[Poison] Facing the Giants
『フェイシング・ザ・ジャイアント』

【Part 2】

“脚本の勝利”とは云いましたが、随分安易なところもあります。物語の性格上、二つの課題(コーチの妻の妊娠と、チームの優勝)は最後に達成されなくてはなりません。観客はそれを予期しています。しかし、ストレートに達成されたのではあまりにも出来過ぎです。脚本家たちもそれを承知しています。で、彼らは一捻り加えたつもりのようです。

つわりのようなものを感じた妻が病院に検査に行きます。結果はまたもネガティヴ。看護婦が同情しながら、結果を伝えます。妻が車に向う頃、他の看護婦が先ほどの看護婦にもう一枚の検査結果を見せます。ここからはサイレント(台詞無し)ですが、どうやら"B. Taylor"という同姓の患者が二人いて検査結果が入れ替わってしまったようです。駆け出す看護婦。発進しようとした車を止め、出て来る妻。説明する看護婦。口に手を当てて驚く妻。彼女は看護婦を抱き締め、いったん抱擁を解き、何度も躍り上がって喜びまた看護婦を抱き締めます。ここのShannen Fieldsの演技は素晴らしい。しかし、検査結果が入れ替わるというのはかなり安易です。全く無いことではないでしょうが、非常に希有でしょう。同じ"B. Taylor"で二つ同時に妊娠検査が行なわれれば、看護婦は「間違えないように注意せねば」と思う筈です。「一捻りして見せた」という脚本家たちの仕掛けが見え見えです。

気まずい父子関係だったJames Blackwellが信仰に目覚める部分は過去形の伝聞で語られます。彼がどういう切っ掛けで信仰心の覚醒をなし得たのかは描かれません。それはとてつもない難題で、素人脚本家には描き切れないシーンだったのでしょう。

チームはプレイオフで負けます。奇跡を期待していたコーチはがっかりします。しかし、ここでも“一捻り”が加えられていて、実は対戦相手に19歳の選手が二人いて州高校フットボール協会から失格と判定され、イーグルズが再浮上するチャンスが巡って来ます。これも全く無いことではないでしょうが、他校のミスによって転がり込んで来た幸運であり(実力ではない)、安易な仕掛けに思えます。

州大会選出を決める準々決勝の経過は、コーチに『黙示録』を読み聞かせた老人が自宅でラジオを聞くという趣向で伝えられます。私はすぐ「あっ、『炎のランナー』だ!」と思いました。'Chariots of Fire'『炎のランナー』(1981)のクライマックスは、主人公のレースの結末をフィールドで見せず、競技場に入れないプロ・コーチのホテルの部屋にカメラを移し、窓越しにスルスルと上がって来る英国国旗を見せてコーチを泣かせます。国旗だから感動的だったのですが、こちらの映画の場合、そういうシンボルがなく、単にラジオのアナウンサーの興奮した声と老人の感極まった表情があるだけ。真似が悪いわけではありませんし、アイデアはいいとしても、あまりにも芸が無いので拍子抜けしてしまいます。大体、この応援に熱心な老人がフィールドに行かずに家にいるということが不自然です。予算と日程の関係で、この試合経過を撮影することは出来なかった故の苦肉の策だったのでしょう。しかし、こういうところでこそ、もう一捻りして欲しかったと思います。

脚本家たちの律儀さは分りますが、物語の全ての要素に「布石」と「結果」を対照させているのは、多少うざったい気がします。
・不妊の悩み→息子が生まれ、二年後にはまた妊娠している
・ポンコツ車→匿名の人物からピックアップ・トラックが寄付される
・コーチの家の中の不快な臭い→床下でネズミが死んでいたと分る【これはなくもがなの要素】
・信仰心厚い妙な老人の存在→後にコーチに『黙示録』を読み聞かせる
・薄給のコーチの家の故障だらけの電化製品→昇給
・父親に楯突く不信心な息子→信仰心の覚醒後、父親を敬うようになる
・へたくそなキッカー→上達
・車椅子の父親が、ペンキ塗りのために痛みをこらえて立ち上がる→山場の息子のフィールドゴールのために立って見せる
・選手たちの55点の答案→信仰心覚醒後100点満点
TVのドキュメンタリーの編集室では、壁に左から右へ番組の大きな流れの大見出し(イントロ、人物紹介、事件等々)を書いた名刺大のカードをならべ、その下に撮影されたシーンの小見出しを記したカードをペタペタ貼って行きます。そのカードを左から、そして上から下へ読んで行けば番組の流れがイメージ出来ます。これらのカードは、よりよい構成を目指してしょっちゅう並べ替えられます。この映画の脚本を書いた兄弟も、この方式で脚本を書いたのでしょう。「こういうシーンを突然出すのはどうかな」、「ここで布石を打っとこうじゃないか」、「そう云えば、このシーンの布石もないぜ」などと云いながら、カードを足したり入れ替えたりしたのではないでしょうか。

この映画のいいところはコーチとチームが「勝利を願って祈る」のではないことです。勝利を願うのは相手チームも同じでしょう。'The Red Badge of Courage'『勇者の赤いバッジ』(1957)で書いたように、南北戦争では南軍も北軍も同じ神に「自軍を勝たせて」と祈りました。戦争もスポーツ試合も、どちらかが敗者にならざるを得ません。神様も困ってしまいます。負けたら負けた側の人々は信仰を捨てるのか?そうも行かないでしょう。事実、アメリカ南部は南北戦争以前も敗戦後も信仰心厚い土地として知られています。この映画のテーマは、「フットボールは神を讃える手段の一つに過ぎない」という点であり、勝っても負けても神を讃えるのです。これは日本の相撲の生い立ちに類似しています。相撲はもともとは神に捧げる奉納相撲でした。勝ち負けよりも、神様を楽しませるエンタテインメントだったのです。神様のためであれば、勝者も敗者も傷つくことはありません。負けたからといって信仰を失うこともありません。

この映画のクライマックスは51ヤードのフィールド・ゴールです。39ヤードまでしか練習したことのない選手が、いきなり本番で51ヤード?小柄で、自ら非力を自認している選手が?Googleで "50 yard field goal"と検索すると様々な事例が出て来ますので、51ヤードのフィールド・ゴールは可能ではあるようです。ゴルフでは打つ前にボールの軌道をvisualize(視覚化する)ことが重要とされています。見事に成功するショットを心に思い描けば、脳と筋肉の連係プレイによってそのショットが現実のものとなるというセオリーです。ただし、「練習をしたこともないショットを視覚化しても無駄である」とも云われています。脳と筋肉のデータベースに過去のデータの蓄積がない以上、脳はどう筋肉に指令を発したらいいか分らないからです。この選手の場合、彼の経験より16ヤードも遠くへのフィールド・ゴールは、再現すべき過去のデータが皆無なのですから、ボールの軌道の視覚化すら出来なかったことでしょう。奇跡を願うという以上に、"mission impossible"(遂行不可能な使命)だったと思います。

(November 02, 2007)





Copyright © 2001-2011    高野英二   (Studio BE)
Address: Eiji Takano, 421 Willow Ridge Drive #26, Meridian, MS 39301, U.S.A.