[Poison] The Cincinnati Kid
『シンシナティ・キッド』

【Part 2】

こちらでは結末をバラしますので、御注意下さい。

DVDのNorman Jewison監督のコメンタリーは色彩の話で始まります。冒頭の葬送シーンと黒人たちの踊りは、本来は真紅や鮮やかな黄色などが衣装や傘の色として混じっていたのですが、彼は映画全体の色彩を脱色して鮮明さを減らしたのだそうです。何故か?この物語の1930年代という時代色を出すためだったそうです(鮮明だと“現在”と思われてしまう)。

ところで、降ろされる前、Sam Peckinpahはこの映画を白黒で撮るつもりだったそうです。Norman Jewisonは「カード(トランプ)を白黒で撮るなんて信じられない」とカラー撮影を主張しました。

この映画にはテーマが二つあるようです。その一つはPart 1で書いたようにイカサマと人生の相関関係です。Karl Maldenは妻Ann-Margretに「遊びでもイカサマはするな」と説教しますが、自分がヤクザに脅されてイカサマをする羽目になります。Steve McQueenは、Edward G. Robinsonが肉体的に衰えていることを感じ取り、実力で勝てると確信し、ヤクザのRip TornとKarl Maldenのイカサマを排除します。このゲームのNo.1であるEdward G. Robinsonを蹴落とし、自分がNo.1になるという野望に燃えているのです。ヤクザのRip Tornにとっては賭けに勝てればいいので、イカサマであろうが何であろうが手段は選びません。これらが複雑に絡み合った筋は、入念に構築された対位法による楽曲を聴くようで、なかなかうまく出来ています。以上の三つのどれかが欠けても、お話に深みがなくなります。

もう一つのテーマは、ギャンブルの世界の序列(ランキング)に関するものです。冒頭の葬送の後すぐ、Steve McQueenは黒人の靴磨きの少年からコイン投げの挑戦を受けます。壁にコインを当て、壁に出来るだけ近く止めた方が勝ちというゲーム。勝ったSteve McQueenは"You're just not ready for me yet."(おれに挑戦するのは十年早いよ)と云います。しばらくして、Steve McQueenは同じ少年に街頭で靴を磨かせます。代金を払おうとすると、少年は「勝ったら二倍、負けたらゼロ」と再度コイン投げに挑戦し、またSteve McQueenが勝って同じ台詞を云います。

ポーカーの休憩時間に女性ディーラーJoan Blondellが"He's getting to you, huh?" 「(Steve McQueenは)あんたの域に達してるんじゃない?」と云うと、Edward G. Robinsonは"No, not yet, he isn't."「いや、まだまだだね」と答えます。

物語の最後、ポーカーに負けたSteve McQueenがホテルを出ると、また黒人少年が寄って来てコイン投げに挑戦します。今度は少年が勝ち、彼が"You just ain't ready for me yet."とSteve McQueenの台詞で逆襲します。

つまり、男は老いも若きも序列(ランキング)にこだわり、トップはトップの座を死守しようとし、挑戦者はトップを蹴落とそうとする図式が強調されています。監督Norman Jewisonは、「ブックエンド(本立て)のように最初と最後を同じようなシークウェンスにしたかった」と云っていますが、このテーマが都合四回も繰り返されると、いささかうんざりです。ちと、観客の理解能力と記憶力を馬鹿にしているようにも思えます。

映画でプレイされる5カード・スタッド・ポーカーとは次のようなゲームです(日本ポーカープレーヤーズ協会のサイトから引用)。「1枚目のカードを伏せ、2枚目は表にして各自に配る。ローカードの人から強制ベット。次に1枚表にして各自に配り、こんどはハイハンドの人から第2ベット。また1枚表にして各自に配り第3ベット。最後に1枚表にして配って第4ベットで勝負」

結局、クライマックスの手札は次のようになります。
・Steve McQueen:♣10、♣10、♣A、♠A + ?
・Edward G. Robinson:♦8、♦9、♦10、♦Q + ?
Steve McQueenが有り金全部出すわけですから、彼は当然もう一枚Aを持っているわけです(フルハウス)。焦点はEdward G. Robinsonが♦のJを持っているかどうかです(♦のJならストレート・フラッシュでフルハウスに勝ち、只の♦ならフラッシュでフルハウスに負け)。

ここで、大勝負を見物している人々が、「Edward G. Robinsonのブラフ(ハッタリ)だろ」とか「Steve McQueenの勝ちだ!」とか囁き合います。誰もが笑みを浮かべてSteve McQueenの勝ちを予測するので、われわれには「あ、これはEdward G. Robinsonの勝ちだ」と判ってしまいます。予測不能の人間やEdward G. Robinsonの勝ちを予言する人間も混じっていればまだしも、全員に「Steve McQueenの勝ちだ!」と云わせたのでは脚本家が観客を欺こうとしている手の内が読めてしまうのです。ここでも、映画ファンの頭脳が見くびられています。映画を観るのもポーカーと同じように脚本家との筋の読みっくらであり、われわれも結構読めるのを知らないようですね。

(February 23, 2007)


【追記】

"Have you seen...?"(by David Thomson, Borzoi Book, 2008)という本のこの映画に関する紹介を読むと、監督Sam Peckinpahが下ろされた理由が以下のように異なっています。

「映画は、成金ヤクザのRip Tornが彼の情婦とベッドにいるシーンで開始されることになっていた。Sam Peckinpahは黒人の娘をその情婦役にして撮影した。1965年と云えども、白人と黒人の同衾をあからさまに描くのは映画にとってマイナスだった。製作者はSam Peckinpahを馘にした」

私にはどちらが正しいのか判断出来ません。

この本によれば監督の交代とともに映画の舞台も変更されたと書かれています。

「最初の脚本家はSt Louis(セント・ルイス)を舞台にしていたが、監督がNorman Jewisonに変わってからの脚本家が場所をNew Orleansに変えた」

(November 10, 2010)





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