[Poison]

Crazy in Alabama
『クレイジー・イン・アラバマ』


【Part 2】

Antonio Banderasの監督第一作としては、非常に難しい題材を選んだものです。二つの、全く異質の物語を並行して語るという離れ技を見せなくてはなりません。ヴェテラン監督でさえかなり大変な仕事でしょうに、駆け出しでこんなものに取り組むとはねえ。ひょっとして、コメディとシリアス・ドラマ、どちらにも才能があるよということを世間に見せたかったのでしょうか?

Melanie Griffithを巡るお話は漫画ですから、こちらでは「何でもあり」です。しかし、この女優が演じる“女優志願”の女性という存在は嘘が多くていけません。物語の上では、彼女は七人の子持ちということになっています。現実的にMelanie Griffithは当時三人の子持ちだったのですが、到底七人の子持ちには見えません。七人産んでも、まだセックス・アピールは残っているかも知れませんが、ハリウッドのエージェントやプロデューサー達の目をたぶらかせるものでしょうか?又、一夜にしてTVスターになっちゃいますが、彼女の南部訛りはどうなったのか?あれを直すのは並大抵のことではありません。私は学生時代に一度だけ舞台に立ったことがありますが、私の茨城弁を直すのに数週間“先生”が付き切りで特訓しなければなりませんでした:-)。

何故、彼女が夫の首を持ち歩いたかは理由不明。彼女は“自由”が欲しくて夫を殺したのですから、その憎むべき夫の首を持ち歩く理由は見当たりません。実話ではないので、この映画ではこの猟奇的要素を軽減させた方が良かったと思います。もう一方の真面目な物語と調和が取れません。

少年が黒人達の抗議活動を見守り、最後には自分も参加するようになる経緯はよく描けています。殺された黒人少年のための葬列が市営プールに向い、参列者達が喪服のまま水に浸かるシーンは素晴らしい。その後の警官隊の乱入、暴行シーンも壮絶です。こちらは差別されて来た黒人達が真の“自由”を求める闘いです。

少年がいくつかいい台詞を吐きます。「自由を生き埋めにすることは出来るが、自由を殺すことは出来ない」。また、「生と死は単に一時的なものだ。でも、自由は永遠に続く」など。

Melanie Griffithは逮捕され、アラバマ州に連れ戻されて、裁判にかけられます。彼女自身の最終弁論により、彼女の犯罪は横暴な夫からの“自由”を求めた行動であったことが明らかになります。この裁判の過程で、少年はシェリフの殺人行為を告発します。女性としての“自由”と黒人達の差別のない“自由”を求める二つの物語が、ここでめでたく合流することになります。

そうは云っても、観客がこのコンセプトを納得し、感動してくれるかどうかは大いに疑問です。私はMelanie Griffithの荒唐無稽の物語と彼女の無茶苦茶な行動には全く共感出来ませんから、この映画の構成には賛成出来ません。ただ、ではどっちか片方だけだったらどうかと問われると、それも返事に困ります。首切り女の方だけだと、それは'Thelma & Louise'『テルマ&ルイーズ』のような劇画調だし、少年の公民権運動がらみの話だけだと、もう既にいくつもある南部ものと変わらないでしょう。二つが入り混じっているから、二本立格安料金(!)で成立しているのが、この映画なのかも知れません。

もし二つの物語に別個に星印をつけるとすれば、少年の方には☆☆1/2で、首切り女性の方は☆という感じでしょうか。

(February 15, 2001)





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