[Poison] Bonnie and Clyde
『俺たちに明日はない』

【Part 2】

Wikipedia(http://en.wikipedia.org/wiki/Bonnie_and_Clyde)によれば「二人は銀行強盗として有名だが、実際にはガソリン・スタンドや小さな食料品店の売り上げを盗むことの方が多かった」そうです。

Michael J. Pollard演ずるC.W. Mossという人物は実在しません。この役は、Clydeの幼馴染みW.D. Jones(W.D. ジョーンズ、テキサス州生まれ)と、Clyde一味によって刑務所兼農場から脱獄させて貰って以来行動を共にしていたHenry Methvin (ヘンリィ・メトヴィン、ルイジアナ州生まれ)ほかもう一人をミックスした人物です。BonnieとClydeの運命を決めたのは、後者のHenry Methvinでした。1934年5月、一味はルイジアナ州のShreveport(シュレヴポート)の近くに来ていましたが、もし離ればなれになることがあったらHenry Methvinの実家で落ち合おうという段取りにしていました。実際に離ればなれになったため、BonnieとClydeはHenry Methvinの実家に向かい、途中でHenry Methvinの父がトラックをパンクさせているのに出会い(息子の赦免を引き換えにした、Henry Methvinの父の裏切りによる罠)、Clydeは停車して車から降り立ちました。その瞬間、薮に潜んだテキサスとルイジアナのシェリフたち六人が二人を銃撃し、BonnieとClydeは絶命します。130発の銃弾が発射され、そのうち25発ずつ計50発が二人に命中したそうです。

映画の中でMichael J. Pollard演ずるC.W. Mossが、新聞を読みながら「どうしておれはいつも"unidentified suspect"(未確認容疑者)なんだろう?」と云いますが、実在しない人物なんですから名前を明記することは不可能なわけです。これは脚本家たちの楽屋落ちの冗談です:-)。

上の事実が、BonnieとClydeの最期の土地を映画で明らかに出来なかった理由です。二人が射ち殺されるのがルイジアナ州であると表示すれば、C.W. MossイクォールHenry Methvinになってしまいますが、実際にはそうではありません。C.W. Mossは、初期からBonnieとClydeと行動を共にしていたW.D. Jonesと、後期のごく僅かな期間一緒だったに過ぎないHenry Methvinをミックスした人物だからです。で、映画はクライマックスのシーンの土地名を表示出来なかったのです。

IMDbの'Trivia'によれば、監督Arthur Penn(アーサー・ペン)は一度この映画の監督を断り、何人かの大物監督に断られ続けたWarren Beattyが再度頼みに来た時、条件付きで引き受けたのだそうです。その条件とは、脚本でbisexual(同性愛と異性愛両方可能な人間)になっているClydeをインポ(勃起不全)にする変更だったそうです。

【註】'Based On A True Story' by Jonathan Vankin and John Whalen (A Cappella Books, 2005)という、実話を元にした映画100本の裏話ばかり集めた本によれば、Bonnieと出会う前のClydeのガールフレンドは「Clydeにはセックス障害なんてなかった」と証言しているそうです。脚本家の一人David Newmanは、「Clydeがbisexualであるという噂を無視出来なかったのでその要素を含めた」と、彼の回想録で証言しています。監督Arthur Pennがその変更を要求し、Warren Beattyも「おれはホモなんか演じたくない」と撮影開始以前から主張していたそうです。

後半、映画のClydeは勃起してBonnieとセックスし、Bonnieを性的に満足させます。そしてClydeはBonnieに求婚します。これはClydeがインポのままで、二人が結ばれぬまま、単に銃弾を浴びせられて死ぬだけで映画を終らせては二人が哀れ過ぎるという、映画製作者たちのセンチメンタリズムだったような気がしますが、どうでしょう。

なお、本当のBonnieは、終身刑で服役している夫と正式に離婚しておらず、死ぬまで結婚指輪をしたままだったそうです。ですから、Clydeが本当に彼女との結婚を望んでも、そう急には結婚出来なかったことになります。

以下のような本を読みました。

'Go Down Together: The True Untold Story of Bonnie & Clyde'
by Jeff Guinn (Simon & Schuster, 2009, $16.99)

この本によれば、お洒落で優雅な暮らしをしていたかのように伝えられているのとは裏腹に、BonnieとClydeは人目を避けるために野宿して車の中で寝たり、川で身体を洗ったり、野原に毛布を敷いて缶詰で食事したりすることが多かったそうです。また、1933年夏、Clydeの荒っぽい運転で車から抛り出され、しかも車の下敷きになって脚・腰を痛めたBonnieは、普通に歩けなくなりぴょんぴょん跳ぶようにしなくてはならず、Clydeの助けがないと立ってもいられないようになりました。こういう惨めで哀れな状況は、映画では完全に無視されています。最後の待ち伏せで殺される時、彼女が車の助手席に留まっているのは、実は動けなかったから…という理由があるんですね。彼女は食べかけのサンドウィッチを握ったまま絶命しました。

また、BonnieとClydeがテキサス・レンジャーを捕虜にしてからかった事実はなく、モデルとなったテキサス・レンジャーの家族が映画会社を相手取って名誉毀損で告訴したそうです。

BonnieとClydeが惨殺された後、John Dillinger(ジョン・ディリンジャー)を初めとする何人かの有名なギャングや銀行強盗たちが官憲の手で次々と射殺されました。また、当時のFBI長官Edgar Hoover(エドガー・フーヴァー)は議会に働きかけ、凶悪な銀行強盗は州を越えて追跡・逮捕出来るよう法の改定を勝ち得ました。この映画では州境の銀行強盗を狙って他州に逃げ延びれば逮捕されないようになっていますが、そのテはこの後使えなくなったわけです。

BonnieとClydeが銃弾を浴びせられ惨殺されたのは、ルイジアナ州北西部のGibsland(ギブズランド)という小さな町の南の田舎道ですが、ここには記念碑も建てられており、この町では毎年BonnieとClydeが殺された日(5月23日)が近づくとThe Bonnie and Clyde Festivalというお祭りが開かれるそうです。

(July 29, 2011)


【Part 3】

次のようなWarren Beattyの伝記から、この映画に関する部分だけ拾い読みしました。
'Warren Beatty: A Private Man'
by Suzanne Finstad (Harmony Books, 2005)
これまでの記述になかった部分、異なる部分をこの本から列挙してみます。

・トリュフォーとゴダールがこの物語の映画化に乗り気だったのは事実だが、彼らが降板したのは彼らの次回作のせいではなかった。英語が達者でなかったトリュフォーは、アメリカ人キャストとスタッフとの言語のバリヤーを恐れて諦めたというのが真実。ゴダールは関係者たち(脚本家と初期の製作者)とのミーティングの席上、トイレへ立つように部屋を出たまま帰って来なかった。関係者たちが狐につままれたような降板であった(ゴダールらしいと云えば云えるが)。

・正式に降板する前、トリュフォーは脚本家達にいくつかの助言をした。その一つは、Bonnieに詩を書かせ、それをテキサス・レンジャーが新聞で読む、その新聞に掲載された詩をClydeがBonnieに読んで聞かせる…という趣向だった。

・Warren Beattyがこの映画に関与することになった経緯はミステリである。ある人が、「私のオフィスにあった脚本をWarren Beattyが見て『借りて読んでいいか』と云うので貸した。これは間違いない」と証言し、他の人もそれを裏書きしている。しかし、Warren Beattyは「トリュフォーから『読んでみろ』と云われた」の一点張りで、上の証言を否定している。

・Warren Beattyは当初製作(あるいは製作と監督)だけをするつもりで、実姉Shirley MacLaine(シャーリィ・マクレイン)にBonnieの役を振るつもりだった。彼は慎重かつ用心深いな性格なので、姉には映画化の腹積りだけは話したものの、「Bonnieを演じてくれ」とは一言も云わなかった。Warren BeattyのClyde役の第一候補は歌手Bob Dylan(ボブ・ディラン)だった。

・脚本家たちの知り合いで映画化権を買った初期の製作者は、トリュフォーとゴダールに監督を断られ、映画会社からも多くの監督達からも嫌われ、ついに映画化権保有期限が切れた。それを待っていたWarren Beattyが、直ちに$75,000で映画化権を買って製作者となった。初期のシナリオが嫌われた理由の一つは、ClydeがBonnieとセックスするだけでなく、逃走用運転手(Michael J. Pollardの役)と同性愛もするという設定にあった。これはトリュフォー好みの設定だったがアメリカの映画界では受け入れられなかったのだ。

・Warren Beattyはワーナー・ブラザースから$18,000,000の製作費を得る契約をした。彼自身のギャラは$200,000と興収の40%だった(社長Jack Warnerは、その40%はほぼゼロに違いないという予測をしていた)。

・脚本家たちとのミーティングの初期の段階で、Warren Beattyは「おれはホモを演じるつもりはない。ホモは観客の同情を得られないからだ」と云った。Warren Beattyは、後に「あれは監督Arthur Pennの差し金だった」と云っている。

・脚本家たちとのミーティングで監督Arthur Pennは「bisexuality(男女両性に性欲を抱くこと)の要素は取り除いて欲しい」と云った。脚本家たちは一瞬むっとなった。Arthur Pennは「これはbisexualityがテーマの映画ではなく、アウトサイダーたちがアウトローとして世の中から閉め出される物語だ」と云い、脚本家たちはついに納得した。

・監督Arthur PennはClydeに何か性的欠陥があるべきだと考えた。そこで脚本家たちは、Clydeを勃起不全にした。Warren Beattyはこれに断固反対した。彼はBonnieとClydeは最後には(肉体的に)結ばれるべきだと主張した。

・シナリオを読む回数を重ねるにつれ、Warren Beattyは自分がClydeを演じるべきだと考え始めた。自分がClydeならBonnieは実姉Shirley MacLaineではあり得ない。この時点でShirley MacLaineは切り捨てられた。彼は自分の以前の愛人Natalie Wood(ナタリー・ウッド)を望んだが、彼女は精神医から遠く離れてテキサスへ行くのを嫌がった。脚本家達の希望はJane Fonda(ジェイン・フォンダ)だったが、彼女は乗り気でなかった。次の候補Tuesday Weld(チューズデイ・ウェルド)はお産の後で授乳のために家に拘束されていた。

・最初に役を得たのは、Michael J. Pollardだった。彼はWarren Beattyの古い友人だった。Gene HackmanはWarren Beattyの1963年のある作品の一場面で共演し、Warren Beattyは「Gene Hackmanに食われないためにシャカリキにならねばならなかった」と彼の演技力を高く買っていたため、単に粗野な男でなく高潔さも備えたClydeの兄の役に彼を望んだ。Gene Hackmanは、自分がスターになる切っ掛けを作ってくれたとして、Warren Beattyにこの配役を感謝している。

・当時ほぼ無名に近かったFaye Dunawayが採用されるに至った経緯は諸説ある。衣装デザイナーのTheadora Van Runkle(セアドラ・ヴァン・ランクル)が「Bonnie役の女優が決まらないのじゃ、これ以上衣装の仕事が進められない」とこぼすと、Warren Beattyが「じゃ、ここから選んでくれ」とニューヨークの俳優名鑑を彼女に向かって抛り投げた。彼女がFaye Dunawayの写真を見て「これが、あなたのBonnieよ」と云ったという説。もう一つは、Faye Dunawayがオフ・ブロードウェイで演じた舞台を見た人物が、Warren Beattyに推薦したというもの。

・監督Arthur PennはFaye Dunawayが気に入った。しかし、Warren Beattyは二の足を踏んだ。Bonnieはテキサスの純真そうな田舎娘が銀行強盗を働く役なのだが、Faye Dunawayの顔の骨格は犠牲者の目を直視しながら冷酷に銃の引き金を引ける感じだったからだ。脚本家でWarren Beattyの友人Robert Towne(ロバート・タウン)は、Warren Beattyを納得させるためFaye Dunawayをビヴァリィ・ヒルズのヘアドレッサーに送り込み、顔の線を和らげる髪型を考案して貰った。こうして撮影されたポートレートはWarren Beattyの気に入り、Bonnie役に決定された。

・Faye Dunawayは大恐慌時代の人間に相応しく減量することを要請され、食事をやめてダイエット・ピルだけで暮らし、約14キロ減量した。そのため、撮影中のFaye Dunawayは一貫して不機嫌だったという。

・衣装デザイナーTheadora Van Runkleは、主人公二人に物語当時の髪型をさせようとした。Faye Dunawayには焼きごてで髪全体を波のようにカールさせた"maecel wave"を、Warren Beattyには頭の真ん中から二つに分けて、耳の後ろをぐるりと刈り上げるスタイル。どちらの俳優もその髪型を拒否した。

・撮影に入る数週間前、監督Arthur Pennが脚本の薄手なことを実感し、降板しようとしたことがあった。上記の脚本家Robert Towneが救いの手を差し伸べた。彼は葬儀屋(Gene Wilderの役)との出会いを作って、BonnieとClydeの不吉な未来を予感させることと、Bonnieの母親の「あたしの家から三マイル以上離れてないと、生きていられないわよ」というパワフルな台詞を付け加えたのだ。

・BonnieとClydeが銃撃されるスローモーション撮影のクライマックス・シーンは、監督Arthur Pennのアイデアで、スタッフからは"ballet of violence"(暴力のバレー)と呼ばれた。これはArthur Pennが黒澤 明の『七人の侍』からヒントを得たものだった。

・Warren Beattyの功績の一つは、ショット・ガンの銃撃音の増幅であった。それはゴミ箱の中で銃を射って音響を高めるというテクニックで、これは監督George Stevens(ジョージ・スティーヴンス)が'Shane'『シェーン』で開発したものだった。パリでのこの映画のプレミア・ショーの日、Warren Beattyは映写技師が銃撃の音響をちゃんと再生していないことに気づき、映写室まで駆け上がった。「何か問題があるの?」と彼が聞くと、技師は「いやいや、直しました。こんな悪い音響は'Shane'以来だ」と技師は云った。

・New York Times紙専属の映画評論家Bosley Crowther(ボズリィ・クロウザー)は、この映画の世界初公開であったMontreal Film Festival(モントリオール映画祭)の時から酷評し、ニューヨークにおける限定公開時にも紙面でこき下ろした。しかし、映画ファンはこの映画に熱狂し、映画評論家達も賛辞を寄せ始めた。プレミア・ショーのためFaye Dunawayがパリの会場に到着すると、Bonnieにそっくりのベレーをかぶった女性達が群れをなしていて、彼女を感激させた。New York Timesは評論家Bosley Crowtherを引退させた(事実上の馘)。

(January 03, 2012)





Copyright (C) 2001-2012    高野英二   (Studio BE)
Address: Eiji Takano, 421 Willow Ridge Drive #26, Meridian, MS 39301, U.S.A.