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[Eisenhower]

アイゼンハワー大統領は別にリンカーンのような思想に基づいてこのアーカンソー州の一高校に関心を抱いた訳ではないのです。彼はどちらかと云えば、黒人問題に冷淡でした。Brown vs. Board of Education(ブラウン対教育委員会)の最高裁判決の後、友人に「最高裁判所長官にEarl Warren(アール・ウォーレン)を任命したのは失敗だった」と語ったほどです。

しかし、アイゼンハワーは大統領として最高裁決定を全ての州に適用せざるを得ない立場でした。黒人問題であろうがなかろうが、最高裁判断は国是であり、国家の最高意思に背くことは許せないという、いかにも軍人出身らしい厳格な発想だったわけです。それがアイゼンハワーが空挺部隊出動を命じた動機です。9人の生徒の代弁者だったNAACP Little Rock代表Daisy Bates(デイジィ・ベイツ)宅に爆弾が投げ込まれ、彼女が政府(FBI)の保護を求めた時、アイゼンハワーは冷酷に無視しました。つまり、空挺部隊派遣は大統領としての面子をかけたものであり、黒人やその子弟の教育問題など二の次だったのです。

その空挺部隊を率いた将軍Edwin Walker(エドウィン・ウォーカー)は、セントラル・ハイで十分職責を果たしましたが、その五年後「ミシシッピ大学初の黒人学生ジェイムズ・メレディスの転入にともなう暴動(1962)」においては退役軍人ながら“将軍”としてラジオでアジ演説を行い、多数の暴徒をミシシッピ大学に呼び寄せました。彼は「Little Rockでは不本意な側(黒人寄り)で行動しなければならなかった。今度は違う」と明言しました。つまり、彼も人種差別主義者だったのです。

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