[Poison]

Gone With the Wind

『風と共に去りぬ』

【Part 4】

'Pictorial History of Gone With The Wind' by Gerald Gardner and Harriet Modell Gardner (Bonanza Books, 1980)という本を発見し、興味深い話の数々を知ることが出来ました。

「・Clark Gable(クラーク・ゲイブル)
Clark GableがRhett Butler役を引き受けたくなかった理由は、(Part 3で述べたように)原作の読者たちが既に作り上げているRhett Butlerのイメージを損なったら大変…というのが一つ。彼の映画のイメージは確固たる自信に満ち溢れた、時に傲慢とも云える男性のイメージだったが、それは映画監督たちによって作られたもので、実際には自信がなく、周囲が常に自分に恥をかかせようとしているのではないかと疑う猜疑心の強い男だった。彼には、尊敬するVictor Fleming(ヴィクター・フレミング)のように、男をうまく描く監督が必要だったのだが、GWTWの製作者David O. Selznickは既にGeorge Cuker(ジョージ・キューカー)を監督に決定していた。George Cukerは“女性を描く名匠”として有名だったので、Clark Gableは監督がScarlet(スカーレット)役とMelanie(メラニー)役の演出に専念するだろうと懸念した。それが第二の理由だった。

Clark GableにRhett Butler役を引き受けさせるについては次のような策謀がめぐらされた。当時、Clark Gableは喜劇女優Carol Lombard(キャロル・ロンバード)とデキており、二番目の妻と離婚したがっていたが、妻は拒否していた。MGM映画の帝王Louis B. Mayer(ルイス・B・メイヤー、David O. Selznickの義父)は、密かにClark Gableの妻に接触し『慰謝料を途方もない額にふっかけろ』と唆し、妻はClark Gableに$265,000を要求した。それは大スターClark Gableにとってもおいそれとは払えない額だった。Louis B. MayerはClark Gableに『Rhett Butler役を引き受けるなら$100,000のボーナスを出そう』と持ち掛けた。そのボーナスがあれば慰謝料を払うのが容易になる。で、Clark Gableは渋々出演を承諾した。【何か映画の筋書きのような策謀ですね】

最初の監督George Cukerが、David O. Selznickの脚本改訂に不満を漏らして馘になった後、David O. Selznickは何人かの監督のリストをClark Gableに見せて希望を聞いた。『もちろんVictor Flemingだ』とClark Gableは答えた。

Leslie Howard(レスリー・ハワード)
当時、Leslie Howardは45歳であり、若いAshley(アシュリィ)役には老け過ぎていると自覚していた。また、知的で夢想家で優柔不断な男ばかり演じて来たLeslie Howardは、似たような役であるAshleyに魅力を感じなかった。しかし、製作者David O. SelznickにとってはScarlet(スカーレット)よりも、Ashleyは重要な役であり、Ashley役にはLeslie Howardしかいないと考えていた。Clark Gableを出演させるには金が物を云ったが、Leslie Howardは金を望んではいなかった。David O. SelznickはLeslie Howardの『プロデューサーか監督、脚本家になりたい』という野心を知っていた。そこで、Ashley役を引き受けるならDavid O. Selznick製作の次回作'Intermezzo'『別離』(1939)で主演兼共同製作者にしようと持ち掛けた。Leslie Howardは承諾した。しかし、実際にはGWTWの撮影が遅れに遅れたため、Leslie HowardはGWTWと'Intermezzo'の二本のスタジオを俳優として往復するのに忙しく、製作者とは名ばかりの結果となった。幻滅したLeslie HowardはGWTWの撮影に遅刻するようになり、台詞もうろ覚えで何度もリテイクを必要とするようになった。

Vivien Leigh(ヴィヴィアン・リー)
まだ誰がScarlettを演ずるか決まっていなかったが、製作者David O. Selznickは撮影を開始せねばならなかった。とりあえず彼は撮影所内にあった'King Kong'『キングコング』などのセットを燃やして、Atlanta炎上のシーンを撮影することにした。Rhett ButlerとScarlettの代役が馬車に乗って、燃え盛るセットの前を駆け抜ける。その時、David O. Selznickの弟Myron Selznick(マイロン・セルズニック)が英国俳優Lawlence Olivier(ローレンス・オリヴィエ)と魅力的な若い女性を連れてやって来た。David O. Selznickは弟越しにその女性を見た。消えかかる炎が彼女の淡い緑色の目を輝かせた。それは原作者Margaret MitchellがScarlettを描写したそのままであった。David O. Selznickは二年に渡る長い長い女優探しの果てに、英国女優Vivien Leighを発見したのだった。

Vivien Leighは英国では認められつつあった新進女優であったが、まだ世界的女優とは云えなかった。しかし、GWTWの原作を読んだ時、『Scarlettを演じたい!』と決意した。彼女のエージェント(代理人)は、Myron Selznickの英国側のエージェントであった。で、彼女は自分のエージェントにScarlett役候補としてMyron Selznickに紹介を頼んだ。彼女の夫である英国俳優Lawlence Olivierはアメリカ映画'Wuthering Heights'『嵐が丘』などに出ていたので、夫婦でハリウッドに滞在するのは自然だった。そしてMyron SelznickがAtlanta炎上のシーンの見物に夫妻を招待し、Vivien Leighを兄に引き合わせたのである。

監督George Cuker(ジョージ.キューカー)
Margaret Mitchellの原作に忠実たらんとした製作者David O. Selznickは、監督George Cukerに『撮影現場での台詞の追加・改変はまかりならん』と通告してあった。ところが、ある日のラッシュを見ると、Melanie(メラニー)役のOlivia De Havillandが脚本にない台詞を喋っていた。David O. SelznickがGeorge Cukerをオフィスに呼びつけて質すと、それはGeorge Cukerが撮影現場で付け足したものであり、釈明としてはDavid O. Selznickの(11時間かけて改訂した)台詞では演じられないというものだった。David O. Selznickは直ちにGeorge Cukerを馘にした。二年半もかけて準備したGeorge Cukerだったが、たった二週間足らずの撮影でGWTWの現場を離れることになった。

翌日、Vivien LeighとOlivia De Havillandは製作者David O. Selznickのオフィスを訪れ、元通りGeorge Cukerを監督に据え置いてくれと懇願した。しかし、その努力は報われなかった。George Cukerの演出を信頼していた二人の女優は、個別に彼の住まいを訪れて翌週のシーンの演技について指導を受けた。

監督Victor Fleming(ヴィクター・フレミング)
George Cukerが馘になった後を引き継いだのはVictor Fleminである。彼は着任早々『おれはこの映画をメロドラマにする』と宣言して主演女優たちをがっくりさせた。彼女たちは、監督にこの映画の人物を繊細に描き分けるつもりがないとを察知したのだ。

Victor Flemingは“男を描く名匠”と云われ、自ら乗馬、オートバイ、レーシング級のドライヴ、女遊びなどを楽しむマッチョな男だった。彼はClark Gableとの友達付き合いを隠さず、Clark Gableも同様だった。

Victor Flemingは先を見る目がなかった。製作者David O. Selznickが収益のパーセントによる報酬を申し出た時、Victor Flemingは『あんたはおれを馬鹿だと思ってるらしいが、この映画は最大の"white elephant"(=金がかかるだけの無用の長物)になるだろうよ』と云って拒絶したのだった。【パーセントだったら莫大な額になったのに、一時金の報酬を得たに過ぎなかった】

原作者Margaret Mitchell(マーガレット・ミッチェル)
“アメリカ初の進歩的女性”Scarlettを描いたMargaret Mitchellは、対称的に表立った活動を厭う非社交的な女性だった。彼女はGWTWの脚本を書くことを拒み、他の脚本家が書いた脚本をチェックすることを拒絶し、Scarlett役の女優探しにも協力しなかった。そもそも、出版社が彼女が執筆しているという小説GWTWの話を聞きつけて問い合わせて来た際も、『そんな原稿はない』と否定し、彼女の夫の説得で原稿を出版社に送った翌日、『気が変わったので原稿を返してくれ』と云ったほどだった。>

Margaret Mitchell自身はScarlettのように脚光を浴びたがるタイプではなく、控え目なMelanieタイプであった。彼女は、反抗的で自立心溢れる女性の姿を描く理解力はあったが、自分がそうなろうとは思わなかったのだ。

Margaret Mitchellが八歳の時、彼女の母親と馬車で荒廃した荘園を訪れたことがあった。この想い出が小説に結びついたと思われる。

Margaret Mitchellは18歳の時、若い軍人と婚約した。その直後婚約者は第一次大戦でフランスに従軍して戦死した。小説のScarlettの最初の夫も、結婚後すぐ南北戦争に出征して病死している。戦死と病死だけの違いだけである。

Margaret Mitchellは母の死後すぐ【Scarlettが最初の夫の服喪期間中に踊ったように】舞踏会で踊って、Atlantaの老婦人たちの顰蹙を買った。その時の婦人たちの冷たい目つきに対する反応が、舞踏会シーンにおけるScarlettの反抗的行動の描写に結びついている」

脚本家
GWTWの脚本完成には総勢17人が関与している。この数字は製作者David O. Selznickと原作者Margaret Mitchellを含んでいる。David O. Selznickは、最初に脚本化したSidney Howard(シドニィ・ハワード)の功績を認めている。(Margaret Mitchellは脚本執筆こそしなかったが)台詞のほとんどはMargaret Mitchellの原作から採られており、脚本家たちが書き加えた台詞はほんの僅かである。

プロダクション・デザイナー
William Cameron Menzies(ウィリアム・キャメロン・メンズィース)は色彩設計だけでなく絵コンテも描いた。彼が、Scarlettが生まれ育った荘園Tara(タラ)のイメージのスケッチを見せると、『原作の魅力を伝える鍵はTaraである』と確信していたDavid O. SelznickはなかなかOKせず、なんと25回も描き直しを命じた。破れかぶれになったWilliam Cameron Menziesが一番最初に描いたスケッチに"提案 No. 26"と書いて提出すると、David O. Selznickは『でかした!これぞTaraだ!』と云った」

(January 01, 2011)





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