[Steinbeck]

【John Steinbeckの観察】

'Of Mice and Men'『二十日鼠と人間』(1937)、'The Grapes of Wrath'『怒りの葡萄』(1939)などで有名なノーベル文学賞受賞作家John Steinbeck(ジョン・スタインベック)は、ニューヨークに住んでいました。彼は58歳の時、「ニューヨークはアメリカではない。本当のアメリカを探そう!」と思い立ち、プードルのCharley(チャーリィ)を伴いアメリカ一周の旅に出ます。1960年9月にニューヨークを発ち、北上。そこからカリフォーニアへ行き、西海岸を南下してテキサスへ。テキサスにいる間じゅう、新聞やTVはニュー・オーリンズの黒人少女たちの入学問題一色でした。特に、“母親たち”と呼ばれる悪態をつくチアリーダー軍団は有名でした。彼は「これは見なくてはなるまい」と思いました。車と愛犬は遠くの駐車場に残し、タクシーでWilliam Frantz小学校へ。


[School]

「ショーは定刻に始まった。サイレンの音。オートバイに跨った警官たち。と、二台の大きな黒い車が現われて学校の前に停止した。それは黄土色のフェルト帽をかぶった大柄の男たちで一杯だった。群衆は息を止めたように思えた。四人の大柄なU.S.マーシャルが二台の車から降り立ち、車のどこからか今まで見た中で最もちいちゃい黒人の女の子を引っ張り出した。その子は糊の利いたピカピカに白い洋服を着ていて、その真新しい白い靴は、足が小さいので殆ど丸い靴に見えた。彼女の顔と短い脚は、身につけた白いものと対照的にとても黒く見えた。

大男のマーシャルたちは彼女を縁石の上に立たせた。騒々しく罵る金切り声がバリケードの後ろから湧き起った。少女はわめく群衆には目もくれなかったが、横から見るとその目には恐れおののく仔鹿のような気配が伺われた。男たちは人形のように彼女をクルリと廻し、奇妙な行列は学校へと大股で歩き出した。その子は大柄の男たちにくらべ、ますますちいちゃく見えた。と、少女は片足で場違いなスキップをし、私はそれがどういうことか理解出来るように思った。彼女の人生でスキップしないで十歩も進むことはないのだろうが、今の最初のスキップで、重圧に抑えつけられながらも、彼女の小さな丸い足は背の高い護衛との余儀ない行進に歩調を揃えたのだ。彼らはゆっくり学校への階段を上り、消えて行った。

群衆は勇敢な白人が自分の子供を連れて来るのを待っていた。そして彼はやって来た、護衛に守られ、明るい灰色のスーツを着込み、恐れおののく子供の手を引いて。彼の身体は、泉から流れ出すのを嫌がる逞しい木の葉のように緊張していた。彼の顔は蒼白で、自分のすぐ目の前だけを見ていた。彼の頬の筋肉は噛み締められた顎のせいで盛り上がっていた。恐れる男は、パニックに陥った馬をリードする偉大な騎手のように、意思の力で恐怖を押しとどめていた。

金切り声が響き渡った、罵声は合唱ではなかった。人々が順に叫び、その都度群衆は喚き、吠え、賛同の口笛を吹いた。これこそ、群衆が目にし、聞きたがっていたものなのだ。

どの新聞もこの女たちの叫びを印刷していなかった。罵声は彼女らが野卑で、何人かは実に下品であることを示していた。テレビでは音をぼやかすか、群衆のざわめきで覆っていたのだ。だが、私は確かに聞いた。その凶暴で、汚らしく、人類以前のような言葉を」

from 'Travels with Charley--in Search of America' (The Viking Press, 1962) 高野英二訳。

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