[Poison] The Cabin in the Cotton
『暁の耕地』

【Part 2】

この映画の製作陣が凄いのです。三人いて、Hal B. Wallis(ハル・B・ウォリス)が生涯に製作した266本のこれが6本目。次がワーナーを創立した兄弟の一人Jack L. Warner(ジャック・L・ワーナー)で、同じく生涯174本製作した中の6本目。最後がDarryl F. Zanuck(ダリル・F・ザナック)で189本中の16本目。

社会派の真面目な映画で、「どちらにも組みしない」と宣言しているものの、農園主による搾取を糾弾する内容であり、明らかに小作人側に立っています。

主人公が軽薄にも綿泥棒を手伝ってしまって、それを農園主に隠さなければならないのにはハラハラさせられます。当人はあまり悩んでいないのが不思議ですが。

当人が悩むのは小作人たちの訴えで農園主の小作台帳をつぶさに点検した後です。そこには小作人から搾取した経緯が満載されていました。父親が過労死しなければならなかった理由もそこにあります。それまで、小作人の親戚・知人たちと農園主との間で揺れ動いていたRichard Barthelmessの気持ちは、ここでピタリと静止します。地方検事の力を借り、集会で小作人の窮状を訴え、農園主たちの贅沢三昧の暮しを告発します。その告発は、同時にBette Davisとの関係を断ち切ることにもなります。

ラストで、農園主はRichard Barthelmessに握手を求めます。「あんたの勝ちだ」と。しかし、これは映画が「どちらの側にも立たない」という公約を実現するために、無理矢理農園主をいい人間に仕立て上げた努力のようです。こういう農園主は集会での敗北を認めたとしても、握手まではしないでしょう。Richard Barthelmessを怨むのが普通です。

Richard Barthelmessは、まるでBuster Keaton(バスター・キートン)のように無表情です。サイレント映画育ちだからでしょうが、他の役者たちの活き活きした演技と違和感があります。しかも、猫背で歩くのが奇妙です。こんな男にBette Davisが惚れるのが不思議。

この映画はBette Davisが小悪魔的、妖婦的魅力を発揮した初期の一本とされています。確かに、生一本な男を誘惑するコケティッシュな役柄ですが、そうセックス・アピールがあるとは思えません。アメリカ人好みなのでしょうか?

エンディングは台詞を省略し、Richard Barthelmessと二人の女性の視線と表情だけで物語の結末を暗示します。Bette Davisは彼を諦め、彼は幼馴染みと一緒になることを。製作者たちが観客の理解力に期待しているから出来る技で、いかにも映画的手法です。あるいはサイレント映画で、既に完成された手法だったのでしょうか?興味深いところです。

(December 16, 2001)





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