【詳細3】

[Liuzzo_book]
[Liuzzo]

「大行進」には全米から多数のヴォランティアが駆けつけました。ミシガン州デトロイトからマイカーでやって来た39歳の白人女性Viola Liuzzo(ヴァイオラ・リウッツォ)もその一人でした。彼女は四人の子の母であり、主婦でした。彼女は行進の間は車による必要品運搬係として働き、終了後はMontgomeryから行進参加者をぎゅう詰めにして、出発点であるSelmaの教会に送り届ける役でした。一回目の参加者輸送を終えたとき時刻は午後8時過ぎでしたが、もう一往復すべく一人の黒人青年を同乗させてMontgomeryに向かう途中、運悪く信号待ちで並んだ車に乗っていたK.K.K.四人に見咎められました。彼らは同じアラバマ州のBirmingham(バーミングハム)近郊からやって来た連中でした。K.K.K.はViola Liuzzoの車を追尾しながらピストルを抜き出し、並走してこちらを向いたViola Liuzzoめがけて二発の弾丸を発射しました。頭部を撃たれたViola Liuzzoは即死し、車は牧草地に乗り上げて停止しました。K.K.K.が確認のために歩み寄って来た時、黒人青年は恐怖で失神し、死んだと思われて助かりました。

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K.K.K.は黒人を蔑視し、そういう黒人を助ける白人を"nigger lover"(黒んぼ贔屓)として殊更憎みます。しかし、一介の主婦を殺害しようという点に彼らのいじましさ、浅薄さが露呈しています。

Selmaの町外れのMile Marker(マイル・マーカー)は'Mile 87'です。Montgomery方向へ24マイル(約30分)走った南側の'Mile 111'の標識のところが悲劇の場所です。歴史的場所であることを示す標識は全くないので、Mile Markerだけが目印です。慰霊碑は道路沿いの小高い丘の上に立っています。1991年当時は慰霊碑だけでしたが、人種差別主義者の度重なる冒涜的行為により、1999年に鉄格子の柵が付け加えられました。

この辺は丘陵が続く牧草地帯なので目撃者も無かったでしょう。しかし、実際には四人のK.K.K.が24時間以内に逮捕されました。実は、K.K.K.のうち一人はFBIへの内報者だったのです。彼は何度も殺人を止めさせようとしましたが、他の三人は聞かなかったそうです。「公民権侵害容疑」による連邦地方裁では有罪となり、三人に懲役10年の刑が下りました。しかし、「殺人容疑」によるアラバマ州裁では三人は無罪になりました。「殺人でも相手が黒人なら無罪」という当時の“深南部の伝統”は、ここでも強固だったわけです。

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