[Poison]

A Face in the Crowd

群衆の中の一つの顔

【Part 2】

Elia Kazanによる'East of Eden'『エデンの東』は私が中学生の頃日本で封切られました。田舎町に住んでいた中学生もJames Dean(ジェイムズ・ディーン)という新星が登場したというニュースは知っていて、田舎町からもう一寸大きな田舎町まで自転車を漕ぎ、素晴らしいシネスコの画面と憂い顔のディーンの表情に打たれて帰って来ました。

同じ監督が作った'A Face in the Crowd'『群衆の中の一つの顔』を何故観なかったのか?公開に先立ってAndy Griffithが歌う'Mama Guitar'『ママ・ギター』がヒットしました。日本のラジオでも上位に入った記憶があります。私はこのロカビリー調の歌が嫌いでした。内容の無い、単調な歌だと思ったのです。このAndy Griffithの顔も嫌いでした。二枚目とは云えず、野性的とも云えず、何か生臭い顔としか思えませんでした。さらに、この映画がマスコミに乗せられて時代の寵児となり、生意気な言動で転落する男の悲劇だということも知っていました。観たくなる理由は何一つ無かったのです。

この“南部もの”も“ホーム・ストレッチ”に差しかかり、気になる作品はそう多くなくなって来ました。この'A Face in the Crowd'は知名度もあり、Elia Kazan監督作品ということで、気になる映画ナンバー・ワンでした。

シネマスコープはTVに対抗して生まれた方式ですが、1955年の'East of Eden'『エデンの東』がシネマスコープの横長画面を駆使した最初の名作として評価されたことで分る通り、この時代は映画がTVに押され必死で巻き返しを図っていた頃です。そこでTVというマス・メディアの裏側を抉るというこの映画のテーマは、映画界からTVへの逆襲の意味もあった筈です。

では、そういう物語が面白いか?というと、当時はともかく今となっては疑問です。田舎の流れ者が人気者になり、次第に怪物化していく過程は興味深いとはいえ、そう目新しい内容でもありません。主人公が転落するのも、Patricia Nealの個人的な行動によるものというのが、ちとお話を小さくしています。

その墜ちた偶像ですが、この映画の一年前に封切られた'Giant'『ジャイアンツ』に何と似ていることでしょう。ゲストがいない空っぽのディナー・テーブル、主人公の一人だけの演説。偶然の一致としてもソックリなのが気になります。また、ラストでAndy Griffithが女性主人公をビルの屋上から呼ぶ「マーシャー!」という呼び声は'A Street Car Named Desire'の「ステラー!」を想起させます。

私も大きなメディアに身を置いていたことがあり、こういう推移を身近に体験して来ました。何ということの無い小娘がアナウンサーとして入って来て、当初は「よろしくお願いしま〜す!」と誰彼なくにこやかに挨拶し、私のような経験を積んだカメラマンのアドヴァイスにも真剣に頷きます。数年後、たまたま彼女が人気が出て看板アナウンサーになると、もう態度がガラッと変わります。そういう連中の中には巨大メディアによって支えられている人気が、あたかも自分のカリスマ的キャラクターによるものと錯覚し、まだまだアナウンサーとしてもひょっ子なのに参議院に立候補したりします。私に云わせれば「馬鹿じゃないの?」です。そして、彼女に投票する人々も「馬鹿じゃないの?」です。つまり、この映画は真実を衝いていると云えます。但し、映画では偶像は墜ちますが、実社会の偶像は中々墜ちません。そこが腹立たしいところです。女性アナウンサーを例に取りましたが、男性アナウンサーや記者も同じことです。視聴者の皆さんは御注意下さい。

(June 01, 2002)





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