[Poison] Driving Miss Daisy
『ドライビング・MISS・デイジー』

【Part 2】

場所について字幕が出るわけではありませんが、車のナンバー・プレートがアップになり、GA(ジョージア州)という文字と"Peach State"という表示が読めます。ジョージア州の州花は桃ではないのですが、特産である桃は州のシンボルだそうです。州都アトランタには"Peachtree"という言葉が付く地名がやたらにあるほどです。映画の前半で、咲き乱れる桃の花が華麗にモンタージュされます。

【2007年補記】元の戯曲はジョージア州アトランタの物語として書かれていたそうです。

Miss Daisyを乗せた最初のドライヴで、HokeはPiggly Wiggly(ピグリィ・ウィグリィ)という食料品店へ車を走らせます。Piggly Wigglyは主に南部一帯をカヴァーする食料品のフランチャイズです。「Piggly Wigglyは安い」とHokeが主張しますが、Miss Daisyは聞きません。

亡き夫のお墓参りで、Miss DaisyがHokeに「Bauerというお墓を探して」と指図しますが、Hokeは途方に暮れたように動こうとしません。「どうしたの?」「あっしゃあ、字が読めねえんでさ」「でも、いつも新聞を読んでるじゃないの」「ええ、まあ。新聞には写真もありやすから…」愕然とするMiss Daisy。ABCは解るというので、"Bauer"の最初はBで最後がRであると教えます。Hokeは目出度くBauer家の墓を探し当て、字が読めたことに感謝します。悲しいけれどいいシーンです。ついでですが、アメリカの文盲率は今でも高い状態にあります。それが黒人達やヒスパニック系によって作られている数字であることは間違いありません。さらに、アメリカの中で文盲率最高なのはミシシッピ州です。これは州の教育予算の問題でもあります。

Miss DaisyとHokeがアラバマへ旅行する途中、警官から職務質問を受けます。この時、警官が"Boy!"とHokeに呼びかけます。大人の黒人男性に"boy"、女性に"girl"と呼びかけるのは、蔑視の端的な表現です。警官はHokeが高級車を運転していることに疑念を持ったわけですが、Miss Daisyの登録証と「私の車だ」という言葉で納得します。しかし、彼女の姓Werthanがユダヤ系であることに気付き、二人を見送りながら「黒人の爺いとユダヤの婆あときたもんだ。哀れなコンビじゃねえか」と呟きます。御存知のように、K.K.K.が迫害の対象にしたのは、黒人とユダヤ人でした。

Miss Daisyがナーシング・ホームに行く前ですが、彼女はHokeに"You are my best friend."(あなたは私の一番のお友達よ)と云い、彼の手を取ります。彼女の目からはいい友達でしょうが、Hokeからすればいい雇い主ではあっても“友達”ではありません。友達とは一緒のテーブルでお茶を飲んだり、食事をしたり、カード・ゲームをする仲を云う筈です。Hokeも一旦は否定しますが、逆らう必要もなく彼女に手を握られたまま立ち尽くします。

ラスト・シーンは数(十?)年後と推定されます。Hokeはもう運転を諦め、誰かの車で送り迎えされる状態になっています。感謝祭の日に、Hokeはナーシング・ホームにいるMiss Daisyから招ばれます。Miss DaisyとHokeは初めて同じテーブルに一緒に座ります。時代が変わったのです。手が震えてパンプキン・パイを食べられないMiss Daisyに、Hokeが一口一口フォークで食べさせます。嬉しそうなMiss Daisy。涙を流させることを目的としていない、非常に控え目な脚本、演出がいいと思います。

ところで、このラスト・ショットが窓の外から撮られたものであることが後に分ります。去って行く車がガラスに映るのです。Hokeを連れて来た息子の車でしょうか?だとすると、Hokeは歩いて戻らなくてはなりません:-)。それとも、二人を結びつけた“車”というものをシンボルとして最後に登場させたのでしょうか?私には理解出来ませんでした。

(March 7, 2001)


【追記】

こういう老女を"Miss Daisy"という呼び方に疑問を持たれる方もおられるかも知れません。若くても年寄りでも、夫がいなければ"Miss"でおかしくありません。最近では、「結婚しているかどうかは個人にとって問題ではない」とする理由で、"Miss"とも"Mrs."ともつかぬ"Ms."(ミズ)が使われるようになっています。この映画の場合、主人公は古い世代なので"Ms."は馴染まないのでしょう。

うちのカミさんの母親も寡婦ですが、電話番号簿はまだ夫の名前のままで、手紙の差出人欄にはMrs. Stacey J. Wellsと、旦那の名前に"Mrs."を足して使っています。まだ夫が存命のようなイメージにしているわけです。女性一人の世帯と分ると泥棒や強盗に狙われやすいから…という心配からだそうです。

(April 18, 2001)


【Part 3】

この映画のDVDのCommentaryを聞き、様々な裏話を聞くことが出来ました。。

この映画の原作戯曲を書いたAlfred Uhry(アルフレッド・ユーリィ)はアトランタの生まれ育ちで、この物語は彼の母方の祖母をモデルにしたもの。祖母は実際に映画のように事故を起こして以来、息子が雇った黒人運転手と25年間の交流を重ねたそうです。

原作戯曲は老婦人と黒人運転手、老婦人の息子の三人だけ。初演は74人分しか座席のないオフ・ブロードウェイの小劇場で演じられ、二つのスツールが車を表し、ソファが室内を表すという、とてもシンプルなものでした。舞台は成功し、20週上演し、その後次第に大きい劇場に移りながら三年間ものロングランを続けました。当時のMorgan Freemanは、数本の映画に出ただけで、スターではありませんでした。

この映画で使う家を探したスタッフは、アトランタ周辺で昔のままの家を沢山見つけましたが、どれも台所がモダンに改造されており諦めざるを得ませんでした。映画で使われた家は台所も手をつけられていませんでした。プロデューサーたちはこの家を撮影期間レンタルしました。資金がないためセットを建てられずオール・ロケでしたから、カメラとカメラマンを押し入れに入れたりして撮影したそうです。

物語は25年の長年月わたり、四季も描き分ける必要がありました。雪のシーンはストック・フーテージ(借り物映像)と加工した映像だそうです。撮影は晩春に行われましたがとても暑く、Dan AykroydとMorgan Freemanは鬘や老けのメークアップのため悲鳴を挙げたそうです。メークは15分経つと熱と汗で流れてしまい、大変な撮影だったようです。メーク部門はこの映画でアカデミー賞を受賞しました。

普通、ユダヤ人の多くはクリスマスではなくハヌカを祝い、時期も行事も異なります。映画のMiss Daisy(ユダヤ人)の息子は一般的クリスマスを祝っていて、一寸異質に見えます。「しかし、この当時のアトランタではユダヤ人は少数派で、ハヌカではなくクリスマスを祝っていた」と原作者が語っています。

(August 10, 2012)





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