March 20, 2024

先行捻転の素晴らしさに改めて驚嘆

 

[Flying start]

私が「先行捻転」と呼んでいるテクニックがあります。これはスウィングが不調になって「とにかく真っ直ぐ飛ばそう」という気になると先行捻転どころではないということで忘れ去られてしまいます。ここ数ヶ月もそうで、先行捻転のことなど全く頭に上って来ませんでした。

先行捻転を簡単に説明すると、身体を僅かに捻転させながら40センチほどテイクアウェイし(フェースはややオープン気味になる)一瞬停止(赤矢印)、そこからやおらバックスウィングを開始するというものです。これはバックスウィングの長さを短くするので、私は冗談に「合法的フライング・スタート」と説明しています。私の場合、ボール軌道を高くするためボール後方27センチでアドレスし、そこを仮想ボール位置として見つめながらスウィングします(本当のボールを見ちゃうと天ぷら)。ですから、その27センチに先行捻転の40センチを足すとバックスウィングが計67センチ短くなるため、トップに至るまでの所要時間はかなり短くなります。それによってテンポが急速になるせいでしょうが、力まなくても飛距離が増すのです。

先日、久しぶりに先行捻転によるドライヴァーのスウィングを試してびっくりさせられました。

No.6(396ヤード)パー5で、ティー・ショットがいつもより飛んだことに気づきました。

No.9(230ヤード)パー4は急な上りのホールですが、残り80ヤードまで飛びました。以前はこの距離が普通でしたが、最近は滅多に届かない地点でした。

No.15(300ヤード)パー4で残り130ヤードまで飛びました。計算上は170ヤード飛んだことになります。飛距離減に焦っていた昨今としては快挙でした。

No.16(200ヤード)パー4は上りのホールで、正面に打つとバンカー越えで距離感の判断が難しいホール。私はバンカーの左端を狙って打ちましたが、狙い通り真っ直ぐ、しかもピンまで50ヤード地点まで飛びました。

No.18(284ヤード)パー4のティー・ショットは残り95ヤードまで届きました。計算上は189ヤード飛んだことになります。勿論それはキャリーではなく、右から左に傾斜したフェアウェイによって30ヤード近くランに助けられたと云っていいと思います。ティーショットの目的は可能な限りグリーンの近くへ飛ばすこと…というのが正しければ、先行捻転は見事に私を助けてくれたことになります。

[pre turn]

こうして、私の飛距離減の悩みは嘘のように消え去りました。嬉しいことに、この技法は飛んだとしても球筋を乱しません。私のように飛距離減を痛感している高齢ゴルファーにとって、先行捻転は素晴らしい贈り物と云えます。

ついでに私はドライヴァーばかりでなく、他のクラブを使う時にも利用し始めました。

【おことわり】もともと飛ぶ人、スウィングが早い人などは、先行捻転をしても飛距離増は期待出来ないかも知れません。

【参考】
・「先行捻転で飛ばす」(tips_161.html)
・「先行捻転・再履修」(tips_195.html)
・「先行捻転の本格活用」(tips_195.html)
・「先行捻転セオリーの利用」(tips_201.html)

(March 20, 2024)

素振りのもう一つの役割

 

ここ数回のラウンドで素振りがいかに大事か痛感しています。

[mat]

素振りにはスウィングの予行演習だけでなく、スウィング弧の最低点を見極める役割があります。地面のどの地点をクラブで擦っているかを確かめ、スタンスのどこをボール位置とすればよいかを決定します。「ボール位置は常に決まってる!」と思われるかも知れませんが、ゴルフコースの地面は練習場の床と違って平らではありません。左右にも前後にも傾斜しています。地形と傾斜によってスタンスの前方・後方のどちらかにボールを移さねばならない時があります。

そして、プロでもロボットでもない我々のスウィングは日々、あるいは時々刻々変化します。その日、その瞬間の体重移動の仕方によってスウィング弧が変わることがあり得るわけです。それを確認してボール位置を変えないとダフったりトップしたりします。

ある日のラウンドのあるアイアン・ショット。素振りをしたら、スタンス中央ではなく、数10センチ右足寄りの地面をクラブが擦りました。「えっ?チップショットでもないのに…」と思いつつ、さらに二回ほど素振りしました。どれも同じ結果、スタンス後方です。私は素振りで確かめた位置にボールが来るように立ち、素晴らしいショットを放つことが出来ました。もし、いつも通りスタンス中央にボールを置いて打ったら、とんでもなくダフってチョロになったことでしょう。

こうして、私は最適のボール位置を求めるために素振りをし、これまでになく正確なショットが出来るようになりました。

【参考】
・「日替わりボール位置」(tips_114.html)
・「寄せのボール位置は固定するな」(tips_124.html)

(March 20, 2024)

実録タイガー・ウッズ

 

Arnold Palmer(アーノルド・パーマー)、Jack Nicklaus(ジャック・ニクラス)、Tiger Woods(タイガー・ウッズ)の三人の生い立ちから成功、彼らのビジネスまでをも網羅した本を読みました。夥しい数の関係者(家族、友人、コーチ、ビジネス・パートナーたち等)にインタヴューした克明な調査により、非常に実証的に書かれています。また、黒人をツァーに参加させなかったPGAや多くのコース、黒人会員はおろか女性会員も認めなかったオーガスタ・ナショナル(マスターズ会場)の動向などについても詳細な事実が読めます。

[Wicked_game]

'The Wicked Game''
edited by David DeNunzio (TimeHome Entertainment Inc, 2013, $32.95)

書名の"wicked"という言葉には「不道徳な、意地の悪い」という意味と、正反対に「凄くいい、かっこいい」の両方の意味があります。日本語の「やばい」に似ています。以下はタイガーを中心に印象に残った部分です。出版年が古いので、彼のスキャンダル関連は含まれていません。

「タイガー・ウッズは父Earl Woods(アール・ウッズ)の一人息子ではない。Earlと前妻との間に三人の子供があったからだ。

Earlは軍の仕事でほとんど家におらず、三人の子育てには無関心だった。

Earlがタイに派遣された時、現地でTida(ティダ)を見初め、アメリカに連れて来て、それから前妻との離婚手続きを始めた。

Earlは自分が最初の黒人野球選手だったとか(事実ではない)、自分の過去のことも含め事実誤認が多い。

Earlはタイガーが黒人であるということで小学校でイビられたと云っているが、それは事実ではなかった。

Earlと妻Tidaは毎日学校からゴルフ練習場に息子を連れて行った。

タイガーの最初のコーチはRudy Duran(ルディ・デュラン)で、タイガーが4~10歳まで教えた。彼が他所へ引っ越すことになった後はJohn Anselmo(ジョン・アンセルモ)がタイガーを教えた。二人ともタイガーの才能を見抜き、レッスン・フィーを取らなかった。John Anselmoが病気になった時、EarlはButch Harmon(ブッチ・ハーモン)を見つけタイガーのコーチを頼んだ。ブッチ・ハーモンのタイガーに関する印象も「素晴らしい」というものだったが、彼は「タイガーがプロ入りしたらレッスン・フィーの請求書を送らせて貰う」と云った。

高校時代、タイガーはコーチからも同級生たちからも好かれた好青年だった。この時期、タイガーは初めて女友達を得た。Dina Gravelli(ダイナ・グラヴェリ、白人、金髪、17歳)。彼は彼女を家に連れて行ったが、Earlも妻のTidaも冷ややかに彼女に接した。

タイガーとダイナ・グラヴェリは仲良くなり、二人の関係は三年間続いた。しかし、ダイナが「あたしは他の男性ともデートするから、あなたもそうしなさい」と云ったので、タイガーが怒って二人の仲は終わった。

タイガーはスタンフォード大学に進学し、初めて両親と離れて暮らすことになった。孤独だった彼はSan Jose(サンノゼ)に住む義姉Royce(ロイス、当時30歳のシングルマザー)を頻繁に訪ねた。タイガーが「おれが有名になったら家を買って上げる」と約束した時、ロイスは笑い飛ばした。後にタイガーは本当に彼女に家を買い与えた。

スタンフォード大で、コーチはチームとしての仲間意識を醸成するため、タイガーも他の生徒と一緒に練習すべきだと説いたが、タイガーは仲間とお喋りしたりせず、いつも一人で練習した。

タイガーが大学在学中の1995年10月、Arnold Palmer(アーノルド・パーマー)があるトーナメント開催地での昼食にタイガーを招待し、数々の助言をした。食事の勘定はパーマーが払った。これはNCAA(全米大学体育協会)のアマチュア規定違反だった。アマチュアはあらゆる利益を得てはならなかったからだ。気づいたタイガーは慌てて勘定の半分をパーマーに送ったが、それでも規定違反の嫌疑は消えなかった。この出来事がタイガーの大学中退、プロ入りを早めることになった。親分肌で大富豪のパーマーは、大学生に食事を奢って当然と思ったのだろうが、とんだ罪作りをしたことになる。タイガー当人も彼の両親も大学を卒業することを望んでいたからだ。

1996年、全米アマ三連勝という快挙を達成した後、タイガーはプロ入りを宣言。Titleist(タイトリスト) と三年間300万ドル(約4億円)、Nike(ナイキ)と五年間4千万ドル(約60億円)の商品使用・宣伝契約をした。

同年「ラスヴェガス招待」トーナメントに初優勝し、$297,000(約4,000万円)の賞金を得た。

1997年のマスターズの前に、タイガーは両親のために新居を購入したが、母親のTidaだけが入居し、Earlは元の家に留まった。事実上の別居であった」

(March 20, 2024)



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