February 26, 2021
●Bobby Jones(ボビィ・ジョーンズ)のグランド・スラム(パート2)
'The Grand Slam: Bobby Jones, America, and the Story of Golf'
by by Mark Frost (Hyperion, 2004, $15.95)
【全英オープン】1930年6月18日〜20日、Royal Liverpool(ロイヤル・リヴァプール)G.C. (Hoylake)
・6月16日(月曜日)に全英オープンの予選・本戦出場資格を判定するクォリファイング・ラウンドの一日目が開催され、296人が参加した。ボビィ・ジョーンズは73で廻った。
・6月17日(火曜日)のクォリファイング・ラウンド二日目、参加者は112名に減らされた。ボビィ・ジョーンズは77で廻り、他の61人と共に全英オープン参加の資格を得た。
・6月18日(水曜日)、全英オープン初日。ボビィ・ジョーンズは、カメラのシャッター音や女の叫び声に妨害されボギーを出したものの、70に収めた。
・6月19日(木曜日)、二日目。彼のスコア72は一見堅実に思えるが、実際にはドライヴァーが不安定で、もっぱらパットの上手さで凌いだものだった。
・6月20日(金曜日)、最終ラウンド(36ホール)。参加者61名のうち52人がプロで、アマチュアは9人だった。多くのプロ(特にイギリス人のプロ)は、六回も連続でアメリカ人に優勝をさらわれているのにげんなりしていたし、アマチュアのボビィ・ジョーンズが二回も優勝しているのにもムカついていた。誰かが英国国旗のために立ち上がらなければならないと考えていた。金曜日の朝、ウェールズ生まれのArchie Compston(アーチィ・コンプトン)が、ボビィ・ジョーンズをやっつけると広言した。
午前のラウンド、ボビィ・ジョーンズのドライヴは相変わらず乱れており、パー、ボギー、ボギーという出だしだった。後方のグループの観衆から喚声が聞こえて来た。アーチィ・コンプトンが快進撃を見せていたのだ。最初の18ホールをアーチィ・コンプトンは、コース・レコードより二打少ない68という新記録を達成した。彼はボビィ・ジョーンズを一打引き離して、トーナメント・リーダーとなった。
午後のラウンド。イギリス人の観衆はボビィ・ジョーンズを好いていたものの、トップに立った同国人に優るものはない。大観衆はボビィ・ジョーンズではなくアーチィ・コンプトンを幾重にも取り巻いた。 |
【U.S.オープン】1930年7月10日〜12日、Interlachen(インターラーケン)C.C. (Minnesota)
Walter Hagen(ウォルター・ヘイゲン)は、最近スティール・シャフトのクラブに替え、そのアイアン・ショットを復活させていた。彼は云った、「ここには世界中の1,200人の参加希望者から選りすぐられた150人のベスト・ゴルファーが集まっているが、彼ら全ての相手はたった一人、ボビィ・ジョーンズだ。こんなことはゴルフ始まって以来のことで、信じられないことだ。しかし事実だ」
ボビィ・ジョーンズは、まだヒッコリー・シャフトのクラブを使っている一人だった。彼は17本のクラブをバッグに入れていたが、1番アイアンとオーヴァー・サイズの(フェースが凹んだ)ウェッジ(サンドウェッジ発明以前のもの)は、滅多に使われなかった。
ボビィ・ジョーンズのアトランタの二人の友人が、彼のボディガード兼ウォーター・ボーイ(飲料水補給人)として随行し、大観衆から揉みくちゃになる彼を守った。
・7月10日(木曜日)、この年のこの地域の暑さはU.S.オープン始まって以来の記録だった。初日の昼の気温は木蔭でさえ39℃で、その後42℃になろうとしていた。湿度は一日中80〜90% だった。アメリカ南部の暑さに慣れているボビィ・ジョーンズは、汗びっしょりだったが気温に不平は云わなかった。
ボビィ・ジョーンズのドライヴァーは復調しており、初日を71で終了した。この日、彼は体重を4.5キロ減らした。
ボビィ・ジョーンズのキャディに選ばれた地元の若者は、大観衆の混乱・暴走・妨害に忍耐強く対応するボビィ・ジョーンズの態度に感心した。しかし、この日のプレーイング・パートナーJock Hutchinson(ジョック・ハッチンスン、45歳、英国)は、慣れない未曾有の大観衆に飲まれ84も叩いてしまった。
ウォルター・ヘイゲンは72で上がった。初日のリーダーはMacdonald Smith(マクドナルド・スミス、英国)とTommy Armour(トミィ・アーマー、英国)の二人で、70のタイ・スコアだった。数人のプレイヤーが極端な暑さに辟易して棄権した。
・7月11日(金曜日)。乾いた風が吹き、昨日よりは条件が良くなった。
多くの観衆は午前中リーダーのマクドナルド・スミスとトミィ・アーマーに随いて歩いたが、午後はボビィ・ジョーンズとHorton Smith(ホートン・スミス、米国)を取り巻いた。ホートン・スミスは前日72で廻っていた。彼は過去のトーナメントでボビィ・ジョーンズを破った経験があるため、ボビィ・ジョーンズを恐れていなかった。
・ホートン・スミスはNo.9(485ヤード、パー5)の第二打で、2番アイアンの見事な池越えショットを放って2オン、6メートルに寄せイーグルを射止めた。後方でグリーンが空くのを待っていたボビィ・ジョーンズは、イーグルには無反応のまま3番ウッドを手にアドレスした。キャリーで200ヤード飛ばすパワーと、グリーン手前に池があるので正確性が求められる。彼はこのホール、毎回2オンしており、前日はバーディを得ていた。彼のスウィングがトップに達した時、背後にいた二人の少女が突如フェアウェイに向かって駆け出した。周辺視野でそれを認めたボビィ・ジョーンズのインパクトがほんの僅か狂った。ボールは低く出て池に向かった。観衆は息を飲んだ。向こう岸まで約18メートル足りない!しかし、ボールは沈まず水面で二度跳ね、グリーンまで30ヤードの芝の上に達した。観衆は呻き声を挙げた。このショットは、池に浮かんでいた睡蓮の葉にちなんで、この後永久に"Lily Pad Shot"(睡蓮ショット)と呼ばれることになった。ボギーかあるいはもっと悪いスコアになるところを、ボビィ・ジョーンズはバーディにした。No.10のティーでそれを見ていたホートン・スミスは、「おれはこの選手権に勝つ運命にはないのかも知れない」と思った。彼はNo.10でボギーを出した。ボビィ・ジョーンズはやや乱れ、No.13でダブルボギーを出した。ホートン・スミスが、ボビィ・ジョーンズを含む三人の二位タイに二打差をつけてトップに立った。
・7月12日(土曜日)。ボビィ・ジョーンズは朝早く目覚め、(心身を消耗させる熾烈で過酷な競技生活からの引退を考えていたので)間違いなくこれが彼にとっての最後のU.S.オープン最終日であると感じていた。彼のプレーイング・パートナーは1926年のU.S.オープンで闘ったことのあるJoe Turnesa(ジョー・ターネサ、米国)。堅実で礼儀正しいプロで、パートナーとして最適だった。この朝、気温はやや下がったものの、湿度が増した。一万人の観衆がボビィ・ジョーンズを見ようと押し掛けていた。 |
・No.17(262ヤード、パー3)で、彼はその日初めてボギーを叩いた。No.18で彼はドライヴァーをプルした。彼を知る人は、彼の顔に疲労を認めた。このホールもボギーだった。しかし、スコアは68で、この日の参加者平均スコア77.96を遥かに上回っていた。
・前日トップのホートン・スミスは76で六打差に後退。ウォルター・ヘイゲンはラウンド半ば、彼の実の息子が父親を見捨ててボビィ・ジョーンズを見に行ってしまった。ウォルター・ヘイゲンは自分のお粗末なプレイにうんざりがっかりし、左手でパットし初め、80を叩いた。
・午後の最終ラウンド。ボビィ・ジョーンズは絶え間なく続くプレッシャーに消耗し疲れ果てていた。彼には午前のスコアを繰り返せるなどと期待出来なかった。No.1で彼は3パットし、ボギー。トラブルの最初の兆候であった。No.3でも3パットしてダブルボギー。No.4(パー5)で彼は300ヤードのドライヴをフェアウェイど真ん中に放ち、3番ウッドでグリーン間近に寄せた。見事なピッチ・ショットとパットでバーディ。続く5ホールをパーで、アウトを2オーヴァー38とした。
ボビィ・ジョーンズがスタートした一時間後にマクドナルド・スミスがスタート。彼は先月の全英オープンで二位タイで、ボビィ・ジョーンズに二打差で破れていて、年齢的にこのU.S.オープンが最後のチャンスと考えていた。
後半、ボビィ・ジョーンズはドライヴァーのリズムを見出し、三ホール連続でパーを得た。彼の作戦は、無理をせずパーを得ること、他の連中に博奕を打たせることだった。No.13(パー3)で彼は二打目を寄せ切れず、痛恨のダブル・ボギーとした。マクドナルド・スミスとの差はたった一打となった。
No.14でボビィ・ジョーンズはバーディを射止めたが、No.12でマクドナルド・スミスもバーディを得て、一打差変わらず。No.15、彼のバーディ・パットはリップアウトし、パー。そこへマクドナルド・スミスがNo.13でボギーを叩いたというニュースが伝わり、ボビィ・ジョーンズの気分を昂揚させた。No.16のティー、彼がハードに打つと起るプルが出てラフに入った。彼はこの大会で初めてロフトの多い重いウェッジを選び、短く歯切れの良いショットをした。ボールはピンから1メートルにつき、バーディ。2ホール残して二打のリード。
No.17(262ヤード、パー3)、ボビィ・ジョーンズは2番ウッドでフックを打とうとしたが、ヒールで打ってしまい、風の影響もあってフェードし、池に向かい…行方不明となってしまった。大観衆の誰一人行方を知る者はいなかった。誰かが池の縁の泥の中でボールを発見したが、それはロスト・ボールだった。USGAのルール委員が来て、「池はラテラル・ウォーター・ハザードである。1ペナで2クラブ・レングスにドロップせよ」と云った。そのルールの解釈を疑問視する者もあったが、ボビィ・ジョーンズはそれに従った。ダブル・ボギー。リードはか細い一打差となった。
No.18でのボビィ・ジョーンズのドライヴは、キャリーで300ヤード飛んだ。アイアンの二打目はグリーンを捉えた。大観衆はグリーンへと暴走した。ボールはピンまで12メートル。3パットの恐れがある距離である。ボビィ・ジョーンズは仔細にラインを検討し、筋肉を痙攣させながらパットした。ボールは…入った、バーディ!
マクドナルド・スミスにはNo.18でイーグルが必要だったが、彼のアプローチ・ショットはグリーン上のプレーイング・パートナーのボールにぶつかり、どちらも横っちょに弾けてしまった。彼の野望も弾けた。ボビィ・ジョーンズはグランド・スラムにあと一歩と迫った。【次回完結】
(February 26, 2021)
●打つ前に思い起こすべき注意事項
スランプに陥った原因が少しずつ判って来ました。私がスランプに陥った最初の兆候は、トップした時一緒に廻っていた初心者から「エイジ、keep your head down(ヘッドアップするな)」とからかい気味に云われた時です。ショックだったのはその指摘が真実を云い当てていたことでした。しばらくしてまたトップ・ショットを打った時、もう一度同じことを云われました。ガックリ。
それが原因で冬眠に入り、二ヶ月経ちました。好天に誘われて久し振りに一人で18ホール廻ってみましたが、相変わらずスコアは良くないものの、いくつか心すべきポイントが見つかりました。
1) ボールを凝視すること 2) 頭を残すこと 3) いいショットを打とうとすること 4) アイアンではヒットダウンすべし |
5) パットでは残像を見ること
ミスした後で気づきます、「いけね、目でボールを追っかけちゃった!」と。目を動かすと頭も動き、それにつれて肩も動き、決まったようにプルを生じます。ボールがカップの左縁で停止する口惜しさ、憎らしさ。「残像を見よ」(tips_171.html)を思い起こすべし。
これらを忘れずにラウンドすれば、スランプから脱出出来るかも知れません。
…と書いた翌日、シニアのゲームに復帰しました。幸い、この日はベストボール(チームメンバー個々のスコアの中のベストをチーム・スコアとして記録し、18ホールをプレイするゲーム)ではなく、月に一度のスクランブル・ゲームの日でした。これは四人の中で一番グリーン近くへ飛んだボールを全員で打ち継ぎ、一番寄ったボールを全員で順にパットするというゲームなので、個人のスコアとは無関係ですから目立たずに済むので好都合でした。しかし、上の注意事項を守ろうとしても守れずに失敗したショットがいくつもありました。まだまだです。
(February 26, 2021)
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