[Poison] The Adventures of Huckleberry Finn
『宿なしハックの冒険』

【Part 2】

黒人奴隷Jimについて、この映画はかなり黒人に同情的に扱っていると思ったのですが、IMDbへの投稿によれば、この映画はMark Twainの趣旨に反して黒人と奴隷の扱いを捩じ曲げているそうです。公民権運動が盛んになったのは1950年代ですから、この映画が作られた1939年はまだまだ人種差別が激しい時代でした。K.K.K.の勢力も強く、さしたる理由もなく黒人を撃ち殺したり吊るし首にしても罪に問われなかったのです。そういう差別意識を逆撫ですると観客動員が見込めない…ということから、一般大衆の意識に迎合するように書き改められているそうです。

「…そうです」というのは情けない話で、南部に住んでいる私としては、本来私自身が原作を読んで本当にそうかどうか確かめなければいけないところです。実は原本はずっと前に購入して手元にあるのですが、どうも読む気になれないでいます。読むべき本は沢山あって、身体がいくつあっても足りないのです。いつか、ちゃんと本を読んで、この記事の最後に付け足したいと思います。

ペテン師の計略を盗み聞いたHuckは、蒸気船の船長に全てを打ち明けます。HuckとJimの友情に打たれた船長は、Jimを北部に送り届けてやると約束します。彼は"abolitionist"(奴隷制廃止論者)だったというわけ。船長は「イリノイ州にいい弁護士がいる。彼が助けてくれるだろう。名前はAbe Lincoln(エイブ・リンカン)と云うんだ」などと云います。

原作の最後のところだけ読んだのですが(こすい)、映画と原作では大幅に違っている点に気づきました。原作でも映画でも、Huckの父親が殺されているのを見たJimはHuckには知らせません。原作では最後の最後に「あの死人はあんたの親父さんだった」と素っ気なく云うだけで、Huckもあっさり受け入れます。しかし、映画ではJimが「乱暴な親父さんから逃げ出そうと思ってるあんたが、親父さんの死を知ったら一緒に川下りしてくれないと思ったので黙っていた」と告白し、Huckは「隠し事をするような人間は友達じゃない」と怒って、Jimとの縁を切ろうとします。しかし、Huckはガラガラ蛇に噛まれてしまい、追っ手に捕まるのを覚悟のJimに医者に連れて行って貰って助かります。今度は、逮捕され暴徒にリンチされようとするJimをHuckが助ける番です。つまり、大甘な友情物語に書き換えられているわけです。

Huckを殺した嫌疑で捕まったJimは(本当は逃亡奴隷としての罪もあるのだが、映画では無視されている)、当のHuckの登場で嫌疑が晴れます。しかし、彼は従前同様Douglas夫人の奴隷に戻らなくてはなりません。そこでHuckが夫人に「Jimを自由にして妻子と暮らさせてやって」と頼みます。夫人は「あなたが、ちゃんと学校へ行き、靴を履き、煙草を止めると約束するなら、Jimを自由にするわ」と云い、Huckは渋々約束し、コーンパイプを川に投げ捨てます。しかし、夫人と一緒に去って行く彼のズボンには別のパイプが隠されている上に、彼は靴を脱ぎ捨てて裸足で去って行ったのでした。

このラストは、「養子にされるなんて真っ平だ」とある原作に近いもので、いずれまたこのいたずら小僧は放浪の旅に出るであろうことを暗示しています。原作ではTom Sawer(トム・ソーヤー)にそそのかされ、西部へ行ってインディアン相手の冒険をしたがっています。

Mickey Rooneyはこの頃19歳ですから、もう“子役”ではなく歴とした俳優です(117本目ですし)。ちゃんと芝居をして当然なので、特に誉めるべき点はありません。私は個人的には彼の顔が嫌いなのです。下卑た顔ですし、可愛気がない。そこへ持って来て、いくら芝居でもパイプをぷかぷかされてゲンナリしました(私も以前はスモーカーでしたが)。よくまとまった映画だとは思いますが、彼が主演ということであまり評価出来ません。

(December 22, 2006)





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