[Poison] Chrystal
(未)

【Part 2】

この映画、私が住む町出身の男性が脚本・監督した'Red Dirt'(2000)に似ています。あるいは'A Love Song for Bobby Long'(2004)にも。これも共同製作・脚本・監督の映画でした。これらに共通するのは鬱屈したやるせない状況です。暗く、沈鬱な時が流れ、一見ハッピー・エンド風に見えても展望はありそうに思えません。

別にハッピーエンドでなくてもいいし、暗くてもいいのですが、映画を見終わった後に「観て良かった」という余韻を残してくれなくてはなりません。「それが人生だよなあ」と実感させてくれたり、「そうか、そういう人生もあるのか」と教えてくれ、流れ過ぎる“時”を押しとどめてくれるような。90〜120分の時間潰しに終るような映画は作ってほしくありません。奇しくも、これら三本の映画は、日本の輸入会社から無視されていることでも共通しています。

こういうインデペンデント系の映画作家たちが好んで暗いテーマを選ぶというのは、単純にメイジャー各社が作る娯楽映画へのアンチということでしょうか?あるいはそれが時代精神の反映だからでしょうか?彼らがそういう暗い体験にどっぷり浸かっているからでしょうか?それとも陰鬱な物語の方が演出や演技がし易いからでしょうか?深い芸術味があるように観客を騙せると思うからでしょうか?何やら隠れたメッセージがあるように煙幕を張れるからでしょうか?

この映画を見終わった後に、私に残ったのは虚しさだけでした。冒頭で主人公がパトカーに追尾された時、なぜ停まらなかったのか?パトカーは用事がなければライトを点滅させませんから、点滅させた以上こちらに用事があると思うべきです。たとえ主人公が飲酒や薬物の影響下による運転で刑務所行きが嫌だったにしろ、こんな山道でパトカーを振り切れるものではありません。すぐ車を路肩に寄せるべきでした。逆にスピードを出したりするから息子を失い、妻を障害者にし、20年も臭いめしを食うことになつのです。こんな阿呆な男の映画が面白いわけがありません。

そういうお粗末な男も20年後には少しは知恵がつき、青年の運転する車がパトカーに追尾された時、「スピードを落とし、路肩に寄せろ」と云います。しかし、これはやっと常識が備わっただけであって、こんなのは人間としての成長でも、ドラマでも何でもありません。

重症の後、首の障害を持ち不妊の身となった妻Lisa Blountは色情狂になってしまいます。こういうことってあるんですかね?私には'Monster's Ball'『チョコレート』でHalle Berry(ハリー・ベリー)がアカデミー賞に輝いたひそみに倣って、Lisa Blountに“柳の下の二匹目のどぜう”を狙わせたとしか思えません。残念ながら彼女はHalle Berryのようにセクシーではないので、彼女の捨て身の芝居も空回りしているように思えます。

フォーク・ミュージックもBGMとしてはいいですが、話題としてはとってつけたような要素に見えます。単にLisa Blountに歌わせ、Billy Bob Thorntonの喧嘩に薬味を添えるだけのような。シカゴから来た音楽研究の教授という存在も、なんか嘘っぽい。

もう子供が出来ないという妻に、Billy Bob Thorntonがどこからか攫って来た赤ん坊を与えるに至っては呆れてものも云えません。この男は知恵がついたのではなく、退化しているようです。

こういう男の始末に困った脚本家は、最後に男を殺すしかありません。芸の無い見え透いた手口です。馬鹿馬鹿しい。

唯一誉めたいのは、庭からかき集めたガラクタでBilly Bob Thorntonが作った“作品”です。廃材やら農機具の部品などが組み合わせた塔のような造形作品なのですが、その天辺には亡き息子の三輪車が空中にせり出しています。ラスト・シーンでLisa Blountに親切なシェリフの幼い娘が、その塔によじ上って、三輪車を漕ぎます。'E.T.'に空を駆ける自転車が出て来ましたが、あれを想起させます。これはいいシーンでした(幼女が恐がりもせず、数メートルも高いところへ登れるわけないし、登ろうとしたら止めるのが大人の役目でしょうけどね、実際には)。

(December 20, 2006)





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