[Poison] 'A Love Song for Bobby Long'
『ママの遺したラヴソング』

【Part 2】

ちょっと辛気くさい話で、よくまあこんな話を映画にしたがったり、お金を出す人もいるもんだと感心します。Tennessee Williams(テネシー・ウイリアムズ)原作の映画の数々も暗かったですが、その向こうを張ったつもりでしょうか?John Travoltaという大看板がありながら「全米一般公開」とはならず、限られた映画館だけでの公開に終ったそうです。日本の業者がずっと輸入しなかったのも宜(むべ)なるかな。

それにしても、巨大ハリケーンKatrina来襲(2005年)の一年前だったからよかったので、あの後ではこのような映画は作れなかったでしょう。先ず、飲み水が危険だったそうですし、至る所に細菌源が潜んでいたそうです。泊まる場所もない。とてもロケ隊が入れる環境ではなかったわけです。人々が食料や寝る場所にも困って救援が必要な時に、アル中たちがのんびり呑んだり唄ったり踊ったりする場面など撮れませんしね。袋叩きにされてしまう。

タイトルバックでJohn Travoltaが、自宅近くのバーからLorraineが埋葬される墓地へと歩きます。その背景が「これでもか、これでもか!」というほどいかにもニューオーリンズ“らしい”場所なのですが、私の僅かなニューオーリンズ体験から云っても、とても歩ける距離ではなく、しかも市の南から北へ歩き、西に向かった後又東にUターンしているような印象です。その確認のため、ニューオーリンズに数年住んでいたカミさんに見せると、全く私の推測通りでした。しかし、彼女は「映画ってそういうことをしょっちゅうするじゃない?」と驚きもしませんでした。ま、John Ford(ジョン・フォード)の'Stagecoach'『駅馬車』(1939)の馬車も、Monument Valleyの一番絵になる場所をぐるぐる廻っていただけだったので、それと同じとも云えます。私は只、この映画の監督が他の映画監督と同じようなことをするタイプなのか、そうでないのかを知りたかっただけですが。

背景となったこれらの場所のいくつかも、ハリケーンで傷ついたり無くなったりしたのではないでしょうか。もしそうであれば、ハリケーン前の良きニューオーリンズの記録となることでしょう。

Scarlett Johanssonが読んだ本'The Heart is a Lonely Hunter'(邦題『愛は寂しい狩人』)は映画にもなっていて、このサイトでも紹介しています。『愛すれど心さびしく』というタイトルです。

この映画は日本では未公開だそうなので、物語の後半も書いちゃいます。もしDVDを観る予定の方は以下は読まないで下さい。【警告:2007年4月劇場公開予定になりました】

Part 1の後、娘が、歌手だった頃の母親の偉大さや、母親のJohn Travoltaとの愛情物語を知り、少しずつ心理的に軟化して行く様が描かれます。そして、あばら家の中を整理し、ペンキを塗って外装も変えたりします。

Scarlett Johanssonの復学と引き換えにGabriel Machtは酒を断つことを誓い、John Travoltaも同じ努力を始めます。娘は母親の遺品の中に、出されず仕舞いだった彼女自身への手紙の束を発見します。その中に、John Travoltaが彼女の実の父親であるということが書かれていて、娘とJohn Travoltaは和解し抱擁し合います。Gabriel Machtは恩師に関する原稿を書き溜めて行きます。二年後、John Travoltaは肝臓癌だか腎臓病で亡くなりますが、Gabriel Macht執筆の伝記はベストセラーとなり、Scarlett Johanssonと二人で本をJohn Travoltaの墓に供えます。めでたしめでたし。

しかし、私に云わせればこの映画の物語は破綻しています。母親を知らずに育った娘が母親(の実像)を見出して行く過程と、どうしようもないアル中男の中の過去の情愛・情熱・熱情などを発見して行く過程が錯綜していて、どちらも深まっていないのです。「物語のテーマはどっちなの?」と聞きたくなります。

いかにあばら家に住んでいたとしても、John Travoltaはどうやって食べているのか?大学に長く勤めていたそうですから、社会保障手当(国民年金のようなもの)は支給されているでしょう。しかし、働きもしない寄生虫のような元助手Gabriel Machtにも食わせ、二人でのべつ幕無し呑めるような額でしょうか?そもそも、この映画では食事を作るシーンなど一つもなく、誰かが食料品を買いに行くシーンもありません(外へ食べに行くシーンはある)。「いがみあう三人の共同生活」を描いているようで、共同生活のリアルな描写は皆無です。全て、絵空事のような物語と云えます。

John Travoltaに文学の教授を演じさせるというのも無理がありますが、彼の台詞の大半は文豪の言葉の引用です。彼の言葉かと思って聞き入っていると、Gabriel Machtが「ディラン・トーマスだ」とか、「T.S.エリオットだ」と種明かしします。つまり、この男の本音ではないのです。これでは人間を描いていることになりませんん。これは脚本の責任です。

'The Ladykillers'『レディ・キラーズ』(2004) のTom Hanks(トム・ハンクス)演じる“教授”もそうでしたが、アメリカ映画が大学教授風の人物を描こうとすると、すぐ詩や文学の引用のオンパレードになるのはどうしてでしょう?オリジナルの'The Ladykillers'『マダムと泥棒』(1995)のAlec Guinness(アレック・ギネス)は、文学の引用など一切しなくても立派に“教授”らしい存在感がありましたが。

John Travoltaの台詞に文学の教授らしくないブロークン・イングリッシュが二度ほど出ます。久し振りに会ったScarlett Johanssonに"All growed up."(すっかり成長したな)と云いますが、grow-grew-grownであって、growedという言葉は存在しません。"She don't like me."などとも云います(三単現なのに)。ひょっとして脚本家も南部生まれで、こういう表現で南部らしさを出そうとしたのかと思いましたが、彼女は東部の生まれでした。南部を馬鹿にしているのか?

John Travoltaに完全に老けの演技をさせられなかったのも失敗です。時折、John Travoltaの目は鋭く光り、とてもアル中の老人には見えず、実際の歳相応の人間が出てしまいます。これも監督の責任でしょう。

助手Gabriel Machtの存在も奇妙です。John Travoltaとホモの仲でもなく、もうJohn Travoltaを尊敬していない感じなのに、どこへも行かずに六年もくっついているなんて。

こういう風に、私には不満だらけの映画ですが、映画データベース・サイトIMDbへの読者のコメントは褒め言葉ばかり。舞台がニューオーリンズ(愛称"Big Easy")であるというだけで、イーズィに許してしまう観客もいるようです。

終盤でJohn Travoltaがギターの弾き語りをします。父娘和解の前の大事なしんみりしたシーン。そこで唄われるのが菅原洋一のヒット曲『知りたくないの』(♪あなたの過去など、知りたくないの♪)なのです。もちろん、英語で唄われるのですが、私はびっくりしてしまいました。インターネット検索によって、その曲はアメリカの歌であり、なかにし礼が日本語の詞をつけたものだと知りました。'I really don't want to know'(ほんとに知りたくないの)というのが原曲(1953年発表)。この歌が終ると、Scarlett Johanssonが「彼女(Lorraine)を愛してたの?」と詰め寄ります。『知りたくないの』じゃくて「知りたい」という皮肉な設定。

あ、忘れていましたが、この映画の撮影は誉めたいです。セットではない本物の狭い家の中で照明をあてるのも大変な筈なのに、よく頑張って自然で、かつノーライトでは出来ないきちんとした照明をしています。色彩設計もよくやっています。

(November 09, 2006)、改訂(March 18, 2007)





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