【詳細 5】

・セントラル・ハイを卒業したErnest Green(アーネスト・グリーン)は、ミシガン州大で修士号を得た後、カーター大統領時代の政府機関で働き、現在は民間の投資銀行の副社長を勤めています。NAACPの理事も勤め、三つの大学の理事ともなっています。

・キャフェテリアで白人男子生徒たちと昼食のぶっかけっこをしたMinnijean Brown(ミニジーン・ブラウン)は、イリノイ州のカレッジで学んだ後、アメリカのヴィエトナム戦争に耐えられず夫と共にカナダに赴き、そこで社会福祉事業を専攻して修士号を得、原住民のための平等な社会を目指す闘いを展開。1999年にアメリカに戻り、政府機関の一つで働き、引き続き公民権運動の積極的な活動家として活躍中。

・女優志望だったMelba Pattillo(メルバ・パティロ)はコロンビア大学でジャーナリズムを専攻後、サンフランシスコに住み、ライター、リポーターとなってローカルTVやNBC系列のTV局で活躍。一流雑誌への寄稿、出版、台本執筆なども行いました。

・大きな瘤のまま登校したJefferson Thomas(ジェファスン・トーマス)は、セントラル・ハイの閉鎖が解けた1958年秋、三年生として戻って来て、翌春卒業しました。その後、オハイオ州で軍関係の経理部門のスペシャリストとして活躍し、現在はカリフォーニア州に住んでいます。

・お母さんが若白髪になってしまったCarlotta Walls(カーロッタ・ウォールズ)は、セントラル・ハイの閉鎖が解けた1958年秋、三年生として戻って来て、翌春卒業しました。ミシガン州大を卒業後、コロラド州で土地ブローカーとして活躍中。

・一人で群衆に囲まれたElizabeth Eckford(エリザベス・エックフォード)は、セントラル・ハイ閉鎖後、陸軍のジャーナリストとして勤務し、9人の中でただ一人アーカンソーに戻って暮らしています。長期間、裁判所のパート・タイムの保護観察官として働いていましたが、現在は健康上の理由で引退。

・心臓の弱かったThelma Mothershed(セルマ・マザーシェッド)はカレッジ卒業後、教育者として活躍し、引退した現在はイリノイ州で「虐待された女性のためのプログラム」にヴォランティアとして参加しています。

・勉強熱心だったTerrence Roberts(テレンス・ロバーツ)は、セントラル・ハイ閉鎖に伴い、家族でロサンジェルスに引っ越し、そこで高校を卒業しました。南イリノイ大学で心理学博士号を得、さらにUCLAの社会福祉関係の修士号も得て、FBI、国税局、大学などの経営コンサルタントとして活躍しました。

・心臓の悪いお父さんを心配させた少女Gloria Ray(グロリア・レイ)はイリノイ技術短大を卒業後、スウェーデンで修士号を得、コンピュータ・サイエンスのライターとして39ヶ国で販売された雑誌の発行人となりました。現在は引退し、アムステルダムとストックホルム(夫君の郷里)を行ったり来たりしています。

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