[Poison] Easy Rider
『イージー・ライダー』

【Part 2】

長髪、サングラス、「普通の人々」とは云えない服装、オートバイ、これらは旅が南下するに従って地元住民の反感を買います。流れ者という、“得体の知れない奴等”の範疇であることも嫌悪される原因です。事実、彼等は麻薬の売人であり、麻薬常習者でもありますから、地元民の直感は正しいわけです。

旅の開始にあたって、Peter Fondaは腕時計を投げ捨てます。格好いいアクションでもありますが、彼等が二度と通常の生活には戻れないことを暗示しているようでもあります。

各地で食事を恵んで貰ったりした時、「ここをどう思うか?」と聞かれます。「いい土地だね」と応えるしかないわけですが、土地に定着して幸福な人達と根無し草である青年二人の虚しさが際立ちます。

人々の「食前の祈り」は神の恵みに感謝する内容ですが、感謝すること自体が何らかの満足感の表明であり、祈ることをしない青年達には満足出来るものが無いことも暗示しているようです。

いつもマリファナ煙草を喫煙するのも、そうした満足感の無いやるせなさ、苛立ちから来るものでしょう。

Jack Nicholsonはマリファナに溺れることを恐れて吸いたがりません。しかし、他の二人との連帯意識を損なわないために、「一寸見せてくれ」とマリファナ煙草を受け取り、しげしげと観察したり、匂いを嗅いだりします。それだけではやはり若者二人から除け者にされそうなので、付き合いで吸うことを決断します。この辺の感情の揺れ動きがきちんと演じられています。

Dennis Hopperから"dude"(デュード、「気取り屋」)と云われて、Jack Nicholsonは「"dude"って、どういう意味だい?」と聞きます。Peter Fondaが苦し紛れに「"nice guy"というような意味だ」と説明します。この言葉はこの当時に広まった比較的新しい言葉なんですね。

南部に入って、地元民の敵視を浴びた後、Jack Nicholsonが“解説”します。「あんた方は“個人の自由”を象徴してるんだ。連中はその“個人の自由”が恐いんだ」。ヒッピー、オートバイ、奇抜な服装、非定住者、そういう生き方が地元民を恐がらせるというわけです。これが“予言”となり、流れ者のヒッピーに不快感を持つ連中が忍び寄って来て、三人を袋だたきにし、Jack Nicholsonは殺されます。アメリカ南部の映画には、すぐこういう暴力が出て来ます。相当凄い地域なんですねえ。住んでいてそういう気はちっともしないのですが。

売春婦とニューオーリーンズ名物のお墓に行き、麻薬に耽りつつセックスするシーンは、ここだけ16mmで撮られたそうです。35mmにブローアップされた荒い粒子、ソラリゼーション、手持ちカメラなどにより、LSDのサイケデリックな幻覚を視覚化しようとしています。この後日本では、TVの若者向けドラマとか抽象的イメージを駆使したドキュメンタリーには、この手法が広く応用されました。今でも健在の手法でもあります。

いい奴だったJack Nicholsonに次いで、“個人の自由”の象徴である二人も何のためらいもなく殺されてしまいます。ここでは、南部の恐ろしさを描くというよりも、本当に“個人の自由”なんてあるの?いとも簡単に圧殺されてしまうんじゃないの?と問いかけているようです。“自由”が殺されたことへの怒りが生まれればいい…という、そんな製作者達の意図のように思えます。

発表当時新しかったものは、全て風化してしまいました。それゆえ、製作者たちが遊びながら作ったホーム・ムーヴィ的骨格だけが残った感じです。

(February 26, 2001)





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