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キング牧師に最も近かった牧師Ralph Abernathy(ラルフ・アバーナシィ)がSCLC(南部キリスト教指導者会議)のリーダーとなりましたが、SCLCのメンバーはキング牧師の死を嘆き悲しんでいる暇はありませんでした。「リーダーを殺せば運動を止めることが出来る」という暗殺者たちの意図を挫き、キング牧師の遺志を継ぐためにも'Poor People's Campaign'(貧民大キャンペーン)を成功させる必要がありました。SCLCは非暴力の運動を全うすべく、全米に散って参加者のトレーニングを開始しました。

キング牧師の死後丁度一ヶ月後、Ralph Abernathyは最初のグループをキング牧師が倒れた地Memphis(メンフィス)からWashington D. C.(ワシントンDC)に向けて出発させました。「貧民大キャンペーン」参加者たちはバスや、自動車、徒歩、ロバに引かれた荷車でリンカーン記念堂前に集合しました。そこは五年前、250,000人を前にキング牧師が有名な「私には夢がある」というスピーチをしたところでした。

参加者たちは、木製の大きな犬小屋のような掘ったて小屋で寝起きし、政府が貧民対策を講じてくれるまで動かない気概で臨みました。その広場は'Resurrection City'(復活の町)と呼ばれ、多い時で2,500人(多くが黒人、200人のアメリカン・インディアン、数十人のヒスパニック、100人ほどの貧しい白人たち)が住んでいました。

「貧民大キャンペーン」が二週目を迎えた6月5日、大統領選挙の民主党カリフォーニア地区予選に勝ったばかりのRobert Kennedy(ロバート・ケネディ)が暗殺されました。Robert Kennedyはキング牧師の葬儀に駆けつけたぐらいでしたから、SCLCが信じ期待していた人物でした。その人物を失った落胆は大きく、「貧民大キャンペーン」の政府各機関へのアピールも反応は得られず、さらに引き続く雨によって'Resurrection City'(復活の町)は“泥沼の町”と化し、堪らずに引き上げて行く人たちが増えて行きました。

6月24日、警察官たちは「貧民大キャンペーン」参加者の立ち退きを命じ、最後には催涙ガスを発射して座り込む人々を引き摺り出しました。キング牧師の遺志は挫折したのです。

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