[Poison] Carmen Jones
『カルメン』

【Part 2】

Otto Preminger監督は'Porgy and Bess'『ポギーとベス』(1959)でも原作の舞台を意識したように極力クロースアップを避けていましたが、この映画でもたった一度Dorothy Dandridgeの顔を画面一杯にするだけで、後はせいぜいバスト・ショットに留まっています。吹き替えによるリップシンクロの微妙なズレを見破られないようにする頭脳戦略だったかも知れません。

バスト・ショットの連続は逆に観客の登場人物たちへの感情移入を妨げます。最近の日本語の表現に「思わず引いてしまった」というのがありますが、これは身を乗り出すのと反対に、現実や話から身を引いて遠ざかろうとする動きです。カメラが“引く”のも同じ効果で、対象を客観視させてしまいます。このカルメンの物語では、観客は妖婦Carmenに翻弄されるJoeの運命に同情するよりは、彼の愚かしさに呆れ苛々させられる結果になります。明らかにOtto Preminger監督はそういう効果には無頓着だったようです。

『カルメン』をアメリカに移植しようという試みは面白いと思いますが、なぜオール黒人でなければならないのか、黒人である効果はどうなのか?私には黒人である必然性は感じられませんでした。この物語の国がどこであってもいいように、人種もどうでもいいようです。

この映画はシネマスコープですが、まだ横長画面がうまく処理されていません。人物が画面の端にいて、しかも顔が端の方を向いている(中央はがら空き)という納まりの悪い不格好なシーンがいくつかあります。シネスコ画面の威力を初めて発揮したのは、この映画の翌年に公開された'East of Eden'『エデンの東』でした。

Dorothy Dandridgeは美女には違いありませんが、どちらかと云えば理知的な容姿の持ち主だと思います。男たちが恋いこがれるようなセクシーな存在ではありません。まあ、この時期彼女に匹敵する黒人女優がいなかったのかも知れませんが、彼女にカルメンはミス・キャストだったような気がします。彼女が色目を使っても、男にしなだれかかっても、何故かぞくぞくしたりしないのです。

Harry Belafonteも色仕掛けによって人生を狂わされるような阿呆には見えないのですが、一途にCarmenに惚れ抜く素直な感情はよく表現しています。彼の婚約者を演じているOlga Jamesは、あまり印象的な歌曲に恵まれていないものの、素朴な田舎娘を好演しています。

後半のお話。脱走兵となったJoeはCarmenと一緒にシカゴに行き、安宿に篭ってMP(憲兵)を逃れようとします。Dorothy DandridgeはボクサーHusky Millerを訪れ、次第に彼の金と人気の虜になります。Joeはボクシング会場へ行き、着飾ったCarmenがボクサーを応援する姿に嫉妬します。KO勝ちしたボクサーに続いて控え室へ向かおうとするCarmenを捉まえ、Joeは必死で愛を訴えますが、Carmenは彼からのプレゼントである指輪を投げ捨て、怒り狂ったJoeに絞め殺されます。JoeはMPにしょっぴかれて、長い長い刑務所生活へと向かいます。

闘牛がボクシングに化けるのは致し方ないとしても、しかし闘牛の華やかさに較べるとボクシングというのは暗いですね。ま、オペラでは本物の闘牛が行なわれるわけではないので、本物のボクシング試合がある映画の方に利がある筈ですが、実際にはそうなっていません。ここで思い出されるのは『野良犬』の最後で黒澤 明が使った対位法です。凄絶な取っ組み合いに明るいピアノの練習曲がかぶさるという皮肉。ボクサーではなくフットボールのクォーターバックかなんかにしたら、『野良犬』と同じ効果が出せたかも知れません。陽光のもと、大声援がこだまするスタジアムで、Carmenを探し、次第に彼女に迫って行くJoe。暗いボクシング会場よりは派手な対比となって面白かったでしょう。

いずれにしても、われわれ観客にとっての焦点はJoeとCarmenであって、ボクシングであれフットボールであれ試合の結果なんかどうだっていいわけです。『野良犬』のピアノと同じことなので。

この映画、というかメリメの原作とビゼーの脚色が弱いのは、人間がギリシア悲劇のような宿命あるいはシェイクスピア悲劇のような運命に弄ばれるという骨太で絡まり合った仕掛けがないことです。単に薄情な女に間抜けな男がたぶらかされたという一言で済んでしまうお話に過ぎません。'West Side Story'『ウエストサイド物語』の終盤にジェッツ、シャークス、トニィ、マリア、アニタらがそれぞれの思惑で'Tonight'を歌い継ぐ場面があります。運命のいたずらに全員が翻弄される直前で、誰も未来を予測出来ません。非常に凝縮されたスリリングなシーンです。ああいうものが『カルメン』にはないんです。“軽めん”なんですね(失礼)。

(January 01, 2007)


【Part 3】

Harry Belafonteの下記の回想録の、この映画に関する部分を読みました。以下はHarry Belafonte自身による証言です。

'My Songs'
by Harry Belafonte with Michael Shnayerson (Alfred A. Knopf, 2011, $30.50)

「オール黒人による映画には'Cabin in the Sky'(1943、本邦未公開)や、'Stormy Weather'『ストーミー・ウェザー』(1943)など賞賛されたものがあったが、どれも興収には繋がらなかった。監督Otto Premingerは黒人映画は儲からないというジンクスに挑戦するつもりで、この映画に取り組む決意をしていた。しかし、予算は少なく、この映画の撮影期間は二週間にも満たなかった。

Otto Premingerはわれわれに『ビゼーの遺族は、Oscar Hammerstein IIの歌詞と第二次大戦という背景は許す。しかし、音楽そのものを変えることは許さないと断固として云っている』と明かした。だから、オペラ的唱法をしなければならないのだが、われわれはオペラの歌い方など学んでいない。製作者Darryle Zanuck(ダリル・ザナック)は吹き替えを主張した。

この当時、Dorothy Dandridgeは夫の虐待に苦しみ、重度のメンタル障害者である娘を持ち、鬱病に近い状態だった。彼女はハリウッドで彼女を支えてくれる人間を求めていた。

Otto PremingerはDorothy Dandridgeをオーディションに呼んだが、それは主役ではなく脇役のためだった。ところが、セクシーな衣装で現れたDorothy Dandridgeを見て、彼の考えは変わった。しかし、カルメンはDorothy Dandridgeのこれまでの自分のイメージと大きく異なるので、彼女は尻込みした。Otto Premingerは彼女の家に食事に呼ばれた時も彼女を説得し続け、ついに成功した。さらに、彼女の寝室へ行くことにも成功した。彼は既婚であった。

この映画の撮影中、Otto PremingerはDorothy Dandridgeの演技に何も駄目を出さなかった。この映画はアメリカだけでなく、世界各地で収益を挙げた最初のオール黒人映画となった。ロンドンとベルリンではほぼ一年近くも上映され続けた。Otto Premingerの博打は成功したわけだ。彼とDorothy Dandridgeの関係は、その後四年間続いた。

五年後の'Porgy and Bess'『ポギーとベス』(1959)の時にも私にポギー役がオファーされたが、ガーシュインの全ての作品が黒人を貶めるものなので、私は蹴った。Dorothy Dandridgeにも同じことを勧めたのだが、彼女は契約書にサインした。突如監督が変更され、Otto Premingerが担当することになった。Dorothy Dandridgeとの関係に終止符を打っていた監督は、以前とは打って変わってDorothy Dandridgeの演技に残酷な注文をつけ、彼女を泣かせたりした。彼女はどんどん鬱になって行った」

(March 29, 2012)





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