[Poison] Coal Miner's Daughter
『歌え!ロレッタ愛のために』

【Part 2】

自分のやりたいことを貫き(夫の応援のお蔭ですが)、一つの分野の“女王”になるというのは、これはアメリカの夢です。しかし、いくらLoretta Lynnの性格が良くても、その道筋は平坦ではなかったようです。

先ず、夫です。父が「娘に手を上げてはいけない」と固く約束させたのに、結婚早々から夫は妻を平手打ちします。非常に我が侭で短気なのです。こういうシーンが二回出て来ます。また、行動派である彼は、どこでも女にモテるようで、隙あらば浮気しようとします。計六人もLoretta Lynnに産ませておいてこれですから、相当精力絶倫だったんですね:-)。マネージャーですから、彼女が舞台に立っている間は閑なので、まさしく「小人閑居して不善をなす」です。彼女に歌手になるきっかけを作ったギターのプレゼントは賢明でしたし、結婚式の時に買えなかった指輪を暫くしてから買うというのも、なかなか見上げた行為です。しかし、妻が「あなたは私に何も相談してくれないんだから!」と不平を云うように、常に独善的です。まあ、どこにでもある夫婦像に過ぎないと云うことも出来ますが、私にはこの男は男の嫌な面をまとめた存在に思えて、あまり見たくありません。少なくとも、この映画をもう一回観るか?と聞かれたら、この男ゆえに相当躊躇います。

同じ男でもLoretta Lynnの父親は素晴らしい。若い結婚を押しとどめる際に、"You are my pride. You're my shinin' pride, Lorettie."(お前は私の誇りなんだ。私の輝ける誇りなんだ、娘よ)と云います。彼がLoretta Lynnの成功した姿を見たら、何と云うでしょう。

Loretta Lynn夫婦が売り込みを始めることが出来たのは、故郷ケンタッキーの母が四人の子供を預ってくれたからです。何年経過したのか不明ですが、人気が出て“女王”になり大邸宅に住むようになっても、母、兄弟、子供達を呼び寄せた気配はありません。彼等を訪ねるシーンもないし、懐かしがる、あるいは寂しがるシーンもありません。電話すらしません。どうなってるんでしょう?「私は炭坑夫の娘」と公にし、巡業バスには"Coal Miner"(炭坑夫)と大々的に愛称が記されています。故郷を忘れていないことは明白ですが、忘れられた家族がどうなったのか気がかりです。

ある無料配布の雑誌の最新号にSissy Spacekが特集されていました。それによると、彼女はテキサス州の田舎に生まれ、子供の頃に五〜十歳の女の子達のショーを観て、「私もあんな風になりたい」と思ったのだそうです。それから舞台用の歌と踊りの稽古を始め、作曲までやるようになった。女優になる考えは全く無く、「ただ人に歌を聴かせたかった」。父の従兄が俳優でその妻はブロードウェイの大女優Geraldine Page(ジェラルディン・ペイジ)だった。高校時代に兄弟の一人が白血病で亡くなる。悲しみを紛らすために、Sissy Spacekはニューヨークの父の従兄の家に滞在した。ここで芸術家の生活を知った。高校卒業後、彼女はニューヨークへ行き、ナイトクラブでギターを弾いたり映画に出るようになった。

つまり、女優がたまたま歌ったり作曲したりしたのではなく、そういうお稽古を経験済みで、人前で演奏してお金を取れる力があったわけです。この映画に抜擢されたのは偶然ではないんですね。私は本物のLoretta Lynnの歌声は知らないのですが、多分この映画で彼女が演じているようなややハスキーな声だったのでしょう。他の映画のSissy Spacekの声はこういう感じじゃなかったので、これは作った声だと解釈します。

『歌え!ロレッタ愛のために』という邦題はひどいですね。修道女の映画だと思っていました。私はたまたま“南部もの”に入るので観ましたが、そうでなかったらこんな邦題の映画は一生観なかったでしょう。「愛は地球を救う」と同じくらい馬鹿馬鹿しく空疎な題名です。まあ、『炭坑夫の娘』じゃ客が来ないと思ったんでしょうがねえ。『歌え!ロレッタ金のために』が内容的に正しいのですが、これでも客は来ないでしょうなあ:-)。

(May 30, 2001)


【Part 3】

この映画の「公開25周年記念DVD」を観ました。

・コメンタリー

監督のMichael Aptedと主演女優Sissy Spacekの二人が話します。Michael Aptedはイギリス生まれで、この映画が初のアメリカ映画でした。

監督の方針で、この映画の登場人物の多くは地元の(俳優ではない)人々が雇われた。

Sissy Spacekの母親を演じた女優は、Sissy Spacekの二歳年上に過ぎなかった。

Sissy Spacekは、この役の話が舞い込んだ時「吹き替えならやらない」と主張したが、いざ吹き替えではなく自分が歌うことになった、「あらま、どうしよう」と思った。Sissy Spacekは実物のLoretta Lynnと一緒に過ごし、Loretta Lynnのユニークな喋り方(リズムやシンコペーション)を真似出来るようになった。Loretta LynnはSissy Spacekに脚本のシーンのそれぞれについて、自分がどう感じていたかを話してくれた。

監督が聞き手になり、主演女優がどのように感じ、どう演じたのかを聞き出そうとするのですが、Sissy Spacekは映画を観ながら「私、このシーン大好き!」とか、「この衣装見て!」などと云うか、スタッフや撮影を褒めるばかりで、あまり深みのある話は出て来ません。二時間の無駄に近い感じです。

・Tommy Lee Jonesの回想

監督Michael Aptedによるインタヴュー。Tommy Lee Jonesも大したことは喋っていません。Loretta Lynnの父親役にLevon Helm(リヴォン・ヘルム)を推薦したのはTommy Lee Jonesだそうです。「あの深みのある声が相応しいと思った」とか。Levon Helmは伝説的ロック・グループ'The Band'(ザ・バンド)のリーダーで、音楽活動の傍ら映画にも多数出演しています。

・Loretta Lynnインタヴュー

このDVDのボーナスの目玉はこれです。様々な裏話が聞けます。聞き手は、これまた監督Michael Apted。Loretta Lynnは自分に関する博物館の持ち主で、広い館内にはこの映画に登場した衣装の全て、はたまたツァーに使った当時のバスまで展示されています。インタヴューはそのバスの前で行なわれています。

ある時、Loretta Lynnが自宅のプールで泳いでいると、Universal Picturesの男たちがやって来て、「あなたの自伝を映画化するとしたら、誰を主役にしたいですか?」と云い、分厚い写真の束を手渡した。Loretta Lynnが写真をめくって行くと、ブロンドでソバカスのある女優が出て来た。自分もソバカスがあったので、彼女の写真を抜き出して別にしておいた。Universalの男たちがまた戻って来て写真を見、「この娘ってことですか?」と尋ねた。私は「イエス」と答えたが、彼らは長いことそれを信じなかった。その写真はSissy Spacekだった。【つまりLoretta Lynn本人がこの映画の主演女優を選んだというわけです】

Sissy Spacekは、約一年の間にLoretta Lynnと一緒の時間を多く持った。ランプ・シェードに楽譜を洗濯バサミで止め、Loretta Lynnがギターを弾いて歌った。Sissy Spacekはギターを手にLoretta Lynnの背後に来て、彼女も弾きながら歌った。

Loretta Lynnは、Grand Ole Opry(グランド・オール・オプリィ)にSissy Spacekを三回連れて行った。ある時、Loretta Lynnは歌詞の一部をSissy Spacekに歌わせたが、二人の歌声はほぼそっくりだった。

Loretta Lynnによれば「Sissy Spacekは歌い方や喋り方を真似るのが上手で、私自身になり切ろうと一生懸命だった」

Loretta Lynnの双子の娘がある日母親にこう云った、「マミィ、Sissy Spacekみたいに喋るのやめてよ」と。【どうやら、お互いに影響され合っていたようです】

Loretta Lynnは「他人が自分を演じるのが妙な気がして、ずっとこの映画を観る気になれなかった。沢山の事実が散りばめられているし…」と云い、その例として未来の夫Tommy Lee Jonesが「結婚させてくれ」と両親に頼みに来るシーンを挙げている。その夜、両親は泣いたのだという。

Loretta Lynnは、自分を演じるSissy Spacekがステージで倒れるシーンが辛くて直視出来ず、画面から目を逸らしていた。その部分が終ってからまた見続けた。

脚本は事実経過、人物描写どちらもほぼ的確だったとLoretta Lynnは認める。しかし、さらに事実に符合するよう、彼女と夫は脚本家に何度か手紙を書いた。

Loretta Lynnの夫は、最初Tommy Lee Jonesに嫉妬し、協力的ではなかった。しかし、Universal Picturesが「ブルドーザーの運転をTommy Lee Jonesに教えてやってくれ」と夫に要請し、二人が長く付き合うようになったら、今度夫はころっとTommy Lee Jonesファンになってしまった。

Loretta Lynnは今でも音楽活動をしていて、ファンたちは「この映画を70回観た」とか「100回観た」と云うそうで、彼女は「それは嘘ではない。この映画は一時的なものではなく、三世代にわたって好まれている」と証言しています。

(February 18, 2008)


【Part 4】

'Based On A True Story' by Jonathan Vankin and John Whalen (A Cappella Books, 2005)という、実話を元にした映画100本を検証する本を読みました。その中の'Coal Miner's Daughter'『歌え!ロレッタ愛のために』の章から、これまでの私の紹介に漏れていた部分だけ引用します。

「Loretta Lynnの最初のギターは、夫Dooが全米チェーンのSears(シアーズ)というデパートで買ったもので、映画のように質流れの品ではなかった。

この映画は'Coal Miner's Daughter'という題名のLoretta Lynnの自伝を基にして作られている。彼女はこの映画公開後、自伝の続編'Still Woman Enough'を出版した。その中で彼女は「ハリウッドは私の結婚生活をかなりオブラートをかけて描いた。私が三度も脚本の書き直しをさせたにもかかわらず、ハリウッド調を取り除くことが出来ず、私たち夫婦の結婚生活に関しては神話を築き上げただけであった」と書き、「夫のアルコール依存が結婚生活に大きく影響した」と述懐している。

彼女の夫は常識外れの行動をし、乱暴でもあった。ある時などは水を張った洗面台に妻の顔を浸け、窒息寸前にさせた。彼はLoretta Lynnの弟の妻にまでちょっかいを出そうとするほど好色であった。しかし、Loretta Lynnは十代の彼女の気持を持ち続け、夫を愛していた。

しかし、Loretta Lynnが夫に反撃することもあった。彼が酔っぱらって帰宅した時、彼女は彼の口元を殴りつけ、二本の前歯をへし折り、滝のような血を流れさせた。「私はその時歯が床を転がった音を覚えている」と彼女は云う。この場面は映画にはないが、最後のシーンでTommy Lee Jonesは理由不明のまま奇怪な歯で登場する。これはLoretta Lynnの歌'Fist City'(拳の街)へのオマージュである」

(December 18, 2010)


【Part 5】

主演女優Sissy Spacekの回想録'My Extraordinary Ordinary Life' (Hyperion, 2012)を読み、この映画に関する興味深い逸話を知ることが出来ました。

「私は三歳の頃から人から『ああせい、こうせい』と云われるのが嫌いだった。ところが1977年の夏【彼女が28歳の時】、Loretta Lynnが『私の自伝がSissy Spacek主演で映画化される』とラジオ、TV、コンサートの舞台で喧伝し始めた。私は驚いた。私はLoretta Lynnと会ったこともなければ、映画の話も知らなかったし、脚本も見せて貰っていなかったからだ」

その頃、Sissy Spacekは田舎娘のイメージを払拭して、シリアスなドラマで大人の女を演じたいと願っていた。だから、カントリー・ミュージックの女王の一代記の典型的ハリウッド映画に出るつもりはさらさらなかった。ところがLoretta Lynnは相変わらず、『Sissy Spacekが私を演じる映画が出来る』と公言し続けた。Sissy Spacekは頭に来て、Loretta Lynnに『勝手なこと云わないで!』と怒鳴り込みたいと思っていた。

ある時、Sissy Spacek夫妻がテキサス東部の両親の家に里帰りした時、Loretta Lynnはそこから数時間のドライヴの距離のルイジアナ州北西部で公演していることを知り、早速車を飛ばしてLoretta Lynnに面会を求めた。時間を間違えたらしく、公演会場の周りは深閑としており、Loretta Lynnのツァー・バスだけがひっそりと停まっていた。案内を請うと、突如バスの居住空間のドアが開き、真っ赤なドレスのLoretta Lynnが拳を天に突き上げ、"BAM BAM BAM BAM BAM BAM..."と叫びながら出て来て、彼女のバンドのメンバーも金魚のウンコみたいにくっついて来た。Sissy Spacekは「その瞬間、『オーマイガッド!私はこの女性を演じなきゃ!」と思った。

しかし、女優としての将来を決める重要な岐路に立っていたSissy Spacekは、もう一つの選択肢であるシリアスな映画に出たいと思っていたので、Loretta Lynnの映画に出る契約はしないでいた。しかし、'Coal Miner's Daughter'を担当する予定になっていた監督(Michael Aptedとは別人)とのミーティングに出ることだけは承諾した。その監督はLoretta Lynnの写真を見せ、「あんたは彼女に似ていない」と云い、Sissy Spacekもそれを認めた。しかし、製作会社ユニヴァーサルとLoretta LynnはSissy Spacekにこだわり続け、その監督を馘にした。

シリアスな映画のスケジュールはかなり遅れ、ユニヴァーサルはSissy SpacekにLoretta Lynnの映画への契約を迫った。その頃、Sissy Spacek夫妻はワシントンD.C.に住む夫の母親を訪ねた。義母はクラシック・ファンでC&Wなど聞かず、Loretta Lynnについても知らなかった。しかし、彼女はSissy Spacekのジレンマを理解した。「Sissy? "the man upstairs"(上の人)に聞いてみるべきよ」と義母が云った。「上の人?OK。神様、どうかサイン(徴)をお示し下さい」と、Sissy Spacekは冗談まじりに云った。その夜、TVのナイト・ショーを観ていたら、Loretta Lynnが出て、又もや『Sissy Spacekが映画で私を演じる』と公言した。Sissy Spacekは叫び声を挙げたい思いだった。夫の勧めでドライヴに出ることになった。義母のキャデラックに乗り込むと、C&Wなど聞いたことのない義母のカー・ラジオがLoretta Lynnの'Coal Miner's Daughter'を流し始めた(その夜、クラシックの放送局がC&Wに変わったらしかった)。Sissy Spacekは、これでサイン(徴)はもう充分だと思った。「車を止めて!契約するわ」と彼女が云った。

ユニヴァーサルの製作者たちとSissy Spacekは新たな監督探しを始めた。そして英国の炭坑地帯で生まれ育った監督Michael Aptedに白羽の矢を立てた。英国人ならC&W歌手を戯画化したりせず、真面目に描いてくれると確信したからだ。

出演が決まった後、Sissy SpacekはLoretta Lynnにべったりくっつき、Loretta Lynnが語るお話を録音し、彼女のジャスチャーをヴィデオに録画し、話し振り・身振りを身につけようとした。この期間に二人は姉妹のように仲良くなった。Sissy Spacekはこの映画の撮影が終わるまで、Loretta Lynnになり切り、彼女のように話すべきだと考えた。そしてそれに成功した。夫が彼女の飼い犬をロケ地に連れて来た時、犬は顔は主人みたいだが、全く別な口調で話す人間を警戒するように後ずさりしたからだ。

'Coal Miner's Daughter'が公開された後、Sissy Spacekが生まれ育ったテキサス州Quitman(クウィットマン)の町は5月31日を'Sissy Spacek Day'と定め、食べ物がぎっしり詰まった篭を持って来た家族が公園でC&Wの演奏を聞き、スクウェア・ダンスをしたり、「蛙と亀の運動会」を催したりする日となっている。

こうして、この映画はSissy Spacekの人生と映画人生の軌道とを変えてしまうことになった。

(December 16, 2012)





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