May 27, 2018

その日、最初の一打

 

トーナメント初日のNo.1でのティー・ショットは、ツァー・プロでもナーヴァスになるそうです。いわんや、ダッファーにおいておや。スポーツ心理学者Dr. Richard Coop(ディック・クープ博士)がコツを伝授してくれます。

'Mind Over Golf'
by Dr. Richard Coop with Bill Fields (Macmillan, 1993, $12.95)

「緊張への生理的反応を読み取ることは重要である。なぜなら、それらはあなたの内的な緊張の度合いを反映しているからだ。高度に緊張下にある場合の生理的症状は、汗ばんだ掌、貧乏揺すり、急速で浅い呼吸、急な心拍、そして(驚くだろうが)あくびをすること等である。あくびは、食道周辺の締め付けられた筋肉の緊張をほぐす。身体の緊張への反応を窺うことによって、どの時点で最も緊張を感じるか知ることが出来る。もし、自分が急速な呼吸をしていることに気づいたら、意識的に肺の中の空気を一新するような深い呼吸をすることによって,緊張を減らすことが出来る。

最初の一打に不安を感じる場合、あなたの最重要な使命はボールをインプレイの状態に送り届けることだということを忘れてはいけない(たとえ多少の距離を諦めても安全第一を心掛ける)。ボールを無事にフェアウェイに放つのは、テニスのセカンド・サーヴに似ている。それはエース(得点)には繋がらないが、ボールをインプレイの状態にする。

多くのプレイヤーは、肉体的・情緒的に不安である場合にコントロールが容易であるカット・ショットを打つ。他の人々は3番ウッドでティー・ショットしたり、ドライヴァーを短く持って打ったりする。安全なティー・ショットをする時、写真映りは重要ではない。プレッシャー下で信頼出来るショットを身につけることが鍵である。このショットが美しく見える様相は只一つ、No.1のフェアウェイのド真ん中に誇らしく光り輝いているボールの姿である」

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距離控え目な安全第一のショットをする際であっても、ちゃんと身体の捻転はしなければいけません。左肩が顎の下に届かないようだと、捻転ではなく手・腕でクラブを持ち上げているに過ぎず、スライス、プッシュ、フック、ゴロ、てんぷら…など、あらゆるミスへ招待状を送っていることになります。左肩でバックスウィングを開始し、ターゲットに背中を向けるようにすれば問題ありません。

 

(May 27, 2018)

ゴルフはアンフェアなゲームである

 

スポーツ心理学者Bob Rotella(ボブ・ロテラ)の洞察。

'365 Anecdotes and Lessons by Today's Leading Teacher of the Mental Game'
by Bob Rotella (Macmillan Publishing Company, 2001)

「ゴルフはフェアなゲームではない。ゴルファーが完璧にボールを打ってもO.B.となったり、完全にミス・ショットなのにカップに飛び込んだり…。ゴルフは完璧なショットよりも、どう自分のミスを受け入れることが出来るかというゲームである」

(May 27, 2018)

手応えと自己満足

 

私がゴルフに入門した頃のこと。あるホールで手応えもよく飛距離も惚れ惚れするようなティー・ショットを放ったことがあります。ただ一つの難点は、それが右のOB区域に飛び込んでしまったこと。打ち直しのボールも会心の一打で、いい手応えでした。これの難点も一打目に近いOBの薮に飛び込んだこと。三打目もOBだったのか、三打目は大幅に左を向いて打ったのか忘れてしまいましたが、とにかく、そのティー・グラウンド周辺の風景、ゴルフ仲間の顔ぶれと共に、いい気持ちで打てた感触だけは覚えています。

それから数十年経ち、私がOBを出すとしたら、それはトゥで接触してスライスを打って右OBになるか、プルフックで左OBになるか、どちらかです。どちらもいい手応えにはならず、芯を外したせいで腕に不快な振動が残ります。

スライスを撲滅した筈のゴル友Keith(キース)が、またまたスライスを打ち出しました。左を狙ってフェアウェイ真ん中に戻せることもあるのですが、左に突き抜けて木に当てることも珍しくありません。なぜスライスが復活したか?「もっと飛ばそう!」という意気込みが強過ぎるせいです。彼にエフォートレス・スウィングを説き、私が実際にコンパクト・スウィングの方が飛ぶという実例を見せていてさえ、目一杯の力で飛ばそうとします。素振りの直後でさえ、「ウーッ!」という溜め息を漏らすほどですので、本番ではもっと力んでいるのでしょう。

彼は大幅に右に曲げても、「いい手応えだった!曲がったけど…」と口走ります。私には、入門の頃の連続OBの記憶があるので、彼の気持ちはよく分ります。しかし、OBに打ったボールの感触に惚れ惚れしている彼は、まだまだだと思わざるを得ません。ゴルフは飛距離だけのゲームではなく、同時によい方向性を得なければならないゲームでもあります。危ない方に曲がったのであれば、そのショットは落第と評価すべきで、「いい手応えだった」と自己満足してる暇に、ミスの原因究明とその対策を考えるべきです。

 

もう一つ私が聞きたくない台詞は、ゴロやてんぷらを打ったゴルファーが「とにかく前へ行ったからいいや」とか「ゴロに近いけど、フェアウェイに真っ直ぐ行った」と自分を慰める言葉です。《ダフりてんぷら曲がり無し》なのですから、真っ直ぐ前進するのは当たり前ですよね。このテの人は「前へ行ったからいい」「真っ直ぐだったからいい」とミスを認めたがらない。いや、あまりにも恥ずかしいミスなので、それを認めることが出来ないのかも知れません。これをスポーツ心理学者なら「ポジティヴな態度でいいんじゃない?」と云うかも知れませんが、私には必死で自尊心を防衛しようとする甘ったれの本能に思えてなりません。子供っぽい。

私は求道的であり自虐的でもあるので、自分のミスを認めます。そして原因を究明し解決策を考えます。グリーンを狙ったショットが左右に外れたりした時に、「ピンハイだからいいや」とは思いません。そのショットは失敗だったのです。Period(以上)。他人のショットには「ピンハイだね」とか「It's handy.(寄せるのに楽だね)」などと云いますけどね:-)。

Ben Hogan(ベン・ホーガン)は「ワン・ラウンドで満足出来るショットは三回ぐらいしかない」と云ったそうです。「前へ行ったからいいや」と満足する人はワン・ラウンドのほとんどのショットが満足出来るものなのでしょう。こういう人の上達には限界があると思いますが、どうでしょうか。

ま、ミスをミスとして認め、対策を考える私にしたって上達の限界はあるので、詰まるところはどっちも大して変わらないのかも知れませんが(>_<)。

 

(May 27, 2018)

ウザい競争心

 

ある日、一緒にラウンドしていたゴル友Mike Reekie(マイク・リーキィ)が「どっちがより飛んだかは本能的に気になるものだ」と云いました。同感です。しかし、私はこう云いました。「頭で考えることと口に出すことは異なる」と。その日、彼は私とのラウンドで私に何回アウトドライヴされたか数えており、「今日、あんたにアウト・ドライヴされたのはこれで二度目だ!」と口にしたのです。それは私のティー・ショットを褒めてくれる口調ではなく、私に負けたことを悔しがっている云い方でした。

似たような飛距離なら私だって競争心が湧きますから、どっちがアウト・ドライヴしたかは気になります。しかし、野球選手だったMike Reekieの太い腕、ビール腹で太った低重心の身体から打ち出される飛距離には敵いません。数年間ずっと彼は私を50〜100ヤードも置いて行くドライヴァー・ショットを放っていました。私が何回置いて行かれたか数えるのはナンセンスでした。

何故、彼は数えたのか?簡単な話、競争心です。私がティーアップを高くし、打ち上げる打法にしてから、私も飛距離を増し始めました。私を置き去りにするのが常だったのに、いつの間にか逆に置いて行かれたのがショックだったのでしょう。その時は二ホール連続でしたから尚更です。

私が時々一緒にプレイする男Aは、ある日3〜4ホールも私がオナーを続けていたら、「もう沢山だ。エイジのオナーにはうんざりした」と云い放ったことがあります。私は愕然としました。単なるフレンドリーなラウンドのつもりだったのに、この男は勝手に心の中で私と競っていたのです。もちろん、その言葉は自分自身に奮起を促すという要素が大部分だったでしょう。しかし、それを口にすることによって、彼は私が思いもかけなかった競争の場に私を引きずり込んだのです。私は男Aのそのあからさまな敵愾心に驚き、辟易しました。そして動揺し、別にオナーを譲る気はなかったのに、乱れた精神状態からドジなショットをしてしまいました。

この男Aの場合も、頭の中で「クソ。今度はオナーを取り返してやる!」と考えるのは結構。誰もそれを止めることは出来ません。しかし、それを口に出すと露骨な挑戦となり、闘争になってしまいます。私はそういう露骨さや個人間の競争が嫌いなのです。

日本のサラリーマン・ゴルフはストローク・プレイが中心で、個人でもチームでもマッチ・プレイというのはあまり流行っていないと思われます。“握る”というのはありますが、それはラウンドが終わってから数えて勝ち負けを決める賭けであって、ラウンドとしての一対一やチーム対チームのマッチ・プレイはほとんどやられていないのではないでしょうか。少なくとも、私がサラリーマン・ゴルフをしていた頃には全く経験しませんでした。

 

ストローク・プレイというのは特定の誰かが闘いの相手ではありません。自分を除くコンペ参加者全員が相手と云えなくもありませんが、どちらかと云えば「コースが相手」であり、一打でも少なく上がるという向上心が基盤のゲームだと思います。簡単に云えば、ストローク・プレイは求道的、マッチ・プレイは闘争的であると云えましょう。男Aの例など、弓道で皆で的を射ているつもりだったのに、急に隣りの人間からこちらに矢を射かけられたようなものです。こういうのは迷惑千万。

Mike Reekieの心も断ち割ってみれば男Aの気持ちと同じだったのでしょう。お金も何も賭けていないマッチ・プレイでも、彼は「これはハンデ・ホールだったか?」としゅっちゅう聞いていました。私など、ハンデ・ホールなんか気にせず忘れているというのに…。マッチ・プレイをしていてもいなくても、彼はオナーを取らないと落ち着かないという感じでした。そりゃ私だってオナーを取られっ放しなら、内心ちと傷つきます。しかし、場合によっては10ホール前の相手のバーディによって、あちらがオナーを続けているということだってあるわけです。オナーとスコアの関連は皆無という場合もあるので、オナーにこだわるのは馬鹿げています。(シニアのベスト・ボールでは、前のホールのスコアに関係なくティーに到着した順に打つ"ready golf"です)

Mike Reekieも男Aも「オナーなんて形式的なものだ」と云いつつ、実はとても気にしているのです。しかし、個人の技倆の向上を願っているだけの私にはウザいだけで、こういう意味もない競争心は楽しいゴルフを台無しにされてしまう思いです。

(May 27, 2018)

求道心を阻むもの

 

前項「ウザい競争心」に書いたように、私は他人との競争が嫌いです。平静な心地で自分のベストのプレイを展開しようとしている際、ティー・ショットの飛距離の長短やホール毎の勝ち負けに心を揺さぶられたくないのです。云ってみれば、私はメンタルに脆弱なのでしょう。

自分の心理を分析して以下のようなことに気づきました。私は勝つことを望んでいない。しかし、負けたくはない。確かに勝てばいい気分ではあるものの、負けた時の屈辱感は勝利した時の満足感の十倍も苦い。私はその屈辱感を避けたいのです。だから、勝つために頑張るのでなく、負けないために頑張るという妙な心理に陥ります。

負けたら2ドル払うとか、缶ビールを奢るとかいう些細な賭けでも、負けは負けで屈辱感を伴います。勝った場合、2ドル貰っても缶ビールをゴチになっても、私は別に嬉しくありません(悪い気持ちはしませんが)。タイで勝負無しになった時のほうがすっきりした気分になれたりします。お互いに傷つかないからです。

トーナメントのプロやアマチュア・ゴルファーの多くは勝つためにゴルフをしているでしょう。彼らは勝つために奮起し、集中し、相手をしのぐ美技を達成しようとし、勝利の美酒に酔いたいのでしょう。私がそういう競争心に囚われると、手・腕は強ばり、脳味噌は活動を停止し、プロセスではなく結果に集中してしまって、自分の能力の半分すらも発揮出来なくなります。私にとっては競争心は敵なのです。

これは人生観の問題かも知れません。私はその道の一流になろうと努力しなかった。一流になるための刻苦勉励、苦心惨憺をしなかった。ただし、二流にはなりたくなかった。自分の能力の範囲内で精一杯頑張っただけだった。これは守りの姿勢ですね。バーディ・マシーンでなくてもいい、パーで上がれれば満足…というような。ラウンドを通してパー・プレイが出来れば、それは立派なものですが、そうは問屋が卸しません。バーディを望んでプレイすれば悪くてパーですが、初手からパーを望めば往々にしてミスしてボギーということになり易い。仕事で一流を目指さなかった人間は、何をやっても一流にはなれないのでしょう。

 

(May 27, 2018)



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