で、ディズニィに販売停止させた組織ですから。

その奴隷たちの行進は野っ原で雑草を突っ切って行きます。毎日住居から農場へ通うのに、雑草をかき分けて行くというのは妙です。僅か数頭の動物が行き来しても獣(けもの)道という道が出来るのです。何十人もの人間が歩いて道になってないというのは解せません。絵作りのためにだけ、道なき道を歩かせたのです。私も昔そういう撮影をしたことがあるので分るのです(懺悔)。

その奴隷の行進を見ながら奴隷のJimも妻子にキスして出て行きます。当然朝だと思いますわね。Huckleberry Finnが釣り竿を肩に歩いて行きます。これが背景をふんだんに変化させているので、野を越え山越え、「母を尋ねて三千里」というくらい歩いているように見える。JimがHuckleberry Finnを探す(まだタイトルの続きです)。Huckleberry Finnを見つけたJimは「夕食に間に合わないと、また叱られるぜ」と云います。朝かと思っていたら、もう夕方になっているのです。ずっこけてしまいます。

Jim役のPaul Winfieldが歌う"Cairo, airo, Illinois"は、この映画の中で唯一記憶に残るメロディです。Cairoは、ここではエジプトの首都ではなく、イリノイ州最南端の町の名前。オハイオ川とミシシッピ川の合流点に位置し、ここからオハイオ川を遡上すれば奴隷制を廃止した自由州へ行けるのです。ですから、この"Cairo, airo, Illinois"という曲は奴隷のJImにとって希望に溢れた歌なのです。ところで、この映画ではPaul WinfieldもJeff Eastも「カイロ」ではなく「ケーロ」という風に発音しています。私は、これは正しい発音ではなく、黒人や教養の無い白人の発音だろうと思っていました。ところが、『研究社 リーダーズ英和辞典』を引くと「Cairo 1. {カイロ]エジプトの首都、2. [ケアロ]イリノイ州南端の町」とあるではありませんか。念のためGoogleで検索しましたら、ミズーリ州の住人たちが「正しい発音は "KAY-roh"(ケイロ)である」と云っていました。驚きました。

原作がそうなってるんですから仕方がないのですが、この物語の映画化の全てのヴァージョンにおいて《イカサマ師二人の登場後、Huckleberry Finnと奴隷のJimは脇役になってしまう》という欠点があります。また、《ハックルベリィ・フィンの“冒険”とは云うものの、彼は川下りの途中の町のそこここで起る事件の巻き添えになるだけ》なのです。Huckleberry Finnが主体的に活躍するのは冒頭の部分だけで、以後は否応無く巻き込まれる一方。脇役っぽく見えてしまう原因です。

イカサマ師の「王様」Harvey Kormanの演技はまあまあです。歌も悪くありません。その相棒David Wayneが問題です。他の映画のこの役は、ちと薄のろで能足りんめいた軽さの俳優が選ばれ、演技もそのようにされています。この映画のDavid Wayneは演技は達者ですが、やや暗く、かなりの悪党に見えてしまうのです(実はそうではない)。ですから、コンビとしてのこの二人組の印象がよくありません。

その二人は英国から来た紳士に化け、亡くなった弟の兄として遺族から遺産をちょろまかそうとします。まんまとせしめた金貨の袋を挟んで、二人は一緒のベッドで袋に手を当てながら寝ます。Huckleberry Finnは二人のベッドの下に潜り、ナイフでベッドを切り裂き、金貨の袋を下に落して受け止めます。その後、身体の重みで熟睡中のHarvey Kormanがベッドの下に落ち、David Wayneも続いて落ちて行きます。これは他の映画にない趣向で、このアイデアを捻り出した脚本家には努力賞を上げたいと思います。しかし、実際にはベッドから下に沈めば、いくら大いびきをかいて寝ていた人物でも目を覚ます筈で、こんなことが可能とは思われません。ましてや、自分の身体の上にもう一人大人が落ちてくれば、下敷きになったHarvey Kormanは叫び声を挙げて当然でしょう。それでも眠ったままなんてあんまりです。

逃亡奴隷狩りの男共に捕らえられたJimをHuckleberry Finnが助け出します。Jimは手と首を縛られていて、逃げる時にナイフで首筋を切ってしまいます。それに気づいたHuckleberry Finnは、「Jim、あんたの血もおれのと同じで赤いんだね」と云います。これって「馬っ鹿じゃなかろか」です。Huckleberry Finnは腕白坊主で黒人の子供とも遊んでいた筈です。膝を擦りむいたりガラスで足を切ったり、茨などで手を刺したりしないで済む腕白がいようとは思えません。彼は黒人の子の傷口だって何度も見たことがあったでしょう。「何をいまさら」です。脚本家は、この台詞を人種問題に対する彼の良心的回答として書いたつもりでしょうか。いい加減にしてほしい。努力賞取り消し。

この映画のHuckleberry Finnは煙草を吸いません。これは初めてです。観ている間は気づきませんでしたが、他の“Huckleberry Finnもの”の記事を読み返してふっと気づきました。2007年、ディズニィは「映画の中の喫煙シーンはやめる」と宣言しました。当然でしょうね。未成年者が映画の中で吸えば、観客の未成年も吸いたくなるでしょう。また、私も昔はチェイン・スモーカーだったので分るのですが、画面で吸われりゃこっちも吸いたくなるものです。画面でプカプカ吸って「場内禁煙」てのはあんまりです。

ついでですが、昔の日活映画(旭、錠などの映画)なんてひどかったですよ。脇役たちが登場する度に煙草に火を点ける(さっきの場面で吸った同じ人物が)。芝居が出来ず間が持てないから煙草を吸うしかなかったのでしょう。「芸が無い」の典型。監督もスクリプターも忙しくて気づかなかったのか、黙認したのか。とにかく呆れたものでした。

(November 29, 2007)





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