[Poison] Home from the Hill
『肉体の遺産』

【Part 2】

この映画の中の娘Luana Pattenの描き方に問題があり、私はヴィデオ・テープを行きつ戻りつして確認せねばなりませんでした。映画では、George Hamiltonがダンスに誘いたい娘が紹介され、実際にはGeorge Peppardが誘う口説き役を勤めさせられます。娘は誘いを断りますが、口説きの文句はGeorge Hamiltonの言葉ではなくGeorge Peppardのものだと察知します。George Peppardはこの娘に好意を持ち、「今度会う時は代理ではなく、本人として誘いに来る」と云います。これは、後に彼がこの娘と結婚することになる重要な伏線なのです。ところが、映画ではこの娘のクロースアップも見せず、名前も教えてくれないので、後に出て来る娘が同一人物とは思えないのです。

同じ夜、George Hamiltonはある家の娘をダンスに誘いに行きますが、この時彼は彼女の名前を知っています。このシーンで彼女はちらと全身が映るだけで、またもクロースアップはありません。私は娘は二人いて、この娘は前に出て来た娘とは別人だと思ってしまいました。

私だけの問題かも知れないのですが、西欧人の顔の識別は難しい。アジア人、特に日本人ならよく似た顔立ちでも同一人物かどうか分るのですが、白人の顔というのは(映画俳優などを除き)微細な識別が出来ません。私はこれは慣れの問題ではないかと思います。カー・マニアならちらと見た自動車のメーカーや型名、年代などを云い当てることが出来ます。ガン・マニアも同様です。私はゴルフ・マニアなので、顔が見えなくてもスウィングの全身像で有名プロは見分けられます。しかし、この映画に出て来る若い娘はたった一人であるとは、すぐ分りませんでした。彼女が最初に登場する時は車を洗っていました。私はその車の色とデザインの細部を記憶し、映画の後半で彼女が運転している車と照合し、やっと同じ人物だと理解出来たのです。脚本が最初に彼女に名前を云わせるか、監督が彼女のクロースアップを入れるか、どちらかで私の問題は解決出来たわけで、この辺は製作者たちの怠慢であると文句を云いたいと思います。

原作ではもっとディテールが書き込まれているのかも知れませんが、映画の脚本としては唐突であったり、いわゆる“映画っぽい”作り物のお話になっている部分がいくつかあります。

George Peppardが自分の腹違いの兄であると知ったGeorge Hamiltonは、Robert Mitchumの非人道的な兄の扱い方に憤り、同時に結婚や子供を持つということに疑念と嫌悪感を抱くようになります。ここまでは理解出来ます。しかし、理由も話さずにLuana Pattenとの交際を絶つというのは、かなり自閉症気味で過剰な拒絶反応に思えます。Luana Pattenも彼に彼の子を身籠っていることを云いません。両者ともに素直ではありません。

Luana Pattenが妊娠していることを知ったGeorge Peppardは、Luana Pattenに結婚を申し込みます。腹違いの弟の子供を自分の子として育てようというわけです。彼の純粋さは、結婚してもLuana Pattenに手を出さず、別々の寝室で寝ていることで証明されます。この部分では、1960年代というそう大昔でもない時代に、彼らが人工妊娠中絶を全く視野に入れていないことが不思議です。妊娠したから誰かと結婚しなければならないという時代ではなかった筈です。George Peppardが彼女に好意を持っていることは、最初の出会いのシーン(George Hamilton身代わりのダンスへの誘い)で理解出来ますが、腹違いの弟の子を身籠っている女性と結婚しようというのは、随分飛躍しています。

Robert MitchumはLuana Pattenの父親に射ち殺されますが、これもいかにも映画的趣向で納得出来ません。この父親はRobert Mitchumが女たらしであることを知っていて、その息子George Hamiltonと娘の交際を禁じました。しかし、後に彼は娘のためにRobert Mitchumに会いに行き、George Hamiltonと娘の交際を正式に認めて貰うように懇願します。この時、Robert Mitchumは威丈高な態度に終始し、父親の願いを聞き入れません。Luana Pattenが赤ん坊を出産しその洗礼の日、彼女の父親はカウボーイたちが「あの赤ん坊もきっとRobert Mitchumの子だぜ」と噂しているのを聞いてしまいます。それは単なるゴシップに過ぎないのに、この父親は信じ込んでしまうのです。証拠もなく、娘に問い質しもせず、この父親は銃を持ち出してRobert Mitchumを殺しに行きます。随分子供っぽい父親ではありませんか。また、彼の婿となったGeorge PeppardがRobert Mitchumの庶子であることは周知の事実なので、この父親は婿の父と承知で殺したことになります。多分、こういう絵空事的部分はあまりにもメロドラマを志向した原作の問題なのでしょう。

あれほど父を嫌悪していたGeorge Hamiltonが、父が射たれたとなると急に鉄砲を持って仇討ちに出掛けるのも不思議です。仇討ちを終えた彼は自首するわけではなく、どこかへ“蒸発”してしまったようです(よく分らない)。

Robert Mitchumの今わの際に駆けつけたGeorge Peppardは"Tell me two words. 'My son. My son!' Say it! Say it."(一言云ってくれ。「我が子、我が子」って云ってくれ、云ってくれ!)と叫びますが、もうRobert Mitchumは息絶えています。数週間後、未亡人となったEleanor Parkerが墓参りに行くとGeorge Peppardが探しに来ます。彼は「あんな広い家に一人で住んでいるのはよくない。うちに滞在して赤ん坊の世話をしたり、おれたちに作法を教えたりしてくれ」と頼みます。彼女も「それはいいわね」と答えます。観客は、その赤ん坊が彼女の実の孫であることを知っていますが、映画の中の彼女は知らない筈です。「墓誌を見てないでしょ?」と彼女が云うので、彼が前に廻って墓石を見ます。そこには「故人は二人の息子の良き父親だった」として、彼の名が最初に、二番目にGeorge Hamiltonの名が刻まれています。彼は驚きます。彼はずっと日陰者だったからです。「みな知っていることよ」とEleanor Parker。二人は腕を組んで赤ん坊の待つ家へと向かいます。いい幕切れです。

で、邦題『肉体の遺産』とは何か?そんなものはありません。親父の遺産を引き継ぐべき実子は逃亡して引き継げず、もう一人は庶子(生前認知されていなかった)なのでどうなるのか?唯一の継承者Eleanor Parkerが何がしかは彼に分け与えるでしょうが。映画とは無関係な邦題の見本のようなものです。

(March 23, 2007)





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