[Poison]

The Glass Menagerie

『ガラスの動物園』

【Part 2】

正直に云って、私はTennessee Williams作品に登場する病的な連中が嫌いです。'A Streetcar Named Desire'『欲望という名の電車』のBlanche DuBois(ブランシュ・デュボア)とか。ここではJoanne Woodward演ずる母親が、人の気持ちもお構いなく喋り続け、自分の考えを押しつけます。私もこの息子と同じで、この母親に辟易し、出来るなら彼女から逃げて映画を観に行きたい。しかし、この人物にうんざりしているのは、私が映画を観ているからなので、更に映画を観に行くというのも変なのでした:-)。

前半はJoanne Woodwardが息子を罵り、娘を罵る、息が詰まるようなシーンの連続です。Joanne Woodwardにとっては自分の演技力をひけらかすいいチャンスだったのでしょうが、彼女はメークアップも悪いせいで、十分に老けた母親に見えません。先ず、これで落第です。自分勝手な人物を演じているわけですが、そうした“若さ”が災いしているのか、「どこか憎めない」という味が出ていません。ですから、私のような拒否反応が出てしまいます。

監督Paul Newmanですが、概ねいいとしても、いくつか問題点があります。映画風に処理したくないということで、カットを極力分けないようにしているために起った問題です。先ず、客のJames NaughtonとJoanne Woodwardがソファに並んで掛けた姿をカーテン越しに後ろから捉えたショット。Joanne Woodwardの顔だけが見え、James Naughtonは完全に背中だけ。カメラが横移動し、ライト・スタンドがほぼ画面を覆います。これが長い。カメラが移動し続け、やっとライト・スタンドが消えても、James Naughtonの顔はしばらく見えません。やっと二人の腰から上のショットに落ち着きますが、何のための移動ショットだったのか意味不明です。フィックスだと退屈だから動かすというのは、ほとんど素人がやることです。

もう一つ、画面右隅にKaren Allenの顔があり、正面にJames Naughtonが立って喋っています。この時、フォーカスは画面の一部でしかないKaren Allenに合っていて、James Naughtonはボケています。Karen Allenの顔が画面右側一杯に大きいのならそれもいいですが(その場合、彼女のリアクションが興味の的ということがハッキリする)、首だけチョコンと写っている人物に焦点が合っていて、大きく写って喋っている人物がボケボケというのは、監督の興味がどこにあるのか、観客はどこを見たらいいのか分らず、途方に暮れてしまいます。非常に不味い処理と云えます。

良かったのは、訪問予定の客がかつてほのかに恋していた男性であると知った時の、娘の動揺を表した数カットです。娘のアップを中心に据え、90度ほどの円周をカメラが往復します。娘がカメラの動きに同期して顔を廻すので、背景だけが大きく動き、彼女の目くるめく思いがよく表現されています。こういうショットを見るのが映画的快楽というものなので、カットを分けない長廻しの連続というのは映画的魅力に欠けると云わざるを得ません。「舞台の記録」を作りたかったのなら、三人のカメラマンと録音技師を雇ってヴィデオで撮り、自分達だけで楽しめば良かったのです。

第一幕とも云えるJoanne Woodwardの長広舌と緊迫した母子の罵り合いに較べ、第二幕とも云える娘と客の男性のやりとりは非常に情緒豊かに、暖かく描かれていてホッとします。二人がよそよそしく離れている状態から、徐々に接近して最後にキスするまでの流れが、とても自然に見えます。結末はガッカリですが、この部分の良さが作品の印象を良くしています。

同僚が来た途端に息子がやたらおとなしくなっちゃうのが妙です。しかも、同僚が辞去するまで長いこと自分の部屋にいたようですが、気を利かせたにしては長過ぎます。これは原作の問題でしょうが:-)。

音楽をHenry Mancini(ヘンリー・マンシーニ)が担当していますが、控え目でほとんど印象に残りません。

(March 14, 2001)





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