[Poison] Ghosts of Mississippi
『ゴースト・オブ・ミシシッピー』

【Part 2】

1988年(この映画の9年前)に公開された'Mississippi Burning'『ミシシッピー・バーニング』と同じプロデューサーが製作にあたりました。あちらは「実際の事件とは関係無い。事実にインスパイアーされたフィクションである」と断っています。'Mississippi Burning'を観た人々は、白人も黒人も批判的だったそうです。この'Ghosts of Mississippi'の検事補のモデルになった人物は、当初'Mississippi Burning'と同じプロデューサーというので、協力するのを渋りました。しかし、この映画では可能な限り事実に即して描くという方針を知り、態度を変更したそうです。

この映画で一際目立つのがJames Woodsの存在です。別の役でオーディションに招かれたのですが、白人至上主義者であり殺人者である男の役をやらしてくれと頼んだそうです。彼はこの映画の台本を読み、この男を心から嫌悪しましたが、役者としてはこの役に魅力を感じました。ニュースのヴィデオを見て、男の喋り方や仕草を研究したそうです。James Woodsは当時48歳で、プロデューサー達はとても彼が73歳の老人を演じられるとは思いませんでしたが、James Woodsは「あなた方を納得させることが出来る。お見せしよう」と云って、台詞を読み始めました。あまりにも本物そっくりで、一同を唖然とさせたそうです。

James Woodsは、冒頭の公民権運動リーダーを射殺するシーンでは素顔のままですが、30年後のシーンでは見事な老人に変身します。傲慢不遜、頑迷固陋、傍若無人な実にイヤらしい人物造形で、この年のアカデミー助演賞候補に選ばれました(ただし受賞せず)。頭が禿げ上がり、皺が深いという、手の込んだメークにより、アカデミー・メイクアップ賞候補にもなりました(これまた受賞出来ず)。真夏の南部で顔全体に特殊メークをするのは相当辛いことで、James Woodsは二度も失神しかけたそうです。ただ、演技は素晴らしいのですがJames Woodsは熱演し過ぎだったと思います。あるラーメン屋の親父が「最初の一口目では、随分薄味だな…と思うぐらいのスープが丁度いい。最初にいい味と感じるスープは、最後には塩辛くてとても飲めなくなる」と云いました。James Woodsは最初の一口から、出る場面全てで熱演するので、段々クサくなってしまうのです。賞を逃がしたのも、そういう理由からではないでしょうか。

実話だそうなので、現実に起った話に文句は云えません。また、あまり文句を云う要素も無いのです。法廷場面もディゾルヴを多用してうまく時間を省略していますし、実際にはさほど重要性の無い証人喚問もほどほどに興味深く見せています。

Alec Baldwinの奥さんが彼を見捨てるというのも事実ですから仕方がありません。彼女は'Dixie'と名付けられたことから分るように、最も南部的、差別的な判事の娘でした。しかし、ああまで強烈に自己主張するんですかね。映画の前半では夫婦の関係は悪くないので、Alec Baldwinは幼い娘への子守唄として南軍の行進歌'Dixie'を歌います。二人の間が冷たくなった後半では、もう'Dixie'を歌う気になれません。

最後の裁判がAlec Baldwinに味方したのは、12人の陪審員のうち8人までが黒人だったという点です。実は陪審員候補としては普通数倍の人数が用意されていて、裁判開始前に原告側、被告側が陪審員の適・不適を審査する過程があります。ケースによって、陪審員の年齢、性、人種が大きくものを云いますから、双方とも自分に都合のいい陪審員を多く獲得しようとします。この事件の場合、経過は不明ですが、原告側がスタート地点から有利だったことは明白です。

Whoopi Goldbergのモデルとなった女性は、その後亡き夫が属していたNAACP(エヌ・ダブルエー・シー・ピー、National Association for the Colored People=全国黒人地位向上協会)の議長に就任したそうです。

こういう映画が出来、'Remember the Titans'『タイタンズを忘れない』に出て来るように黒人と白人との間に友情が芽生える時代となっても、差別が根絶されたわけではありません。J.F.K.以前は学校、食堂、待合室、トイレ、乗り物(バス)など、全てに「黒人用」というのがあったそうです。うちのカミさんはそれらをよく覚えています。そう遠い昔の話ではないのです。K.K.K.もいまだに水面下で存在します。Tiger Woods(タイガー・ウッズ)ほどの大物でも、今なおプレイ出来ない白人専用ゴルフ・コースも少なくありません。また、「白人が黒人を嫌悪するのと同じように、黒人にも白人を嫌悪する人間がいる」と云われるほどで、両者の垣根は取り払えないのかも知れません。しかし、仮にそうだとしてもこの事件のような暴力はあってはならないことです。

この映画が、"Deep South"(アメリカ深南部=封建的、差別的地域)の古臭さ、恐ろしさを世界に曝し、旧弊な人々への警鐘の一つとなったと信じたい思いです。

'A Time to Kill'『評決のとき』、'The Chamber'『チェンバー 処刑室』と同年に後追いで公開されたため、“ミシシッピもの”、“黒人もの”、“裁判もの”に食傷気味となっていた批評家たちからケナされ、それが興業成績に悪影響を与え、この映画は成功したとは云えませんでした。しかし、一般公開時のカリフォーニアのある劇場では、判決が下ったシーンで満場の拍手とスタンディング・オベーションが見られたそうです。映画館の暗闇でスタンディング・オベーションというのも感動的です。私の感想としても、上記二作があまり納得出来ないフィクションであるのに較べ、ほぼ事実に即した『ゴースト・オブ・ミシシッピー』は良心的でいい映画だと思います。

(February 14, 2001)


【Part 3】

この映画のDVDにはコメンタリーも'Making of ..."もありません。あるのは予告編と英語字幕のみという寂しさ。私が2001年に観たのはVHSでしたから、英語字幕を読むだけでも何か発見があるか?と思い、DVDをレンタルしてみました。別に大した発見はありませんでした。

映画の最初の方のレストランのシーンで、Alec Baldwinの義父が注文しAlec Baldwin以外の全員が食べることにする料理crawdad chowderというのは何かと思ったら、ザリガニのチャウダー(魚介や肉を牛乳で煮込んだスープ)だそうです。ザリガニは普通crawfish(クローフィッシュ)と呼ばれるので見当がつきませんでした。

Medgar Eversの兄はラジオのDJをやっていますが、映画の中で彼がかけるレコードはミシシッピ州生まれのブルースの大物Robert Johnson(ロバート・ジョンソン)の歌です。Robert Johnsonについては、当サイトの'Crossroads'『クロスロード』(1986)という作品を御覧下さい。

Medgar Eversの長女(成長後)を演じているのは、キング牧師の長女Yolanda King(ヨランダ・キング、女優)でした。

観直してみて痛感したことですが、Whoopi Goldbergはやはりミス・キャストですね。彼女が演じたMyrlie Evers(マーリィ・エヴァーズ)という女性は、祖母、母と二代にわたる教師に囲まれ育てられた賢い女性なのです。Whoopi Goldbergにはそういう要素が全く感じられません。ま、製作者とすれば人気のある黒人女優で観客動員を狙ったのでしょうが、この配役は失敗と云っていいでしょう。

この映画の題材となった事件については私の『公民権運動・史跡めぐり』の中の「ミシシッピ州NAACP代表メドガー・エヴァーズの暗殺 (1963)」(http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_12.html)をお読み下さい。特に【詳細3】と【詳細4】をクリック表示させると、この映画に関連した興味深い実話を読むことが出来ます。映画の主人公である検事補が行なった見事な反対尋問は、実は彼のボスの検事Ed Peters(エド・ピータース)によるものであったことなどが分ります。

K.K.K.秘密集会で容疑者Bylon De La BeckwithがMedgar Evers殺害を自慢した事実を自著に記したDelmar Dennis(デルマー・デニス)は、元K.K.K.メンバーでしたがFBIのスパイとなってK.K.K.の動向を伝える役目をした人物。彼が生存していることを知った検事たちは面会を求め、Delmar Dennisが指定した場所に赴きます。映画では、この会合はギリシャ・ローマ風円柱だけが残るWindsor Ruin(ウィンザー家の廃墟、ミシシッピ州南部)になっていますが、実際にはDelmar Dennisが住んでいたテネシー州の山中で行なわれました。Windsor Ruinは元荘園主の豪邸ですが、南北戦争で焼かれたわけではなく、失火で消失して円柱だけが残ったのだそうです。現在は観光名所。

Bobby DeLaughter(ボビィ・デローター、Alec Baldwinが演じた検事)の、この一件に関する回想録'Never Too Late'(2001年出版)によれば、彼は「最終論告を終えた後、最終弁論を聞くと『たわ言だ!』などと喚きそうになるのが恐く、検事生活で初めて最終弁論を聞かずに退廷してしまった」と書いています。映画では最終弁論が先で、最終論告が後になっていますが、実際には最終弁論が後だったわけです。もちろん、検事を主人公にした映画なので、演出上変えたのでしょうが。

この映画の最後の字幕では「1994年11月、Bobby DeLaughterはミシシッピ州控訴裁判所判事に立候補したが敗れ、地方検事の職に留まっている」となっています。しかし、彼は1999年12月に州知事によってHinds County(州都Jacksonを含む大地域)の判事に任命されました。2001年には、この事件の捜査と裁判経過、Medgar Evers夫人(Whoopi Goldbergが演じた人物)との経緯などを克明に盛り込んだ回想録'Never Too Late'を出版しました。こうして彼はミシシッピ州のヒーローの一人になったのですが、2008年に入って汚職事件の渦中の人物となっています。当人は否定していますが、収賄の疑いをかけられて、現在究明を待って休職中です。シロであってほしいものです。

(April 12, 2008)


【Part 4】

2010年1月4日、Bobby DeLaughterはケンタッキー州の連邦刑務所に入り、そこで18ヶ月暮らすことになりました。

上のMedgar Eversの事件当時、Bobby DeLaughterは検事補でした。この事件の勝利には上司である検事Ed Peters(エド・ピーターズ)の力も大きかったことは「公民権運動・史跡めぐり」で触れた通りです。

ある大富豪のビジネスを巡る訴訟事件が、Hinds County(ハインズ郡)巡回判事となっていたBobby DeLaughterの手に廻って来ました。大富豪はBobby DeLaughterに影響力があると思われたEd Peters(引退済み)を100万ドルで雇い、Bobby DeLaughterに裁判で大富豪の有利になるよう働きかけさせました。FBIの調べにBobby DeLaughterは「Ed Petersと話をしたことはない」と答えたのですが、Ed Petersは刑事責任を問われないことを条件に、Bobby DeLaughterに働きかけたことを既にバラしていました。まさか、元のボスがそんな裏切り行為をするとは思わず、元ボスを庇うつもりで事実を否認したBobby DeLaughterが馬鹿を見ることになったわけです。

2009年11月、Bobby DeLaughterは潔く偽証の罪(収賄の罪ではありません)を認め、裁判はスピーディに結審しました。彼の弁護士は「100万ドル受け取った人間(=Ed Peters)が魚釣りを楽しんでいて、Bobby DeLaughterが刑務所に行くというのは妙な話だ」と記者団に語りました。大富豪は既に贈賄・買収の罪で7年の刑に服しており、Ed Petersは無罪放免ですが、100万ドルのうち残った分を返却したそうです。

(January 04, 2010)


【Part 5】

'Based On A True Story' by Jonathan Vankin and John Whalen (A Cappella Books, 2005)という、実話を元にした映画100本を検証する本を読みました。その中の'Ghosts of Mississippi'『ゴースト・オブ・ミシシッピー』の章から、これまでの私の紹介に漏れていた部分だけ引用します。

「監督Rob Reiner(ロブ・ライナー)は『人々は映画から歴史を学ぶ。私はその責任を痛感し、真剣に歴史的に正確であろうと努めた』と云っており、普通なら冒頭で"based on a true story"と表示するところを"This Story is True."と宣言しているほどだ。暗殺された公民権運動リーダーのMedgar Eversの兄は『90%は事実だ』と云っており、Medgar Evers未亡人もこの映画の事実に忠実な点を賞賛し、家族を出演させているほどだ。

この映画にまつわるお話は事実を巡るものではなく皮膚の色に関するものだ。黒人映画監督Spike Lee(スパイク・リー)は『Medgar Eversの物語は黒人映画監督によって作られるべきである。白人監督にはMedgar Eversを通して黒人のアイデンティティーの崩壊について語ることなど出来っこない』と攻撃した。

'Mississippi Burning'『ミシッピ・バーニング』(1988)が公開された時、ハリウッドへの苦情の主なものは白人のヒーロー抜きで公民権運動の苦闘を描けないのか…というものだった。'Mississippi Burning'はフィクションだった。'Ghosts of Mississippi'は違う。しかし、ヒーローが白人であることに変わりはない。

被疑者Bylon De La Beckwithは二度の裁判が"hung jury"となり、無罪ではなかったので事件は相変わらずオープンのままだった」

【註】私は以前「二回の裁判でBeckwithは無罪となった」と書いていましたが、これは完全な間違いでした。"hung jury"は「不一致陪審」と訳し、「有罪・無罪の評決が出せない」場合だそうです。このように、結審していない限りは何度でも再審が行なえるので、それでこの映画のように30年後でも蒸し返すことが可能なわけです。無罪ではなかったのでした。

「地方検事補Bobby DeLaughterは五年間調査をした。重要な証拠物件である銃がBobby DeLaughterの義父である元判事のコレクションの一つになっていたというのは、まるでハリウッド映画風であるが、これは紛れもない事実だった。

本物のBobby DeLaughterは、娘を寝かしつけるために'Dixie'を歌うという習慣はなかった」

(December 22, 2010)





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