[Poison] Dead Man Walking
『デッドマン・ウォーキング』

【Part 2】

この映画製作の前史が非常に面白い。Susan Sarandonが'The Client'『依頼人』 (1994) の撮影でテネシー州メンフィスにいた時、たまたまルイジアナ州在住のシスター(尼僧)Helen Prejean(ヘレン・プリジャン)が書いた本を読んで感動します。夫で映画監督のTim Robbinsに演出させ、自分がシスターを演じるというアイデアが閃きます。『依頼人』のクライマックス・シーンはルイジアナ州ニュー・オーリンズでしたから、その撮影の合間にシスターと会って映画化の話をしたいと考えました。シスターに直接電話し、数日後にニュー・オーリンズのあるレストランで会う約束を取りつけます。

シスターHelen Prejeanは喜びました。「死刑囚と尼僧の恋」とか「尼僧がかち取った逆転無罪」という内容ならハリウッドが映画化したがるのは分りますが、この本はそんな派手なものではありません。シスターが喜んだのは、聖職者達の地味な活動が一般に伝わることを願ったからでした。シスターはSusan Sarandonの顔を知らなかったので、レンタル・ヴィデオ・ショップに行き'Thelma and Louise'『テルマ&ルイーズ』(1991)を借り受け、自宅で視聴しました。それでもなおどっちがどっちか分らないので、どちらかといえば自分の顔に似ているGeena Davis(ジーナ・デイヴィス)がSusan Sarandonだと思ってしまいました。しかし、彼女はもう一人の方が好ましいと思ったそうです。

レストランでシスターが待っていると、やって来たのはGeena Davisではない方の女優。これで先ず一安心。Susan Sarandonが確固とした信念を持っている女優であることが分って、これにも一安心。映画化の権利を一旦売り渡してしまうと、ミュージカル・コメディにされてしまっても文句は云えない。しかし、Susan Sarandonなら信じられました。

シスターHelen PrejeanはニューヨークのSusan Sarandon邸に赴き、Susan Sarandonの夫で監督のTim Robbinsに会いました。行く前に推薦しておいた本も彼はちゃんと読んでくれていて、それはいい徴候でした。Tim Robbinsは「死刑制度の議論をする映画にはしたくない。あなたをスーパー・ナン(スーパー尼僧)にすることも出来ない。軽い娯楽にすることも出来ない。死刑囚と尼僧が出会い、二人の間に何が起るのかを描くことに尽きる」と云いました。それは、この物語の核心でした。シスターHelen PrejeanはTim Robbinsも信じることが出来ました。

Tim Robbinsは台本の第一稿を書き上げシスターHelen Prejeanに送りました。彼女は「あまりにも尼僧的過ぎる」という感想を寄せ、悩んだTim Robbinsは尊敬する脚本家に相談します。「女を描く時は男だと思って書くんだ。それを単に女優に演じさせる。それが一番いい方法だ」という助言を得て、その通りに実行しました。英語は女言葉も男言葉もありませんから、そういうことが出来るんですね。

当時、Sean Pennは監督業で忙しく、俳優業からは遠ざかっていました。しかし、Tim Robbinsにとっては彼が第一候補でした。とにかく出来上がった台本を送りました。Sean Pennは読みながら泣いたそうです。それは「やるべきだ」ということを告げていました。さらに、Tim Robbinsが俳優であり、俳優のやることを理解出来る。彼となら一緒にやれる。そうした色々な理由により、この作品には是非参加したかった、とSean Pennは語っています。

Tim Robbinsによれば、主役の二人には殆ど演技をつけなかったそうです。謙遜なのかも知れませんが。

何度も出て来る金網越しとかガラス越しの面接の撮影がよく考えられています。最初に金網をハッキリ見せ、次第に金網をぼかしてしまうのは、いわば常套手段ですが、真横から二人を撮るという大胆な手法や、後ろを暗くしガラスに映る一人の顔とガラスの向こうの顔を一緒に撮るなど(後者は黒澤の『天国と地獄』のラストでも使われた手法)。

Tim Robbinsは「撮影の90%は満足出来た」そうですが、逆に云えば不満足な部分もあったということです。私の推測ですが、それは犠牲者である青年の遺族の一人(父親)をSusan Sarandonが訪ねたシーンではないかと思っています。手前の椅子に父親、やや離れたソファにSusan Sarandon。これを真横から撮っているので、当然ですが手前の人物は大きく写り、遠くの人物は小さく見えます。まるで巨人と小人が喋っているようで、これは撮影・演出の失敗だと思います。

しかし、それは全体からすれば小さな傷で、いいシーンがいくつかあります。犠牲者である娘の両親と二度目に話すシーンがその一つ。彼等はSusan SarandonがSean Pennを見捨て犠牲者側に焦点を移したと誤解するのですが、実は彼女は最後までSean Pennの宗教的助言者であることを止めないと知った時のショック、態度の激変は凄い場面です。Sean Pennがシスターに「男が欲しくないのか?子供が欲しくないのか?」とか聞く場面も秀逸。

結局Sean Pennは死刑を執行されるのですが、これが最近アメリカで大々的に報道されたTimothy Mcveigh(ティモスィ・マクヴィ)の処刑と全く同じ方法です。Timothy Mcveighは1995年のオクラホマ州連邦ビル爆破事件の犯人で、168人というアメリカでは未曾有の犠牲者を出しました。大統領の恩赦もなく、2001年6月に死刑が執行され、その模様は多数の遺族を集めた部屋の特別なTVで視聴されたそうです。世界各国からは死刑の是非を含め、そのような処刑を半ば公開する残酷趣味に批判が寄せられました。まだまだアメリカにはリンチを認める潜在意識があるのでしょう。こういう経緯があるので、私にはこの執行シーンは生々し過ぎて辛いものがありました。

自分の家族との最後の面会は、処刑時刻が迫るにつれ誰も喋らなくなり沈黙が支配します。末の弟のおニューのスニーカーがキュッキュッと音を立てるだけ。ここはリアルでした。なお、このスニーカーの音の思い出は原作から得たアイデアだそうです。

Susan Sarandonは立ち会い人の中でたった一人、Sean Pennが愛されつつ死ぬことを願い、「最後まで私だけを見つめなさい」と命じ、彼に無音で"I love you."と云うところから彼の死までの一連の場面は恐ろしくも感動的です。

“秀逸”とか“感動的”とか云っていながら、何故☆1/2という評価かと云いますと、私はSean Pennが演じているような男には嫌悪感を催すので、彼の運命などどうだっていいからです。Susan Sarandonの努力は無駄骨折りにしか見えません。森の中の凌辱シーンが凄まじく、処刑シーンもこちらの身体が縮むほど恐い。繰り返し観たくなる映画が私の尺度では名画なのですが、もう一度この映画を観たいかというと観たくありません。それが☆1/2という結果に繋がります。

(July 01, 2001)





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