[Poison] Conrack
『コンラック先生』

【Part 2】

日本にはTVの『熱中時代』、『三年B組金八先生』を初めとする“教師もの”、“学園もの”が沢山あります。私は『熱中時代』を結構楽しんだクチでした。そういう目で見ると、この'Conrack'は相当物足りません。勿論、製作年代からいうと『熱中時代』が'Conrack'の後追いをしたのでしょうが。

Conrackの授業はいささか勇み足ではないでしょうか。何も知らない白紙のような子供達に、いきなりピカソだ、リムスキー・コルサコフだと押しつけても無理のような気がします。そういう名前は重要じゃなく、絵画や音楽から何を感じるかを表現しあう授業が本当ではないでしょうか。ベートーヴェンの『運命』を聞かせて、「死がこういう風にドアを叩く」と説明しますが、子供達にとって“死”とはどういうものなんでしょう?ちゃんと伝わるのでしょうか?

ついでですが、Conrackがクビになって島を去る時、生徒がレコード・プレイヤーを船着き場に持って来て、『運命』をかけます。このシーンでは“死”は関係無いし、この曲が相応しいとは毛頭思えません。

この映画を酷評する文章を読みましたが、それが指摘する主な点は「この映画には子供たちとその母親達しか出て来ない。稼ぎ手である父親達はどこへ行ったのか?兄や、姉は?そもそも、彼等はどうやって暮しているのか?彼等の暮らしぶりも分らないし、Conrackは彼等に無関心である」というもの。確かに、壮年男性はPaul Winfield(ポール・ウィンフィールド)演ずる密造酒作りの男一人が登場するだけです。

「製作者達はConrackと子供達だけに焦点を当て、島の環境とか生活に時間をかけることを惜しんだのだ」と弁護出来るかも知れません。しかし、恐るべきことに映画が終って印象に残っている生徒って一人もいないのです。Conrackの食事を作る女の子は別格です。他の子供達には何の脚光も当たっていなかったことが分ります。

観ていると、時に微笑ましく、時にジーンと来たりするのですが、映画が終ってみるとConrackがやったことは結構ひとりよがりで、計画性も何もなかったような気がします。堅固な基盤から次第に積み上げていくという教育方針ではありません。島を去る前に、口頭で子供達をテストしますが、それはテストというよりTVのクイズ・ショーの問題みたいです。それに答えられたとしても教育の成果が上がったと主張するのはどうかと思います。日本の暗記式詰め込み授業と何ら変わりません。ここで重要なのは、子供達が島の外の世界を知ったということの筈ですから、「お前、大きくなったら何になる?」「バスの運転手」(この島にバスはない)、「私は看護婦」(この島に病院はない)、「お前は?」「おれは大統領になる」(この島に大統領はいない)…というようなやりとりで、「Conrackが“世界”を教えた」ということが実感出来れば良かったのだと思います。

なお、本当のConrackはこの映画の原作となった本を出版しベストセラーにしました。その印税の中から、生徒一人に付き$1,000という額を預金しておき、生徒が成人したらプレゼントするという麗しい行ないをしたそうです。

「黒人と水泳」というのは面白いテーマなので、少し付け加えておきます。Web上で知り合った日本の方から、「アメリカには黒人の一流スポーツマンが沢山いるが、何故水泳選手で国際的な黒人が存在しないのか?」という質問を貰いました。当家に訪れたカミさんの親戚に聞いたところ、学校の先生である一人は「黒人の子供たちは水を恐がって、泳ごうとしない」、もう一人は「黒人は筋肉質なので浮きにくいのではないか。スポーツ・センターなどで見ていると、彼等は非常に泳ぎが下手である」という返事でした。カリフォーニア大学バークリー校(UCB)で水泳の先生(女性)を取材しましたので、同じ質問をぶつけてみました。専門家の答えは、カミさんの親戚の説を完全に裏書きするものでした。「アフリカン・アメリカンの親達は子供が水に近づくことを恐れ、常に警戒信号を出す。そうした伝統の下では子供たちも恐怖心を抱いて育ってしまう。筋肉質の体型が浮きにくいというのは正しい。我々女性は男性より一枚脂肪層を多く持っているので浮きやすい。しかし、2000年のオリンピックでわが国の黒人女性選手が金メダルを獲得した。次第に伝統も変るであろうし、黒人水泳選手も増えて来ることであろう」ということでした。

子供達はボウフォートの町に繰り出してHalloween(ハロウィーン)を楽しみます。詳しくは十月頃に『英語の冒険』サイトに記事を掲載しますが、私の住む町あたりではこの行事は相当風化しています。夜に子供達だけで行動させて誘拐、暴行などの被害に遭うことを恐れる親達が、車で子供達を運んで来て護衛します。子供達でこの行事に相応しい扮装をして来るのは、ほんの一握り。特に黒人の子供達は普段の恰好のままで、「タダでお菓子が貰える」という、それだけのためにやって来ます。お菓子を器に入れて差し出そうものなら、一人でごってり持って行こうとします。こちらが一握りずつ上げないと危なくてしょうがありません。つまり、行事の謂れや楽しみ方など、もう全く関係無くなっています。子供の頃スリルを楽しんだ親達の郷愁だけが支えているようなものです。これでは、もうすぐ廃れることでしょう。

(July 15, 2001)





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