[Poison]

Band of Angels

『南部の反逆者』

【Part 2】

私は'Song of the South'『南部の唄』(1946)をNAACP(全国黒人地位向上協会)が「好ましくない映画」として再上映、ヴィデオ・リリースを禁じているのは行き過ぎだと考えています。NAACPの理由は「黒人たちが奴隷としての生活を楽しんでいるように描かれている」というものでした。黒人たちが歌いながら農作業から帰って来る場面を指しています。では、この'Band of Angels'はどうなるのでしょうか?ここでは主人の送迎に心から喜んで歌い、手を振り、弾むように歩く黒人たちが描かれているのです。

Yvonne De Carloが「このまま船で北へ行け」と云われても、買われた“主人”のもとに留まるのもNAACPは気に入らないのではないでしょうか?よしんば、NAACPが問題にしなくても、このような主体性のない、男性に従属的な女性像はNOW(全米女性機構)あるいはNCWO(女性組織全国会議)が嫌うことでしょう。この映画がヴィデオとして生き残っているのは奇跡ですが、言論の自由、表現の自由から云えば、それで当然です。

白人と黒人の混血というのは当人の苦悩と黒人として蔑視される屈辱などを伴うため、簡単にドラマティックになるので、'Show Boat'『ショウ・ボート』(1936,1951)、'Pinky'(1949、本邦未公開)、'Raintree County'『愛情の花咲く樹』(1957)などいくつかの映画のテーマになっています。'Show Boat'の舞台女優は混血と知れると船を追われ、酒場女のような生活に転落します。'Pinky'のヒロインである看護婦は混血であることを認め、黒人のために尽くすことを誓います。'Raintree County'の混血女性は大統領選に出馬する夫のために、自ら命を絶ちます。

アメリカでは何分の一かでも黒人の血が混じっていれば黒人として扱われます。ルイジアナ州では1983年まで、黒人の血が1/32以上混じっていると出生証明書には「黒人」と記されたそうです。曾祖母が黒人だと、当人の肌の色には関係なく「黒人」と分類されたわけです。この映画のヒロインの場合母親が黒人ですから、1/2が黒人の血ということになります。

実はClark Gableの役にも黒人の血が混じっていたというお話で、それで後半Sidney Poitierが彼を助けることになります。複雑怪奇。

白人の富豪のお嬢さんが奴隷として売り買いされてしまうというのは、哀れで見ていられません。あくまでも白人として生きて行く決意をするというのも、他の映画の主人公たちの正直さと異なるので、彼女の欺瞞の後半生を憂えてしまいます。勿論、“欺瞞”というのは「黒人の血が混じっていれば黒人」で、「黒人=奴隷」という、その頃の通念に即してのことであって、私の考えではありません。彼女が「皮膚が白ければいいのよ」と開き直って太く強く生きるとかいうなら、現代風でいいでしょうが、男にすがるしかないという他力本願の女性ですから、嘘をつき通すという暗いイメージになってしまいます。そういう意味ではスッキリせず、あまり愉快な映画とは云えません。

トウモロコシ畑が燃えるシーンは壮観です。しかし、何やら'Gone with the Wind'の火事を思い起こさせるのが興ざめ。

邦題の『南部の反逆者』というのは大いに疑問です。主人公Clark Gableは何も反逆めいたことはしていません。北部に敵対したというなら、南部全体が反逆者になります。

(September 01, 2002)





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