[Poison] I Am a Fugitive from a Chain Gang
『仮面の米国』

【Part 2】

この映画のヤマ場はイリノイ州の検事が「逃亡囚が更正して立派に世の役に立っていることに鑑み、90日だけ重労働キャンプに戻れば自由の身にしてやる」という条件を提示するところです。法律は事件の起った現地主義ですから、Paul Muniは脱走したジョージア州に自発的に戻らなければなりません。ところが、ジョージア州の判事はイリノイ州の約束など歯牙にもかけません。ここが“合衆国”の“合衆国”たる由縁です。各州は憲法など重要な法律以外は原則として独自の判断が出来ます。

例えばオイル危機を迎えた時、合衆国政府は省エネ速度時速55マイル(88.5 Km)を最高制限速度にするよう、各州に呼びかけました。「呼びかけ」であって「命令」ではありません。しかし、この危機を重大視した政府は、時速55マイルに同意しない州にはInterstate Highway(州間高速道路)の維持費の国の分担予算を減らすとか、州援助予算を削るというペナルティを課すことにしたそうです。完全なる脅しです。脅しでもしないと州の自主的判断を左右出来なかったという証明でもあります。

案の定、「90日」の約束は無視され、9カ月模範囚でいれば別の施設へ移れるという希望も消え、あと9年刑期を勤めなればならないことになります。観客の予想(期待)通り、Paul Muniは二度目の脱走を企てます。

しかし、物語の結末は観客の期待を裏切ります。Paul Muniは「追跡に怯えつつ、昼は寝て夜移動するという逃亡生活なので結婚はおろか、以前のように就職も出来ない」と婚約者に別れを告げ、そこで突然映画は終ってしまいます。これは実話がそうですから、それを粉飾することは出来なかったようです。

上に述べたラスト・シーンは、地下駐車場で婚約者を待ち受けたPaul Muniが、婚約者にサヨナラを云い、婚約者が「お金が要るんじゃない?どうやって暮すの?」と聞くと、Paul Muniは暗闇に後ずさりしつつ"I steal!"(盗むんだ)と応え、そこで画面は真っ暗になります。これは実はリハーサルの時に照明係のトラブルで似たようなタイミングで真っ暗になったことがあり、その効果が気に入った監督Mervyn LeRoyが実際の撮影で再現させたのだそうです。

TVシリーズのDavid Janssen(デイヴィッド・ジャンセン)、映画のHarrison Ford(ハリスン・フォード)等による'The Fugitive'『逃亡者』の主人公は、真犯人である「片腕の男」を探せば無実が証明出来るという希望がありました。この映画の場合はそういう希望は全く無く、ひたすら逃げ、隠れ住むしかありません。非常にやるせない結末です。

原作者はRobert E. Burns(ロバート・E・バーンズ)といい、実際にこのような体験をした人だそうです。実際のRobert E. Burnsは建築家ではなく出版業に携わっていたため、二度目の脱走の後、体験を綴った自伝を雑誌に発表し、それが単行本にもなりました。その映画化権を買い取ったワーナーは隠れ潜んでいるRobert E. Burnsを撮影所に呼び、彼を脚本作成コンサルタントにしました。撮影所内には箝口令が敷かれ、彼がそこにいることはトップ・シークレットだったそうです。しかし、こうしたワーナーの関係者達は逃亡幇助罪にならなかったのでしょうか?

以下は『アメリカ映画ベスト200』(キネマ旬報社、1982)の双葉十三郎氏の記事を参考にした後日談。この映画が公開された三週間後、Robert E. Burnsはニュー・ジャージィ州で逮捕されました。留置されている間に州知事のもとには特赦の嘆願書が溢れるように押し寄せ、それが知事にRobert E. Burnsをジョージア州に引き渡さない決意をさせたようです。ここにも州の自治制が顕著に表れています。

労働キャンプの看守二名が名誉棄損でワーナーを相手に告訴しました。しかし、これを予期していたワーナーは、映画のどこにも労働キャンプがジョージア州であることを示すヒントを残さず、南部訛りさえ使わないほど注意深かったので、南部の抗議や告訴は全く問題無かったとか。Robert E. Burnsはニュー・ジャージィ州で釈放され市民生活を送り、1955年にガンで死亡したそうです。

(October 15, 2001)





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