[Poison] In the Heat of the Night
『夜の大捜査線』

【Part 2】

黒人刑事の名前を聞いた署長が、「Virgil(ヴァージル)だって?ヘン!」とか云います。"Virgil"は紀元前のローマの詩人ウェルギリウスの英語読みで、黒人には勿体無い名前だという感情を露骨に示したわけです。

Sidney Poitierが被害者の妻に夫の死を告げ、愕然とする妻を支えようと手を差し出しますが、女性は身を竦めるようにして彼の手を避けます。それほどまでに、黒人への嫌悪感を伴って育てられているということを現わした場面です。

黒人労働者たちが綿摘みをしている畑が延々と出て来ます。実は私も南部ならどこでもこういう光景にお目にかかれると思っていたのですが、実はほとんど見掛けません。唯一見たのは、ある大学農学部の実習農場の綿畑のみです。ま、私も南部をくまなく歩いているわけではないので、どっかにはあるのでしょうが。

その綿花農場の持ち主が事件に関係しているのではないかと、Sidney Poitierが農場主を訪れます。世間話には気軽に応じていた農場主ですが、Sidney Poitierが「昨夜、被害者がここへ来なかったか?」と確認しようとすると、黒人ふぜいが俺を疑うのか?という感じでSidney Poitierの頬を平手打ちします。直後に一瞬の間も置かず、Sidney Poitierが農場主の頬にお返しをします。この時の農場主と署長二人のショックを受けた顔。黒人は叩かれても踏まれても泣き寝入りせざるを得ず、到底仕返しなど思いもよらなかった時代の感覚を引き摺った顔です。農場主が「お前みたいな奴を射殺出来た時代もあったんだ…」と口惜しがります。

上の出来事を聞いた町長が、署長に「何でその場で黒人を撃ち殺さなかったんだ?」と云います。ひどい話です。

署長は次第にSidney Poitierの実力、判断力を認めるようになっていましたから、撃ち殺すなど問題外です。仕舞いには胸襟を開いて会話するまでに変貌します。全てが終った時、署長は黒人刑事を見送って駅まで来ます。普通に別れの挨拶をした後、ふと立ち止まって振り返るので、何か感謝の意を感傷的に云うのかと思うと、

"Virgil. You take care. Y'hear?"(ヴァージル。気をつけろよ、いいな?)

…と云うだけ。「気をつけろ」は「元気でな」というありきたりの言葉とも取れるし、「白人を殴ったりして殺されるなよ」とも取れます。いずれにしても、感傷的色彩は皆無ですが、この署長にすれば精一杯の感謝と思いやりがこもった言葉と解釈すべきでしょう。彼はこの数日間で凄い変化を遂げたことになります。

30年も前にしては黒人刑事の姿、推理、行動力が格好良すぎるという気もしますが、今のように黒人の主演映画が少なかった時代だからこそ想像も出来ないインパクトがあったのでしょう。

(February 23, 2001)


【井原さんのDVD試聴記】

映画通の井原さんには、私の映画サイトの相談役になって頂いています。このところ井原さんが熱中しておられるのはDVDに入っている監督の製作裏話を聞くことだそうです。頂いたメールの転載の御了解を得ました。お楽しみ下さい。

このDVDのAudio Commentary はなかなかの聞きもので、昨年見たDVDの中でも特筆されるべき1本です。解説しているのは、監督のNorman Jewison、警察署長役のRod Steiger、未亡人役のLee Grant、そして撮影監督のHaskell Wexlerが担当していますが、とても面白い。この映画が製作された当時の社会的背景や公民権運動の高まり、製作上の苦労話が聞けます。

「この映画は当時ほとんど自然発生的に生まれた」と語るのは、監督のNorman Jewisonと撮影監督のHaskell Wexler。どちらも当時盛り上がっていた公民権運動のデモで顔見知りになり、John Ballの原作を元に、デモ友達(?)を介して、自然にスタッフ、キャストが集まってきたこと。彼ら「市民活動家」というのは、当時「普通の市民」であり、決して特別ではなかった。当時のハリウッドにはそんな熱い熱気(原題どおりですね)と強いコネクションがあったが、現在は「ビジネス」ばかりで残念だと語るNorman Jewison。

演技上の話をしているのは、Rod SteigerとLee Grant。警察署長Bill Gillespieがガムをくちゃくちゃやっているのも、テンションが高まるとこの回数が多くなって面白いとは監督の弁。南部ではなくIllinois(イリノイ)でロケをしたのも、Sidney Poitierが人種偏見が厳しい南部での撮影を嫌ったためとのこと。例の南部旗をつけた車に追いかけられるプロットもSidney Poitierの実体験があったそうです。Lee Grantも、実は旦那ともども赤狩りにあって、ハリウッドから干されていたんですが、この作品が復帰作になり(その前に旦那は亡くなっている)、まるで他人事ではなかった、とのこと。

一番の聞き物は名撮影監督のHaskell Wexlerの弁。彼は'American Graffiti'『アメリカン・グラフィティ』なんかのMaking Documentaryにも出てきたんですが、ここではかなり具体的に政治的、社会的背景を解説してくれてます。さすが、69年彼の監督作'Medium Cool'『アメリカを斬る』で当時のFBIのブラック・リストに載っただけの硬骨漢ですね。

前年オスカーを取った彼にとっても初めてのカラー作品で、冒頭の有名なロング・ショットも、本屋で見ていた家庭用のカメラ撮影術の本を参考に、近くの金物屋で網戸の網を買ってきてカメラに取り付け、助手と二人だけで撮ったとのこと。当時のフィルムは感度が悪いので、夜間は大規模に照明を取り付けねばならなかったこと、食堂のシーンはもう少し立体感が欲しかった、などとあちらこちらで突っ込みを入れてます。特に州境の橋での追跡シーンは、映画用に初めてズームレンズを使用して成功した、と云っています。

Norman Jewisonの話で一番面白かったのは、たまたま休暇でスキー場に行ってたら、暗殺前の大統領候補Robert Kennedyと偶然に顔なじみになり、この撮影中の映画の話をしたら、彼も「この映画はとても重要になるだろう」と積極的に支援してくれたそうです。

脚本のStirling Silliphant 、名優だったWarren Oatesもすでにこの世にはなく、彼らのためにもこのAudio Commentaryは、重要だろうと思いました。

(January 07, 2002)


【Part 3】

私もDVDのコメンタリーを聞いてみました。上の井原さんが触れておられない部分を補いたいと思います。

コメンタリーの証言者は監督のNorman Jewison、撮影監督Haskell Wexler(ハスケル・ウェクスラー)、主演男優Rod Steiger、助演女優Lee Grantですが、彼らが一堂に会して喋っているわけではなく、個別に録音されたものが編集によって並べられています。

監督Norman Jewisonは脚本を読むや否や飛びついたが、黒人スターによる黒人もののテーマということで、製作会社は大した利益は期待出来ないと判断し、2,600万ドルの製作費しか用意してくれなかった。そのため、画面に登場する列車や貨物列車も、折よく通過するのを待ち構えてタダで撮影したほどだった。

警察署長の役には当初George C. Scott(ジョージ・C・スコット)が予定されていたが、Rod Steigerに変更された。Norman JewisonはRod Steigerの方がありがたいと思った。

室内のシーンはほとんどハリウッドのMGMスタジオで撮影された。

警察署長の役のモデルとして、当時アラバマ州Birmingham(バーミングハム)で公民権運動を弾圧していた公衆安全局々長Theophilus Eugene "Bull" Connor(通称“ブル” コナー)の思考・行動が模されることになった。

Norman Jewisonの回想。「初公開時、逮捕されたSidney Poitierが刑事だと分ると、映画館では爆笑の渦が沸き起こり、観客はクレージーになって怒鳴ったり叫んだりした。それは映画を笑ったのではなく、状況(刑事を逮捕した警官の阿呆さ加減)への反応だった」

同じくNorman Jewisonの回想。「Sidney Poitierが白人の農園主に叩かれ、すぐさま叩き返す場面は脚本になかった。私のアイデアだった。Sydney Poitierは『黒人が白人に叩き返すという映画の場面は見たことがない。これが初めてだろう』と云っていた」【註】私が観たDVDは少し古い時期のものですが、最近出回っている「公開40周年記念版」DVDには'The Slap Heard Round The World'という短編ドキュメンタリーがおまけとして付いているそうで、その中でNorman Jewisonは「この(Sidney Poitierが白人を叩き返す)シーンはリハーサルせずぶっつけ本番で撮った」と証言しているそうです。あくまでも伝聞です。

Rod Steigerの回想。「(Sidney Poitierに叩き返された)白人農園主が警察署長の私に『この落とし前をどうつける?』と聞く場面は、この映画の中で一番の難物だった。署長にはどうすればいいか分らなかった筈だ。"I don't know."は正直な言葉だった」

上のシーンについてもっとはっきりした文献を発見しました。'The Measure of a Man: a spiritual autobiography' by Sidney Poitierという、Sidney Poitierの回想録です(2000年出版)。

「私が農園主にアリバイを確認しようとすると、彼は私の顔をひっぱたく。元の脚本では、私はかなり軽蔑した面持ちで農園主を見やり、強靭な理想主義に身を包んでその場を出て行くということになっていた。他の俳優がこの役を演じるのなら、それもあるだろう。しかし、私の場合にはそうはならなかった。私は監督に脚本は変更すべきだと伝えた。「どういうこと?」と彼は云った。私は「いずれ私の要求を伝えよう」と云った。

私は製作者のWalter Mirish(ウォルター・ミリッシュ)に云った、「古き南部の紳士は、彼の伝統によって行動している。その伝統は彼の体面が私の横面を強打することを必要としている」 私は続けてこう云った、「あなたはスクリーン上で本当に素晴らしい、印象的な瞬間を持ちたいと思いますか?だとしたら、このシーンは次のように撮るべきだ。即ち、ナノセコンドの躊躇いもなく、私が彼の横面をバックハンドで叩き返す」。Walter Mirishは"I like it."(いいね)と云った。これは映画の中でとてもとてもドラマティックな瞬間となった」

Sidney Poitierは同じ本でこうも書いています、「いい俳優と共演すると本当にいい勉強になる。『夜の大捜査線』のRod Steigerはアクターズ・スタジオの産物で、彼の映画への取り組み方は私を魅了した。彼の場面への準備期間は、その深さにおいて驚くべきものだった。先ず彼は役柄を全て客観的に探求する。次に彼は、客観的に探求した全てを主観へとチェンジする。この最後のプロセスにおいて彼は完全に彼の役に集中し、撮影期間中彼は同じ抑揚で話す。週末であろうが、映画を観に行こうが、夕食の最中であろうが、モテルでお喋りしている時であろうが、彼は完全に南部の警察署長に成り切っていた。彼はカメラの前であろうが後ろであろうが、同じアクセントで喋り、同じ足取りで歩いた。私は彼の役柄への関わり合いの激しさに驚かされた」

Norman Jewisonの言葉。「この年のアカデミー賞候補には'The Graduate'『卒業』と'Bonnie and Clyde'『俺たちに明日はない』という話題作があり、とても楽観は許されなかった。しかし、この映画は音響、編集、脚色、主演男優が受賞した(だから、私も期待した)。ところが監督賞は『卒業』のMike Nichols(マイク・ニコルズ)に持って行かれてしまった。正直云って、私は一寸がっかりした。しかし、作品賞は獲得出来た。監督賞にノミネートされただけでも充分だと思わなきゃならない」

今度再視聴して気がついたのですが、この映画の中で闇で堕胎を請け負っている黒人の婦人はBeah Richards(ビー・リチャーズ)が演じているのでした。彼女は'Guess Who's Coming to Dinner'『招かれざる客』(1967)でSydney Poitierのお母さんを演じています。『招かれざる客』は白人の娘が両親に「この人と結婚したいの」とSidney Poitierを引き合わせる映画でした。奇しくも、人種問題をテーマにした二作が同じ年に製作・公開され、その二本にSidney PoitierとBeah Richardsの両方が出ていたわけです。

(February 11, 2008)


【Part 4】

この映画をプロデュースしたWalter Mirishの回想録'I Thought We Were Making Movies, Not History'(歴史じゃなくて映画を作ってたつもりだったんだが)(The University of Wisconsin Press, 2008)を読みました。この映画の生い立ちがよく解って面白い。

「Sidney Poitierのエージェントが、『この小説は、作家John Ball(ジョン・ボール)のエージェントからSidney Poitier宛に送り届けられて来たものだ』と云って本を持って来た。完璧な小説とは云えなかったが、黒人刑事とレッドネック警察署長のパチパチと火花の散るような関係は素晴らしかった。しかし、その二人を取り巻く状況にはガッカリさせられた。物語はコンサートのためにやって来たミュージシャンを軸に回転していた(われわれは、後にこれを土地開発・工場建設をめぐる新旧世代の経済摩擦に置き換えた)。

私がSidney Poitierに会うと、彼は非常にこの役をやりたがっており、ブロードウェイの仕事が延びてこの役を失うことを恐れていた。幸運にも、その舞台はタイミング良く終了した。

私はSidney Poitierの知性を知っていたので、脚本には彼の意見を取り入れ、彼が彼の役に納得出来るまで脚本を練り上げるつもりだった。脚本家Stirling Siliphant(スターリング・シリファント)とSidney Poitierと私の三人は必要に応じてミーティングを持った。

私はNorman Jewisonに監督して貰いたかった。彼と我が社の契約は、彼はどの映画においても製作・監督を兼ねることが出来るというものであったが、私は彼に『私が主役も決め、脚本も完成させ、かなりこのプロジェクトに関与しているので、この映画は私の製作ということにしたい』と告げた。彼は了承し、この映画の監督をやりたいと云った。

私は警察署長の役はGeorge C. Scottにやって貰おうと思っていて、Norman JewisonもSidney Poitierも大賛成だった。George C. Scottのエージェントが一旦この仕事を受けてくれて喜んだのだが、George C. Scott夫人が夫婦でブロードウェイの芝居を上演したいと考えていることが分り、日程的に彼は参加出来なくなった。

配給会社United Artistsは、この映画は南部諸州の映画館がボイコットするだろうと考えていた。私はそれに反論したのだが、United Artistsは低収益を恐れて、この映画を200万ドル以下で作れと主張した。私がNorman Jewisonに『撮影期間は40日しかない』と告げると、彼は怒り狂った。私は『もうUnited Artistsに約束してしまったから、どうにもならない』と云った。Sidney Poitierのギャラは20万ドル、Rod Steigerのギャラは15万ドルだった。

ロケ地としてイリノイ州南西部のBellevilleに近いSpartaという町が候補になり、Norman Jewisonが見に行った。町中の目につく看板の多くにSpartaと書かれているので、原作のWellsという町の名をSpartaに変更することにした。

南部らしい雰囲気を出すために綿畑と荘園主の館を画面で見せたかった。で、Sidney PoitierとRod Steigerが白人の農園主の家を訪れるシーンだけテネシー州まで出掛けて行って撮った。

Sidney PoitierがRod Steigerの家でしんみり話す場面で、Norman Jewisonは二人にアドリブを交えることを奨め、それがこの映画の白眉のシーンの一つに変貌させた。二人の人物が殻から出て互いの性格を出し、ステレオタイプでない人物像を創り上げたのだ。

映画は大成功で、南部の映画館にも配給された。心配された騒ぎは何も起らなかった。

この年のアカデミー賞授賞式の週、私の父が亡くなったため、私は授賞式には出ないつもりだった。同じ週、キング牧師が暗殺され、式は一週間順延された。気持が落ち着いた私は授賞式に出席した。この年は'Bonnie and Clyde'『俺たちに明日はない』、'The Graduate'『卒業』、'Guess Who's Coming to Dinner?'『招かれざる客』などが競争相手だった。私はNorman Jewisonが監督賞に選ばれなかったので非常にがっかりした。作品賞を受賞した私は、スピーチでNorman Jewisonの功績を讃えた。ふと舞台の袖を見ると、賞のプレゼンターを務めたSidney Poitierと主演男優賞を得たばかりのRod Steigerが並んで立っていた。私は二人に歩み寄り、先ずSidney Poitierを抱擁してキスし、次いでRod Steigerを抱擁してキスした。三人とも恍惚となっていた。

最終的に製作費が209万ドルとなったこの映画は、収益的には最高だった。私にはこの映画の社会的・文化的影響は語れないが、わが国の人種問題の啓発という面では少なからぬ貢献を果たしたと考えている」

(January 25, 2011)





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