[Poison]

A Streetcar Named Desire

『欲望という名の電車』

【Part 2】

この映画に対する「私の評価」(☆☆)は世評を無視した極めて個人的なものです(他の作品の評価も個人的なものですが、この一本ほど世評と格差のある評価も珍しい筈です)。原作戯曲は名作とされ、ピューリツァー賞を得ています。世界中の女優がこの主役を演じたがります。狂女のような振幅の大きい役は、女優にとってとても魅力的なのでしょう。日本では文学座の至宝の演し物として、杉村春子、北村和夫のコンビが長年にわたって演じていました。演劇青年だった私は、過去にこの戯曲を読んだこともあり、映画も杉村春子の舞台も観たことがあります。しかし、どうにも重苦しいこのストーリイが好きになれません。人生が常に楽しいものではないところに、なぜこんな重苦しいものを付け加えなくてはならないのか?…と疑問でした。映画や演劇はエンタテインメントであり、たとえシリアス・ドラマであったとしても人生の発奮剤とも云える感動を与えてくれるものというのが私の定義です。私にとって、この映画の主人公は特殊過ぎて、演技もエンタテインメントの域を越え、気が滅入るだけの物語にしか思えません。

Blancheは若く優雅な女を気取っていますが、実際には厚化粧に素顔を隠し、常に明かりを避け、夕方しかデートをしないという、年齢をひた隠す「虚飾の人」です。若くして結婚したものの、夫は自殺し、親が遺した土地も人手に渡し、ホテルで売春をし、17歳の生徒を誘惑したことで高校教師の職から追われます。どこにも行き場が無く、ニューオーリンズの妹を頼るしかなかった。しかし、名家の娘として育った誇りを今でも引き摺っていて、それを周囲に認めさせようとします。過去も現在も虚飾的言動で隠しているわけです。その幻がStanleyによって壊されると、幻を取り戻すためには狂わなくてはなりません。全く救いの無い人物です。そういう人間もいるし、そういう状況もあるでしょう。しかし、Tennessee Williamsがこの戯曲で何を伝えたかったのか、正直に云って、私には分りません。

Tennessee Williamsは「孤独」を描いた作家であると云われます。確かに、絶望的なまでに行き場の無い孤独が描かれています。1947年という発表時の時代背景からすると、ノイローゼとか鬱病、精神分裂症などが現代病として表面化して来た時代なのかも知れません。

私が主役のVivien Leigh(ヴィヴィアン・リー)を誉めないのは、彼女はいつも薄暗がりに位置したがるようなオールド・ミスに見えないからです。舞台では良かったかも知れませんが、映画では美しさを隠せません。私が観たほぼお婆さんに近い杉村春子のBlancheはちと無理がありましたが、でもVivien Leighよりはオールド・ミスの悲哀、焦りなどを表現するのに適していました。もともと、ブロードウェイのオリジナル・キャストでは'Driving Miss Daisy'『ドライビング・MISS・デイジー』などのJessica Tandy(ジェシカ・タンディ)でした。彼女であればベラボーに美しいわけではないので、Blancheに相応しかったでしょう。しかし、興業的打算から、'Gone With the Wind'『風と共に去りぬ』で世界的に有名になった女優を使うことに決定したようです。興行的には成功を納め、Vivien Leighはアカデミー賞に輝きましたから、製作者の目論見通りだったわけですが、私には彼等の選択は誤算だったとしか思えません。

Blancheが住んでいた土地は"Laurel, Mississippi"(ミシシッピ州のローレル)と紹介されています。彼女の誕生日にStanleyが意地悪くプレゼントするのはLaurel行きのバスの切符です。このLaurelですが、実は私の町からニューオーリンズ方向に向うと、車で40分くらいの距離にある隣町なのです。小綺麗な佇まいの家が連なり、落ち着いた平和な町に見えます。なぜ、この町をTennessee Williamsが選んだのか分りませんが、列車でも直通でニューオーリンズに行けること、バスでも三時間ほどであることなどが理由でしょうか。

一度は観なくては話にならないが、二度観るのは辛いという映画です。私は計三度観てしまいましたが:-)。

(February 25, 2001)


【Part 3】

この映画のボーナスDVDを観ました。一枚のDVDが6パートに分かれています。

1) Elia Kazan: A Director's Journey(1994年製作、約95分)

ギリシア人の血を引き、トルコで生まれ、アメリカにやって来たElia Kazanの半生が俳優Eli Wallach(イーライ・ウォラック)のナレーションで綴られます。Elia Kazan自身が、様々な節目や舞台・映画製作について語っています。

これによれば、彼はカレッジを卒業すると映画監督になりたかったが、すぐなれるものでもなく、とりあえずグループ・シアターというのに入り、スタニスラフスキー・システムを学んで舞台俳優になります。彼は舞台俳優として成功しますが、彼の望みは常に映画監督になるということでした。彼は演劇仲間数人とともにハリウッドに行き、映画俳優としてのスクリーン・テストを受けます。いくつかの端役は得られましたが、まだ映画に移行するところまではいかず、メインは舞台でした。

演劇の方は俳優としても演出としても成功し、彼と仲間たちはブロードウェイに進出します。その成功により、遂に念願の映画監督の座も転がり込んで来たという出世噺。彼がマッカーシーの「赤狩り」で転んだことも出て来ます(ただし、Elia Kazanの証言は無し)。

2) A Streetcar on Broadway(2006年製作、約22分)

『欲望という名の電車』ブロードウェイ初演にまつわる思い出話。Elia Kazan、Karl Malden、Kim Hunterそして映画史研究家Rudy Behlmerと'Elia Kazan: A Biography'の著者Richard Schickelらが登場します。

Marlon Brandoを強く推したのはTennessee Williams自身だったそうです。

Karl Maldenはこの戯曲を読みながら、その内容に打たれて泣きました。アイロン掛けしていた妻が「何を泣いてるの?」と聞くので、彼が替わってアイロンを掛け、妻が読み出し、仕舞いに妻も泣き出したそうです。彼は「どうあってもこの舞台に参加したい」と製作者に掛け合いに行き、Mitch(ミッチ)の役を手にします。

舞台は大成功でしたが、当時の批評家たちはあまりMarlon Brandoを高く評価しなかったそうです。それでも、この舞台は二年ものロングランとなりました。

3) A Streetcar in Hollywood(2006年製作、約28分)

映画会社はこの戯曲の内容が物議を醸すものであることを知っており、どこも映画化に二の足を踏みました。しかし、ワーナーが映画化に踏み切り、Elia Kazanに監督させることになります。

Tennessee Williams自身が翻案として加わり、「映画にするのだから…」と、最初はBlancheとStellaの故郷であるLaurel, Mississippiから話を始めるという案も出たそうです。しかし、結局戯曲に即して映画化するということに落ち着きました。

Jessica Tandy以外の全ての俳優が映画に参加しました。Karl Maldenは「このことについて話したことはないが、Jessicaは傷ついたと思う」と述べています。当然ですがね。

Marlon BrandoとKarl Maldenは「Jessica TandyとVivien LeighによるBlancheのどちらがいいか?」について何度も話したことがあるそうです。Karl Maldenは「Jessica Tandyの方がいい。Vivien Leighは常にセクシー過ぎる」と主張。Marlon BrandoはVivien Leighがいいと云いました。Karl Maldenは「Marlon Brandoもセクシーな俳優だったから、セクシーなVivien Leighがよかったのだろう」と云っています。

監督Elia Kazanは「映画も好きだが、舞台はもっと良かった。Vivien LeighよりJessica Tandyの方が良かった」と断言しています。

4) Censorship and Desire(2006年製作、約16分)

当時の映画は、現在よりも厳しい検閲を受けねばなりませんでした。台詞も映像もです。

この『欲望という名の電車』の場合、三つの難問がありました。
・Blancheの過去の未成年男子との性関係
・Blancheの若い夫の同性愛の傾向
 以上はどちらも当時の映画界では御法度だったため、台詞は曖昧にぼやかされました。元の戯曲を知らないと、映画だけではわけが分らない結果となっています。
・BlancheがStanley Kowalskiにレイプされるシーン
 これは寸前までを描くものの、鏡が割れるカットでストップし、後は観客の想像力に委ねることになりました。

こうして映画は完成したのですが、さらに難題が降り掛かりました。カソリックの団体が内容にいちゃもんをつけ、映画のボイコットも辞さない構えを見せたのです。製作者はカソリック系の映画関係者に試写させ、問題点を指摘して貰いました。その結果、撮り直しの必要はないが、かなりの編集し直しをしなければならないことになりました。多くはセックスを匂わせるあからさまな台詞で、それらは細かくカットされました。驚くべきは次のような点です。終盤でMarlon Brandoが「ステラーっ!」と怒鳴る有名なシーン。二階の部屋にいる妻Stellaがそれを聞きつけ、ゆっくり立ち上がります。その後は彼女が階段を下りて行くシーンとなるのですが、そのゆっくり立ち上がるシーンがカットの対象となったのです。事実、当時公開された映画にはこのカットはありません。これをいちゃもんと云わず、何と云うべきか。

幸い、カットされる前のネガは存在したので、その後のヴィデオやDVDでは当時削除された全てのカットは復元されているそうです。

5) North and the Music of the South(2006年製作、約9分)

レコード・プロデューサーで、この映画の作曲家Alex North(アレックス・ノース)とも付き合いのあったRobert Townsonの回想。「この映画の音楽はジャズだと云われているが、それは事実ではない。リズムとハーモニィはジャズであり、ソロイストもジャズ演奏をしているが、ジャズっぽいオーケストラ音楽と云うべきである」

6) An Actor Named Brando(2006年製作、約9分)

Elia Kazan、Karl Malden、Kim Hunterらが語るMarlon Brandoの実像。「ステラーっ!」と怒鳴るシーンの別テイクも観られます。Marlon Brandoが亡くなる三週間前のKarl Maldenとの電話のやりとりも紹介されます。

(February 26, 2008)





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