February 17, 2020

Tiger Woods(タイガー・ウッズ)のマスターズ初優勝回想 “[Tiger]”

以下の本を読みました。タイガーがメイジャー初優勝したマスターズの前後を綴ったもの。

’The 1997 Masters: My Story’
by Tiger Woods with Lorne Rubenstein (Grand Central Publishing, 2017, $30.00)

書店のディスカウント・コーナーに$6.97で並んでいたので買ったのです。Amazon価格より安かった。これがとても面白い。Tiger Woods(タイガー・ウッズ)は技術書'How Play Golf'は出していますが、回想録はこれが初めてなので、1997年のThe Masters(ザ・マスターズ)の一週間の物語の中に生い立ちからアマチュア時代の思い出、プロ入り前後の経緯までも含めています。そのせいで、単なるトーナメントの記録に終わらず、内容豊かになっています。

そして、最後の方は2002年までに大改修されたAugusta National(オーガスタ・ナショナル)のコース・レイアウト(距離の増加、バンカーの追加、樹木の追加、ラフの新設等)についての分析が書かれています。これを読むと、TV観戦が楽しくなりそうです。

以下は読んでいて印象的だった部分にマーカーで印をつけた箇所をまとめたものです。

私はパパの側から云うとアフリカ系アメリカ人だが、ママの側からすればアジア人である。だから、私が自分をアフリカ系アメリカ人だと規定するとママから受け継いだ【アジア的】遺産を無視することになる。1995年のU.S.オープンの際、私は”Cabilinasian”という造語で私自身について言及したことがある。それは私の身体に流れているCaucasian(白人)、black(黒人)、Asian(アジア人)の遺産全てを統合したものだ。しかし、アメリカにおいては、黒人の血が一滴でも混じっていればアフリカ系アメリカ人と看做されることを学んだ。

私は、七、八歳の頃からグリーンから次のティーに向かうまでの間に汚い罵りの言葉を聞いた。私のパパは私がボールを打つ時、スウィングの間じゅう故意に汚い言葉を吐いた。”Fuck off, Tiger”(失せろ、タイガー)とか。私は気にせず、詩を聞いているように、もっとやれとけしかけた。彼は同じ台詞を繰り返さないだけでなく、非常に才能があった。”Motherfucker”、”you little piece of shit”とか”How do you feel being a little nigger?”などだ。私は成長してもそういう言葉を聞いた。学校でもトーナメント会場でも。私は除け者にされていると感じた。

MastersのコースAugusta(オーガスタ)で、グリーンに乗せるために私が打ったのはショート・アイアンばかりだったのは間違いない。しかし、私はどうやってハーフ・ショットで正確に寄せるかとか、どうやったら望んだヤーデージ通りに打てるかというテクニックは身につけていなかった。私のコーチのButch Harmon(ブッチ・ハーモン)は、どうやってボールをピンハイにつけるかを私に理解させようと、口を酸っぱくしてまくし立てた。それは旗の位置ではない。ピンハイは、必要な距離を決めたら旗がどこにあるかは関係ない。旗が164ヤードなら、私はボールのキャリーを160ヤードとし、カップより短く上りのラインが残るようにしたい。

私のメンタル・コーチJay Brunza(ジェイ・ブルンザ)は、私が”visualization”(視覚化)が得意でないことを悟らせてくれた。だから私は視覚化ではなく、私の本性はショットを両手と身体で感じることであることを知り、それを受容せねばならなかった。

私のパパは、次のようなことを教えてくれた。すなわち、スウィングのトップで特定のショット(ドロー、大きなフック、フェード、大きなスライス)を身体に命ずることによって、ショットをセーヴすることだ。「ゲッ、ひでえバックスウィングしちゃった。このままじゃまずい。どうする?腰を少しスライドさせないと、左へ打っちゃうぞ」あるいは、「クソ。腰をオープンにしなきゃ。右足を押し出す必要もある。両手を遅らせて上体の動きをスローダウンするか、左腕か右腕の速度を上げて伸ばさなくては!」こういう全てのことをショットを救うために感じるのだが、それは一瞬のことである。

このマスターズの前、パパはバイパス手術の直後で非常に身体を弱らせていた。医師は彼が旅行することなど望まなかったが、パパは「冗談じゃない!私は息子を見に行くんだ」と云ってオーガスタまで飛んで来た。

パパほど私のプレイを見て来た人間はいない。私には彼の助けが必要だった。私は彼のベッドの前でパッティング・ポスチャーをとり、彼がどう思うか尋ねた。彼は「両手が低過ぎる。もっと上げろ。いつもやってるように、手首をアーチ状(弓形)にしろ」と示唆した。

【1997マスターズ初日】
初日の最初の九ホールで40を叩くなんて、絶対に信じられなかったが、やっちまった。No. 4ではグリーンの遥か右にミスして、ほとんど竹林の中に打ち込んでしまった。思うんだが、人々はオーガスタに竹林があることなど知らないんじゃないだろうか。

私はNo. 9からNo. 10へと、五、六人のピンカートン探偵社の護衛に付き添われて歩きつつ、誰かが「タイガーのトーナメントはこの時点で既に終了した」と云っているだろうとぼんやり考えた。キャディのFluff Cowan(フラッフ・コーワン)が「まだたったの九ホールをプレイしたに過ぎない。挽回のチャンスはたっぷりある」と私に助言した。私は、何が間違っていたのか理解しようと思考に埋没していた。私はバックスウィングが長過ぎたのと、トップで地面と平行になることが気に入らなかった。動作が同期していなかった。ボールに向かって、下半身の動きでなく腕だけで正しい軌道に戻さなくてはならなかった。こんな風ではスウィングの各要素の不確かなタイミングに依存することになる。そうではなく、後半の九ホールのスウィングをどうしたいかに焦点を合わせた。それは、このマスターズ直前にアイルワースG.C.で59で廻った時のようなフィーリングであるべきだった。

アウトを終えた私に必要だったのは、ママが“静かな場所”と呼ぶものだった。それは自動的にNo. 9グリーンからNo. 10ティーへの間の歩行となって実現した。パパが表現したように、私は冷血な殺し屋になったように感じた。私はやけくそになることも出来たのだが、そうではなく自分をコントロールしていると感じた。そこでの歩行はたったの数ヤードに過ぎなかったが、そこで沢山のことを達成した。私は後半のプレイを準備完了させた。これまでにないほど集中した。内面の落ち着きを感じた。ずっと後になって、その短い歩行で私がどれだけメンタルに変化させたかを考えると、私はママとパパに感謝せざるを得ない。

どのトーナメントに参加する時も優勝を目指していると云ったら傲慢に聞こえただろうが、実際に優勝を狙っていたのだ。だがそれは私の感じ方であって、勝ちたくないような振りなど出来なかったのだ。

【二日目】
他のトーナメントと異なり、マスターズは時折防壁として用いることが出来る人垣を与えてくれた。No. 9グリーンの右側に座っている人々は、紛れもなく私の第二打のための防壁を提供してくれた。

Jack Nicklaus(ジャック・ニクラス)から学んだことだが、コースに関して文句を云うのはよいアイデアではない。文句を云ったからといってコースが変わるものでもないからだ。あなたが変わらなくてはならない。

私は、欲すればコースでほぼ瞑想的状態に突入することが出来る。

【三日目】
ボールは私がプロ入りしてたった七ヶ月目であることも、私が若干21歳に過ぎないことも知らない。ボールはまた、私がプロとして初めてマスターズをプレイしていることも知らない。1986年のマスターズで優勝した時のジャック・ニクラスもそんな風に感じたに違いない。ゴルフ・ボールは彼が46歳であることなど知らなかったのだ。

【最終日】
私はトーナメント最終日に赤いシャツを着るが、それはママが始めた迷信的行為である。赤はママの好きな色の一つだ。タイの伝統的毎日は色彩によって象徴され、日曜日の象徴は赤なのだ。だからママは私に赤を着せたがった。私は他の色でも優勝出来ると証明したことがあったけれど。ところで、スタンフォード大の最終日のユニフォームも、赤いシャツと黒い短パンであった。だからママに反論出来なかった。このマスターズ最終日のシャツには【脇の下に】多少の黒が混じっていた。だが、充分役立った。

No. 15で、私はきつめのドローを打とうとしたのだが、ダウンスウィングで”stuck”(スタック、次項参照)に見舞われた。これは、以前からのトラブルで腰が腕よりも早く動き過ぎ、ドライヴをとんでもなく右にプッシュさせてしまうものだ。

この日の目標はボギーを出さないことだった。ボギーを嫌悪する心境によって、それを達成した。

ラウンドを終了して最終ホール近くにいたパパとハグし合った。パパは”I love you, and I’m so proud of you.”(可愛い奴。とっても誇らしいよ)と云った。パパは初日前夜にパッティングに関するtipをくれたのだが、それ無しではこの週のこの結果は得られなかっただろう。

【その後】
マスターズで圧勝した後でスウィング変更をしたことで、私は世間一般から批判された。しかし、ブッチ・ハーモンと一緒にマスターズの録画テープを見たところ、(多くのトーナメントでいいスウィングをしていたにもかかわらず)私はあまりにも腕を使い過ぎ、ボールに向かって急速に動かし過ぎているのが明白だった。私はトロフィを得るためにプレイするのではなく、次の問いへの答えを見つけたかったのだ、「私はどこまで上手くなれるだろうか?」。

【オーガスタの改修】
私の、一打目がドライヴァーで二打目がショート・アイアンというプレイに対抗すべく、マスターズの主催者たちは大々的にコース・レイアウトの変更を思い立った。

 

1997年に8番アイアンで150ヤード飛ばせれば、あなたは飛ばし屋だった。だが、現在その距離はウェッジの距離である。当時と現在では同じ名称のクラブでもスペックが異なるのだ。8番アイアンは20年前の7番(あるいは6番)のロフトに嵩上げされている。Callaway(キャラウェイ)が金を注ぎ込んでこういうことを最初に始め、PING(ピン)がそれに続き、今はどのメーカーも同じことをしている。われわれはアイアンで長い距離を打つが、大方のゴルファーが信じたがるほど長くはない。われわれは(名称は同じでも)ロフトが異なるクラブを使っているのだ。私のアイアンは昔のままである。現在の標準からすると2°ロフトが多い。Rory McKilroy(ロリィ・マカロイ)のアイアンと較べると、私はワン・クラブ長いものを使う感じになる。

USGAは【同じコースなのに】日によってティー・グラウンドを変えることでパーを変えるという馬鹿げたことをする。私が育った頃は常にティーはバックであった。2015年のU.S.オープン(Chambers Bay)では、ある日のパー4が次の日にはパー5になったりした。

私はグリーンがどれだけ早いかなど気にしない。ウェッジを手にしたら、必ずボールをカップの下につけることだ。

パパは私が14のメイジャー・トーナメントに優勝すると予言した。これを書いている2017年初め、それは正しかった。

ゴルファー、特に頻繁に優勝するゴルファーは、直観を信ずるものだ。1997年マスターズの11年後、2008年のU.S.オープンでRocco Mediate(ロッコ・ミディエイト)とのプレイオフを制して優勝した時(それは私の14個目のメイジャー・タイトルであった)、最終ホールで彼とタイに持ち込むための4.6メートルのパットに直面した。グリーンはオーガスタのように滑らかではなかった。バールはバウンドする筈だ。パットに成功するか失敗するか、どちらかだった。私はパター・フェースのど真ん中で上向きに打つことだけに集中した。また、グリーンのコンディションに対応するため、ややフック気味に打つことにした。それでも(ヴィデオで明らかなように)ボールは弾んだ。だがパットは成功した。それは1997年マスターズの最後の1.5メートルのパットのフィーリングと同じだった。

【おことわり】書籍の画像はhttps://i.gr-assets.com/にリンクして表示させて頂いています。

(February 17, 2020)

Tiger Woods(タイガー・ウッズ)のstuck(スタック)について

 

インストラクターHank Haney(ハンク・ヘイニィ)が、Tiger Woods(タイガー・ウッズ)との六年間の交流を綴った話題の書に、“stuck”(スタック)という耳慣れない言葉が出て来ます。これは、Tiger Woods(タイガー・ウッズ)が慢性的に罹っていた病(やまい)で、Hank Haneyは懸命に治療を施さねばならなかったそうです。以下は彼の本の末尾にある語彙集の中で、Hank Haney自身が説明した“stuck”の定義。

’The Big Miss’
by Hank Haney (Crown Archetype, 2012, $26.00)

「Stuck:ダウンスウィングで、下半身が上半身に先行し過ぎ、腕・手を後方に残した時に起る状態。身体の単純な回転によってクラブをスクウェアにリリース出来なくなるため、インパクト時に辻褄合わせのための腕・手の動きで下半身に追いつかせねねばならない。Tiger Woodsのように才能あるゴルファーは、上のような方法でミスを防げるものの、常に成功するとは限らない。

より信頼性の高いダウンスウィングは、手・腕が身体の正面に降りて来るものだ。バックスウィングで、クラブヘッドがターゲットラインに平行でなく、"across the line"(ターゲット方向に、ターゲット・ラインを横切る)トップになるゴルファーは"stuck"になり易い」

Tiger Woodsの下半身のバネの力と速度は、われわれとは桁違いに凄いので、腕・手が遥か後方に置き去りにされるであろうことは想像に難くありません。

Johnny Miller(ジョニィ・ミラー)は次のように書いています。

’The truth about "getting stuck”’
by Johnny Miller ('Golf Digest,' December 2003)

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「Tiger Woodsは"stuck"をまるで疫病か何かのように話す。彼の場合、確かにいいことではない。彼が"stuck"状態に陥ると、ダウンスウィングでクラブは上体を遥か後方から追いかけることになり、クラブフェースをスクウェアにするために彼は両手を攻撃的に回転させねばならない。もし、その動きが遅いとプッシュ、早過ぎると大きくフックさせてしまう。

しかし、"stuck"は万人に悪いものではない。Lee Trevino(リー・トレヴィノ)、Paul Azinger(ポール・エイジンガー)その他のプロたちは、毎度のように"stuck"するのだ。違いは、彼らの左手のグリップがTiger Woodsよりずっとストロングであるということだ。彼らはクラブフェースをスクウェアにするために意識的に両手をひっくり返す必要はない。何故なら、左手のストロング・グリップが自然にそれをやってくれるからだ。もし、Tiger Woodsがグリップを少しストロングにすれば、彼のドライヴァー・ショットは一夜にして改善されるだろう」

"stuck"が聞き慣れない言葉なのは、身体のバネが強くないわれわれには絶対に生じない症状だからのようです。今回のこの記事が役に立つのは、Bubba Watson(ババ・ワトスン)級のゴルファーにとってだけかも知れません。

(February 17, 2020)



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