June 27, 2018

クォリティ・ゴルフ

 

ちょっと抹香臭い喩(たと)えですが、「80を切る!」という決意は「神々しい仏像を作る」という感じと同じに思えます。関心は出来映えにある。最終の成果を考えているわけです。「結果を考えてプレイするな」というのは、よく云われることです。

出来映えではなく、ディテールに専念したらどうか?仏像であれば、指の一本一本、衣の襞(ひだ)の一筋一筋に心を篭める。ゴルフでは入魂の一打一打を積み重ねるということ。

徒(いたずら)にラウンドを重ねるのでなく、徒にホールからホールへと渡り歩くのでもなく、質の高いショットの連続を心掛ける。クォリティ・ショットに喜びを感じる。

仏像の場合、ディテールに凝ったからといって、人が手を合わせたくなるような素晴らしいものが出来上がるとは限りません。全体のバランスが悪かったり、座りが悪かったら台無しです。しかし、ゴルフの場合はそういう心配はありません。積み木やレゴ、あるいは何かの組み立てキットのように、部品を入念に組み立てて行けば一定レヴェルの完成度(成績)が期待出来ることになっています。功を焦らず、先を急がず、クォンティティ(量)のゴルフからクォリティ(質)のゴルフに移行すべきだと思われます。

以上は実は自戒の言葉なのです。私は、ややもすると先を急いだゴルフをしがち。それは私のせっかちな性分のせいかも知れないし、入門時に「下手っぴは走れ!」と教育された記憶のせいかも知れません。どっちにせよ、ラウンドを楽しむどころか、「ほい次、ほい次」と打ちまくって、やっと気分が落ち着くのはNo.6かNo.7辺り。もうアウトも終わりに近づいています。無我夢中でプレイしている間に、既にその日の出来映えは決してしまった感があります。

こういうラウンドは実利もなく、ラウンドを楽しむという精神面の愉悦もなく、単にホール数を踏破(走破?)するマラソン・ゴルフに近いものです。一生のうちでラウンド出来る数は(急ごうと急ぐまいと)限られているので、どうせなら楽しむべきです。食事と同じですね。一生に食事出来る数は限られているのですから、慌てて食べるのではなく、一食一食を味わって食べる。一打一打を大事に打つ。クォリティ・ゴルフが実現し、いい結果が自然について来る。こうありたいと思います。

 

(June 27, 2018)

与作が木を伐(き)るように飛ばせ

 

筆者Eddie Loos(エディ・ルース、1896〜1950)はPGAツァー・プロ。

'Hit the ball'
by Eddie Loos ('The American Golfer Magazine, 1922)

「次の実験をしてほしい。

ボール無しで二、三回素振りをする。その時、クラブヘッドが地面を擦り、ボールがあるべき場所の数センチ前と後ろを真っ直ぐ振り抜くよう注意する。

上の動作が楽に、自然に出来るようになったら、ボールを置き、打ちたい方向を定める。

さっきの素振りと同じ心理状態を保ちつつ、今度は斧を振るつもりになる。攻撃目標のことだけ考え、それを達成するための身体的動きについては考えないこと。ボールに近づき、釘を打つ時のような、木を伐(き)る時のようなストレートで正確な(距離はどうでもよい)ショットを放つ。自分でも驚くような結果が得られることだろう」

(June 27, 2018)

頭は自然に動かせ

 

当時のメイジャーに11勝し、LPGAツァー創設者の一人となったLouise Suggs(ルイーズ・サグズ)による頭の動かし方。

'The Best Advice Ever for Golfers'
edited by Robert McCord (Andrews McMeal, 2001, $12.95)

「多くのゴルファーが頭をどうすべきかについて完全に間違った観念を抱いている。彼らは『頭を下げ続けろ』、『ボールから目を離すな』、『頭を動かすな』と警告されている。これらは不自然な固定した位置に彼らを留まらせようとするものだ。

肩を望みの場所に廻して、なおも顔が地面を向いているなどというのは人間には不可能なことだ。そういうことをしようとすると、バックスウィングをひどく制限してしまう。ただし、目はボールを向いているべきだが」

(June 27, 2018)

神の手ショット

 

これはマラドーナの「神の手ゴール」のようなインチキではなく、正々堂々たるファイン・ショットのお話。

その日、私のショットは安定しておらず、ほとんど冴えませんでした。No.18(342ヤード)パー4のティー・グラウンドに移動しながら、キャプテンのRichard(リチャード)が私に「ここでバーディを射止めようぜ」と云いました。われわれは2オーヴァーで、少しでもスコアを減らしたかったのです。

私はかなりいいティー・ショットを放ち、しかも固い地面と傾斜に助けられて残り100ヤード地点へ。急な上りだしバンカー越えなので、つい長めに打ちたくなるのですが、グリーンは砲台だし乾燥しているとボールは止まってくれません。特に日照り続きの昨今、私は総距離マイナス5ヤードが適切であると判断し、100ヤードを95ヤードとして打つことに…。最近の私の場合、95ヤードは平地なら9番アイアンを2.54センチ短く持ち、コック無しで打つ距離です。

自分の計算を信じた私は、力むことなく(力むとオーヴァーする)ゆったりしたテンポでかっちりとスウィング。空気を打ったような無反応のクラブヘッド。私は「ショートか?」と一瞬恐れましたが、それは完璧にスウィートスポットで打った証しなのでした。ボールはいい軌道で舞い上がり、真っ直ぐピン方向へ。

行ってみると、ピンはかなり奥に切ってあり、私のボールはその1.5メートル手前に着地していました。あの空気を打ったようなショットは完璧なものでした。私には、自分があのショットを遂行したのではなく、天上のゴルフの神様が打ってくれたショットに思えました。

他のチームメイトはボギーに終わり、期待は私のバーディに。ブレイクを読み切った私は、"There's no easy putt eccept gimmie."(ギミー以外に簡単なパットというものは存在しない)と心の中で呟き、いいストロークをすることだけ考えてパット。それはど真ん中から沈み、「予定通りのバーディ」でチームメイトたちを驚喜させました。

「一打差で勝利した」と書ければ格好いいのですが、そうは問屋が卸さず、われわれは数打差で負けてしまいました。しかし、私にはあの神の手ショットの感触が残り、今でもうっとりしています。その次のラウンド開始前、私はNo.18の100ヤード地点から神の手ショットを再現しようと試みましたが、二個はグリーン手前のバンカー、一個がかろうじて顎に引っ掛かっただけでした。やはり、神様の手を借りないと駄目なようでした。

 

最近、私は90〜120ヤード地点から数個のボールを打って、確実にグリーンに乗るクラブを探し求めました。何と、以下のような予想外の結果に…。
90ヤード   8番アイアンのフル・ショット
100ヤード 7番アイアンのフル・ショット
110ヤード 6番アイアンを2.54センチ短く持ってフル・ショット
120ヤード 5番アイアンで(バンカーを避けて)グリーン右横に寄せる【このクラブでバンカー越えは危険過ぎる】

いくら急な上りとはいえ、ヤーデージから考えると信じられないようなクラブ選択となりました。しかし、私は悟ったのです。クラブの飛距離の限界で距離ぴったりに(目一杯の力で)打とうとすると、必ず距離も方向も乱れる。上のように長めのクラブで穏やかなスウィングをすると、あの神の手ショットが再現出来、ボールはふわーっと浮揚し、グリーンに正確にオンするのです。「100ヤードを7番で打つなんて…」と考えてはいけないのです。スコアカードに何番で打ったかを書く欄はありません。乗せることが優先事項なので、何番のクラブであるかはどうでもいいことなのです。

(June 27, 2018)

久し振りの7オーヴァー

 

定期更新終了を間近にして、ゴルフの神様が「おつかれさん」と云ってくれたのか、久方ぶりに7オーヴァーで廻れました。

No.5まで連続パーで、「ハーフ・パー達成か?」と思われたのですが、そうは問屋が卸さず、その後三つのボギー。

パットは前半素晴らしかったのですが、後半は鳴りを潜め、総数30パット。11パーのうち六個は寄せワンなので、ショートゲームで凌いだゴルフと云えるでしょう。

(June 27, 2018)



[Anim

 Copyright © 1998−2018   Eiji Takano    高野英二
[Mail]
 Address: Eiji Takano, 421 Willow Ridge Drive #26, Meridian, MS 39301, U.S.A.