April 04, 2020
●ニクラス(46歳)奇跡的優勝のマスターズ・前篇安売り雑貨店で’The 1986 Masters’ by John Boyette (Lyons Press, 2011, $14.95)という本が$1.99という破格の値段で売られていたので、あまり期待もしないで買ってみました。期待以上に面白い本でした。直前のメイジャー優勝から六年、PGAツァー優勝から二年遠ざかっていたため、誰も期待していなかったJack Nicklaus(ジャック・ニクラス、46歳)の、信じられないような逆転優勝の詳細が、さまざまな人々の証言と共に語られています。
・当時ニクラスの最大のビジネスはゴルフ・コース設計だった。ところが、1985年、彼が設計したニューヨークとカリフォーニアの二つのゴルフ場が危機に瀕し、ニクラスの設計事務所も大打撃を受け、ニクラスはゴルフどころではなかった。1986年に入り、やっとマスターズでプレイする心の準備が出来た。
・当時ニクラスはクラブ・メーカーMcGregor(マクレガー)社の代表の一人だった。ニクラスは、この会社の開発主任Clay Long(クレイ・ロング)に、「Tom Watson(トム・ワトスン)愛用のPing Palモデルに似通ったパターを作れ」と命じていた。Clay Longと同僚たちは超大型で”overhang“な(ひさしの突き出た)パターを設計し、実際使った見て転がりの良さに満足した。しかし、USGAが認可しなかったので”overhang“無しに改造したが、それは凄い慣性モーメントを持つに至った。言葉を替えれば、ボールを打った時に捩じれたり廻ったりしないということである。
そのパターは“Response ZT”(リスポンス・ズィーティー)と命名された。ZTは”zero twist”(捩れゼロ)を意味する。そのパターを見せられたニクラスは「冗談かい?」と云った。しかし数発打ってみて、トーナメントで試すことにした。トーナメント会場から「悪くない。いい転がりだ」とニクラスが電話して来た。Clay Longが「製品化の可能性はあるだろうか?」と尋ねると、ニクラスは「イエス」と云った。
McGregor社は、“Response ZT”を生産ラインに乗せた。ニクラスはそのパターを使って、あるコースでコース・レコードを作った。McGregor社は“Response ZT”(定価62ドル)を約6,000本売る予測を立てていたが、マスターズ前に既に20,000本売れていた。
“Response ZT”はヘッドが大きいので重そうに見えるが、スィング・ウェイトはC8で生産されていた。ニクラスはパターの凹みに鉛を8〜10枚貼り付けて、普通のパターと同じD2にしていた。
・この1986年マスターズでは、ニクラスにとって異例なことがいくつかあった。彼の母Ellen(エレン)は、彼がアマチュアとして初めて参加した1959年のマスターズを見に来て以来、ずっとマスターズを見に来ることはなかった。しかし、この年全く出し抜けに「ジャック、私にはもう一つやりたいことがある。もう一度マスターズを見たい」と云い出したのだ。ニクラスがプロになってから初めてのことであった。また、今回はプロのキャディではなく長男Jackie(ジャッキー)がバッグを担ぐことになっていた。
他の多くのプロたち同様、ニクラスはオーガスタの町のゴルフ・コースに近い家をレンタルする。この年、彼は二軒の家を借りた。一軒は彼、妻のBarbara(バーバラ)、長男Jackie(ジャッキー)、ニクラスの親しい友達夫妻二組が逗留し、もう一軒に母、ニクラスの姉と彼女の夫が宿泊した。
家は別れていたものの、毎夜ニクラスの方の家で共に食事をし、バーバラが弾くピアノで皆で歌を唄った。ニクラスも合唱に加わった。
・マスターズ・トーナメント開始の四日前、Atlanta Journal-Constitution紙(現在の販売部数200,000)に、マスターズ関連の記事が掲載された。筆者はTom McCollister(トム・マカラスター)。「ニクラスは過去の人、完了形だ。もう彼に技倆は残っていない。あんまり使わないので錆び付いてしまったのだ。彼は46歳だが、その年齢でマスターズに優勝した者は一人もいない」
この新聞記事を冷蔵庫の扉に貼り付けたのは、ニクラスの友人John Montgomery(ジョン・モンゴメリ)だった。彼はマネジメント会社の社長としてニクラスが主宰するメモリアル・トーナメントの開催を助けていただけでなく、二人で互いに悪ふざけする悪童仲間のような存在でもあった。モンゴメリの息子はアトランタに住んでいてこの記事を読み、オーガスタでニクラスと同宿している父親に届けた。それを冷蔵庫に貼ったのはモンゴメリの悪ふざけの一環であった。この記事を見たニクラスは何も云わず、剥がすこともしなかった。
・この当時、ゴルフ界ではセヴィ・バレステロス(スペイン)、ベルンハード・ランガー(ドイツ)などヨーロッパ勢の活躍が目立っていた。米欧対抗戦Ryder Cup(ライダー・カップ)もヨーロッパ・チームが勝っていた。バレステロスは記者会見で「勝つための準備完了と感じている。マジな話だ。私が最終日のNo.16に達する頃にはトーナメントは決しているだろう、私の優勝で…」と公言した。
・CBS-TVの解説者Ken Venturi(ケン・ヴェンチュリ)は、「ジャックは引退時期を考え始めるべきだ」と放送で語った。
・記者会見
トーナメント開始の前日(水曜日)は「パー3コンテスト」の日であるが、毎年ニクラスは参加せず、この日を記者会見に使うことにしていた。しかし、この年、トーナメント記者委員会はニクラスを会見に招待しなかった(記者の誰一人ニクラスが優勝に絡むなどと考えていなかったのだ)。
・初日
ニクラスは14のホールでパーオンしたものの、4.5メートル以内の四つのバーディ・チャンスを逃し総計35パットもし、74を叩いた。
・二日目
バレステロスは68で廻って一打差でトップに立った。ニクラスは71で廻って予選落ちを免れた。
・三日目
グレッグ・ノーマンが68で廻って首位、ランガー、バレステロスほか二人が二位タイ、69で廻ったニクラスは九位タイであった(首位と四打差)。
【続く】
【合わせてお読み下さい】
・「金熊の65打」(tips_101.html)
・「あれはSeve(セヴェ)の優勝だった」(同上)
【おことわり】パターの画像はhttps://thegolfauction.com/にリンクして表示させて頂いています。
(April 04, 2020)
●9メートルが入ったストローク
その日、私のパットは冴えませんでした。アウトは3パット一個も含め、18パット。1パットはたったの一度というお粗末。
No. 10(パー4)でもダブルボギーにし、「こりゃ今日は駄目だわい。キャプテンを拝命したのに恥ずかしい限りだ」とガックリ。No.11(パー4)、ティーショットをショートし、二打目もグリーンにショートし、四打目3メートルのパットに何の期待も抱かず「どうせ外れるだろ」と半ばふて腐れた気持ちで対処しました。それが入ってしまい、幸運なパー。
No.12(パー3)は寄せワンのパー。No.14(パー5)は寄せ切れずに9メートルのバーディ・パット。「こう長くちゃ入るわけない」と諦めの境地でストロークしたら、入ってしまい、バーディ。
No. 16(パー4)でも二打目のチップを寄せ切れず残り7メートル。「ちぇっ、なぜ今日は寄らないんだろ?」と不運を嘆きつつ、「パーでも最悪ではない」と思いながらストロークしました。それが思いがけず転げ込んでしまい、バーディ。
9メートルが入ったのは幸運なまぐれかも知れませんが、数ホール後に7メートルも入ったのですから、まぐれにしてもそれが出現する共通の下地があったのだと思われます。私にとって7メートル、9メートルなんて、プロの20メートル、30メートルのパット成功に匹敵する快挙です。
実はその前日、私はLPGAトーナメントのTV中継を見ていました。長いパットがぼんぼん入る。憧れました。「なぜプロはあんなに長いのが入って、おれたちはせいぜい2メートルぐらいしか入らないんだろう?」と思っていました。彼らがプレイするコースのグリーンは、絨毯を敷き詰めたような滑らかな理想的状態。片や、こちらは雑草混じりでいつイレギュラー・バウンスに見舞われるか分らないグリーン。その違いかと思っていましたが、ちゃんとストロークすれば長いパットも入ることが分ったわけです。
この日のラウンド前、私はあるアイデアを試しました。そのアイデアとは、
1) スプリット・ハンズで、レフトハンド・ロー
2) パターのライ角を変えないようにセットし、シャフトの赤テープに爪先を揃えて立つ(写真右下)【新】
3) 左手生命線はパターの③に当て、右手生命線では⑥に当てる
4) 左手人差し指はパター・ハンドルの左側面に当てる【新】
5) 右手は親指・薬指・小指の三本だけで握る【新】
6) 右手親指はパター・ハンドルの右側面に当てる【新】
7) 余った右手の人差し指と中指を左手首に絡める【新】
8) 左肘を伸ばす【新】
9) 右手の薬指・小指を左前腕中央に接触させ、ストロークの間じゅう離さない
【新】印以外は全て以前からやっている実績のあるものです。
(2)の「ボールとの距離」は、ライ角を変えずに「完璧なストロークの探究」(tips_193.html)の練習でいい結果が出た距離に立つためです。(4)の右手から二本の指を外すのは、右利きの人間は往々にして右手の力が強くなり過ぎるので、それを弱めるべきだろうというアイデアです。(3)と(5)は、パターをぐらつかせずしっかり保持するため。(6)と(7)は、左右両方の手を組み合わせて一体化し、左手首の自由を奪ってフェースのロフトを変えまいとする考えです。
私のパッティング練習法は、四個のボールを使って10メートルぐらいの距離からカップ目掛けて打つ。大体において失敗するので、ボールが届いた地点から次々にカップに沈める。次いで、四個のボールをカップから1メートル離れた東西南北に配置し、一個ずつ沈める。こうして寄せるパット、沈めるべきパットの両方を練習します。
9メートルや7メートルのパットが入ったのは、読み(狙い)通りにストローク出来たということに他なりません。私がプレイするコースの劣悪な(凸凹の)グリーンでのパットとしては、これは稀な出来事です。しばらく、この同じメソッドで通すことにしました。現在、ハーフだけとはいえ14パット、13パット、12パットなどのラウンドが増えています。絶好調とは云えませんが、「まあ好調」の部類だろうと考えています。
(April 04, 2020)
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