April 01, 2025
●知られざるBobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)その2
毎年四月となればマスターズ、マスターズとくればその創始者Bobby Jonesが思い起こされます。
Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ、1902〜1971)は1930年に全英アマ、全英オープン、全米オープン、全米アマの四つのメイジャー・トーナメントに優勝しました。この快挙はグランド・スラムと呼ばれ、Bobby Jones以前も以後も誰一人達成したことのない記録です。
現在では優秀なゴルファーはみな若くしてプロになってしまうので、上のように一年間に全米アマと全英アマの両方に優勝する人はいません。
そして、現在のメイジャーは全英オープン、全米オープン、PGA選手権、マスターズの四つとなっています。これら全部に優勝したプロは何人かいますが、カレンダーにおける一年以内ではなく復数の年にまたがっています。この場合はキャリア(生涯)グランドスラムと呼ばれて区別されます。
グランド・スラムという言葉は、元々はトランプ(カード・ゲーム)のコントラクト・ブリッジの凄い勝ち方を指したのですが、いつの間にか様々なスポーツの華々しい成果について云われるようになりました。
'Bobby Jones and the Quest for the Grand Slam'
by Catherine M. Lewis (Triumph Books, 2005, $34.95)
最近、「グランドスラム達成75周年記念」と銘打たれた上記の本を入手しました(20年前の出版です)。Bobby Jonesのゴルフについては当人も本を出版し、多くのライターたちも沢山の本を出しています。しかし、この本は著者が彼の遺族や出身大学、博物館などから集めた珍しい写真の数々と、これまで書かれていなかった様々な事実を教えてくれます。
私が知りたかったのは、Bobby Jonesは道楽息子のように親父の脛をかじってゴルフ三昧の生活をしていたのだろうか?というものでした。なぜなら、彼は足掛け10年の間に三つの大学に通い、その間もゴルフ・トーナメントに出ていたからです。
ゴルファーでもあった父親が親馬鹿で一人息子を経済的にサポートしていたのは間違いないでしょう。なにしろ、父親は弁護士でしたしクライアントの一つはアトランタに本社がある大企業コカ・コーラだったのですから。経済的には息子のための学費とゴルフ・トーナメントのための旅行や滞在費、エントリー・フィーなどを出すぐらいは何ともなかったと思われます。
Bobby Jonesは1918年(16歳)から四年間ジョージア工科大学で機械工学を学び、その後の二年間ハーヴァード大学で英文学を学んでいます。
彼は16歳の1916年からメイジャー・トーナメントに挑戦しましたが、10年間は優勝出来ませんでした。やっと優勝出来たのは21歳の1923年の全米オープンでした。
人々は「プロになるのか?」と彼に尋ねましたが、彼にそんな気はありませんでした。この当時、アマチュアは紳士としてクラブハウスに自由に出入り出来、ロッカー・ルームも使えましたが、プロというのはゴルフ場に所属するレッスン・プロであり、クラブハウスには入れないワン・ランク下の身分だったのです。優勝賞金も現在のように莫大ではありませんでした。金持ちの御曹司で何不自由なくゴルフ出来たBobby Jonesにプロになる理由などなかったのです。
ちなみに1930年の全米オープンの優勝賞金は$1,000、全英オープンの優勝賞金は£100でした(約$500)。時代の差はあるとしても、現在の感覚からすると信じられないほどの少額です。後述の彼の映画出演料と較べてみれば分かります。
1924年に22歳でハーヴァード大を卒業後、結婚したBobby Jonesは二年ほど不動産会社に勤めます。しかし、不動産売買は一生の仕事ではないと見切りをつけ、1926年にアトランタにあるEmory University(エモリィ大学)で法律を勉強します。二年目の1928年に司法試験に受かったため(頭が良かったのです)、その時点で卒業し、父親が属していた法律事務所の一員となりました。ただし、彼は自分は法廷弁護士には向いていないと考え、事務弁護士として民事や契約などを主にする仕事に携わることにしました。
1930年、全英アマ、全英オープン、全米オープンと連勝してグランドスラムに王手をかけた最後のメイジャーは、ペンシルヴェイニア州のMerion(メリオン)で開催された全米アマ。最終日の観客数、この日の午前は9,000人でしたが、午後には倍の18,000人と膨れ上がりました。この大会のチケット収入は$55,319でした。その30数年後の1964年の全米アマのチケット収入がたった$17,261だったそうですから、いかにBobby Jonesの動員力が凄かったかが分かります。
Bobby Jonesは1930年のグランドスラム達成後直ちに引退を表明しましたが、私の想像ではそれ以前から映画会社ワーナー・ブラザースから打診を受けていたと思います。翌1931年に、劇場で本編上映前に映写する14分程度の短編映画'How I Play Golf' というシリーズ全12本を$100,000+興収のパーセンテージで出演する契約をし、ハリウッドの有名俳優たち(無料出演)と共演しました。これが好評だったため、二年後の1933年に続編'How to Break 90'という六本シリーズへの出演を$60,000で契約しました。
また、クラブメーカーSpalding(スポールディング)はBobby Jonesを副社長として迎え、彼が設計し、彼の名を冠したクラブセットを販売しました。この際、工科大学で学んだ機械工学の知識が役に立ったことと思われます。41年間に計15モデル、約200万セットが売れたそうです。
1942年、太平洋戦争勃発と同時にBobby Jonesも陸軍に身を投じました。前線でドンパチする兵隊ではなく、捕虜を尋問する訓練を受けた情報部門でした。戦争の後半英国に送られ、『史上最大の作戦』で有名なノルマンディ上陸作戦の翌日、彼自身もノルマンディに上陸したそうです。戦争終了後、二年経って除隊しました。
彼はビジネスにも才があり、30人の他の出資者と共同で南米や世界各地にコカ・コーラのボトリング会社を作って儲けました。父が亡くなってからはコカ・コーラの法律顧問も引き継ぎました。
Bobby Jonesは生前四冊の本を出版しています。これにはハーヴァード大で学んだ英文学の教養が役立ったことでしょう。
・’Down the Fairway' (1927)【1927年(25歳)までの自伝】
・’Golf is my Game' (1961)【マスターズの思い出を含む59歳の時の自伝】
・'Bobby Jones on Golf' (1966)【様々な雑誌に書いた記事の集大成】
・'The Basic Golf Swing' (1969) 【画家Anthony Ravielliと共著のゴルフ・スウィング図解】
没後に発見された分解写真(1933年撮影)を元にBen Crenshaw(ベン・クレンショー)が解説した小型本もあります。これも素晴らしい本です。
'Classic Instruction' (1998, The American Golfer, $25.00)
短編映画全16本を一枚のDVDにまとめたものも出ています。【右の写真】
【参考】
・「Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)のグランド・スラム(パート1)(tips_200.html)
・「Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)のグランド・スラム(パート2)(同上)
・「Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)のグランド・スラム(完結篇)(同上)
・「知られざるBobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)」(tips_210.html)
(April 01, 2025)
![]() |
Copyright © 1998−2025 Eiji Takano 高野英二 |