【詳細2】

正確には次のような流れでした。Rosa Parks側は$14.00の罰金判決に対してアラバマ州裁判所に控訴しました。しかし、白人たちは嘲笑うがごとく控訴審の時期を示しませんでした。MIA(モンガメリ改善協会)は法律顧問の示唆により州裁に見切りをつけ、1956年2月16日、連邦地方裁に「バスの人種差別は違憲である」と提訴しました。三人の判事による一日のヒアリング、三週間の判事たちの審議を経て、1956年6月4日、連邦地方裁は「差別的アラバマ州法とそれに関連するバス会社の差別的法律は違憲である」との判決を(2:1で)下しました。

1956年11月13日、連邦最高裁は連邦地方裁の判断を支持し、最高裁での審議を拒否しました。この日が343日目となるバス・ボイコットの事実上の勝利の日でしたが、MIAは連邦布告が公にされる日までなお38日間ボイコットを継続し、並々ならぬ献身と決意のほどを誇示しました。1956年12月20日、Montgomeryに布告が届き、翌12月21日、約13ヶ月におよぶ空白の後、黒人たちはバスに戻ったのでした。

【参考文献】
'The Birth of the Montgomery Bus Boycott'
by Roberta Hughes Wright (Charro Press, Inc., 1991)

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