July 01, 2025

フェアウェイ・バンカーからグリーンまで飛ばす

 

[Fairway bunker]

インストラクターTom Stickney(トム・スティックニィ)によるtip 。

''Play Like a Pro'
edited by David Denuzio (Time Home Entertainment, 2013, $29.95)

「大多数のアマチュアと同じように、あなたもフェアウェイ・バンカーのショットを他のバンカー・ショットのように扱い、インパクトでかなり多めの砂をとって、ボールをグリーンの遥か手前に打っているだろう。

どのクラブを用いるのであれ、フェアウェイ・バンカーから充分な飛距離を得るにはボールを先に打ち、砂に接触するのはその後でなくてはならない(グリーンサイド・バンカーとは逆である)。普通のフェアウェイからのショットでもボールを先に打ち、次いで地面と接触してディヴォットをとるのだが、アマチュアはディヴォットをとるのが不得手である。だからフェアウェイ・バンカーでは特別な注意が必要だ。次の要領でフェアウェイ・バンカーでは薄く打つコツを学んでほしい。

・練習場では

地面からほんの僅か浮いている程度に練習ボールをティーアップする。練習ボールに描かれた横線を地面と平行にする。あなたの目標は手にしたアイアンのリーディング・エッジでその横線を打つことだ。それがボールの後ろの砂を避け、必要な距離を打つ接触法である。

・コースで

ラウンドでフェアウェイ・バンカーから打つことになったら、ボールに横線が描かれているかのように視覚化し、その場所をクラブで打つ。こうすれば、常にバンカーからグリーンへと届かせることが可能になる。

・おまけ

フェアウェイ・バンカーでは必ずしもアイアンを選ぶ必要はない。ハイブリッドでイーズィなスウィングをしてもよい。ボールは楽々と顎を越えグリーン近く(あるいはピン傍)へと届くことだろう」

(July 01, 2025)

砂が固いバンカーから脱出するコツ

 

私のプレイするコースのバンカーの砂は川土を篩(ふる)ったもので、それも層が薄く、砂の数センチ下は固い土なんです。雨の後は砂が締まってほとんど土に化けてしまうという恐ろしいバンカーです。

これまでそういう固いバンカーから脱出する方法を色々学んで来て、一応出せるようにはなったのですが、必ずピン傍とは行かず、かなり結果にムラがありました。

このヴィデオは投稿者の名が「わっほーまっちゃんの日常」という何か怪しげなものなんですが、「砂がない硬いバンカーはこうやって打ちます」というYoutube videoがありました。【https://www.youtube.com/shorts/dJjH5M9wHFE】それによれば…、

・少ないフェースのオープン度

普通の柔らかい砂でオープンにする角度の半分以下にする。

・1/2スウィング

砂が固いとボールが飛び過ぎるので、スウィングを小さくする。

・スローなテンポで打つ

普通のバンカー・ショットの1/2のテンポ。

[icon]

少なめ、小さめ、遅め…ですから、全てにおいて1/2にスケールダウンすることが望まれるようです。

このヴィデオを見た後、時を経ずしてBobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)のバンカー・ショットのヴィデオを見る機会がありました。顎の高いバンカーでしたが、彼は砂を打ってすぐクラブを止めていました。超短いフォロースルー。「バンカー・ショットでは大きいフォローをせよ」と云われるので、私は馬鹿正直にそうやってピンをオーヴァーさせていたのですが、重い砂でなければ短いフォローでもOKなのだということが判りました。

その後、短いバックスウィング、ごく短いフォローでピン傍に寄せられるようになりました。最近、バンカーからチップインさせるという快挙さえありました^^。

 

(July 01, 2025)

知られざるBobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)その3

'The Basic Golf Swing''
by Bobby Jones, illustrated by Anthony Ravielli (The Classics of Golf, 1990、復刻版)

この本はBen Hogan(ベン・ホーガン)のベストセラー'Five Lessons'『モダン・ゴルフ』のイラストを手掛けた画家Anthony Ravielli(アンソニィ・ラヴィエリ)の絵をフィーチュアした、絵本のようなスウィング・インストラクションです(オリジナルは1969年刊)。

[book]

この本の後書きはBobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)の11歳年下で、Bobby Jonesやその父親とよくラウンドしたCharlie Yates(チャーリィ・イエイツ)が執筆しているのですが、ほとんど知られていない興味深い事実が書かれています。

「少年時代、私はBobby JonesがしょっちゅうプレイしていたEast Lake Country Club(イースト・レイクC.C.)の傍で育った。私より11歳上で17歳だった彼の後ろにくっついて、No.4の塀をすり抜けてコースに行ったのを覚えている。

彼は彼の歳よりも成熟していて、私のような年下の者にものすごく親切だった。彼は私をロッカールームに入れてくれ、アトランタ名物の魔法の液体―コカ・コーラを飲ませてくれた最初の人物だった。ラウンドの後、彼は我々にボールをいくつかくれたものだ。彼は《若者に優しくしない者は傑出した人間とはなれぬ》という諺の実例だった。

時々、彼はNo.18のすぐ後ろにあった小さなチップ&パット・コースでプレイした。しかし、覚えているが、彼は十代の頃もその後も練習場の虫ではなく、頻繁にプレイすることで技に磨きをかけるのが主だった。私に出来る唯一の説明は、彼の比類なき腕前は神様がくれた自然な能力であり、練習場で沢山の篭のボールを打つ必要はなかったというものだ。

彼は1925年の全米オープンのプレイオフでWillie Macfarlane(ウィリィ・マクファーレン)に敗れた。翌週、彼はイースト・レイクC.C.に戻って来た。当時11歳だった私が「残念だったね」と云った時、彼が云った言葉を忘れることは出来ない。「キミ、覚えておけ。真の友かどうかは惨めな時に解るものだと」

彼の名は彼のお祖父さんRobert Tyre Jone(ロバート・タイア・ジョーンズ)にちなんでつけられた。彼のお祖父さんはジョージア州のCanton(キャントン)という小さな町の実力者だった。彼は銀行の頭取で、紡績工場やショッピング・センターの持ち主でもあった。私はBobby Jonesのお母さんをMiss Clara(ミス・クララ)と呼んでいた。彼女は終生ひ弱で病弱だった。逆に、”大佐”と呼ばれていた彼のお父さん(弁護士)は世に比類なき外向的人物だった。彼は人生を愛し、彼の言葉遣いはカラフルだった【註:卑語・俗語を使ったということ】。彼ら親子の関係は素晴らしいものだった。

彼がゴルフ・コースで成功を収めた反面、家庭では様々な意味で不幸だったことに思いを致さずにはおられない。彼の妻Mary(メアリ)は幼い末娘Mary Ellen(メアリ・エレン)同様、癌で亡くなった。Bob III(ボブ三世)は心臓発作で亡くなった。長女Clara(クララ)だけは無事であるとお伝え出来るのは喜ばしいことだ。

1948年、Bobby Jonesは難病のためにゴルフを断念せざるを得なくなった。あるリポーターが「それは困難な決断ではなかったか?」と尋ねた時、彼はこう答えた、「そう大変なことじゃない。1メートルのパットにもう悩むことはないんだと考えればいいんだから」

その年以降、彼は悪化する病状に耐え忍ばねばならなかったが、偉大な気高さで病気に対応し、誰かに心配させたり過度に待たせたりすることはなかった。

彼の法律事務所は小さく、人々が想像するように彼が共にプレイした有名人の写真が壁に並んでいたり、彼が得たトロフィが棚に飾ってあったりはしなかった。実のところ、ゴルフ関連の記念品は二つしかなかった。一つはセント・アンドリュースのオールド・コースの線画、もう一つは屋根裏に置かれた古いゴルフバッグの写真で、木のシャフトのクラブと、ドライヴァーにかぶせられた古いゴルフ帽が映っているもの。その脇にGrantland Rice(グラントランド・ライス、スポーツ・ライターで詩人)の素晴らしい詩が書かれている。「勝ったか負けたかが重要なのではなく、どのようにゲームをプレイしたかが重要なのだ」

(July 01, 2025)



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