【詳細1】

バス・ボイコットの生みの親とも云える人物はE. D. Nixon(E. D. ニクソン)といい、職業は鉄道の豪華車両専属ポーターで、元NAACPのMontgomery支部代表でもありました。彼は教育こそ満足ではありませんでしたが、その毅然とした人格と黒人のトラブル解決への努力で人々の尊敬をかちえていました。Rosa Parksと同じバスに乗り合わせた人の通報により、E. D. Nixonは即刻弁護士(白人)と連絡を取り、Rosa Parksの保釈請求のため警察に駆けつけます。無事、彼女を受け出した後、警官に「裁判の日取りだが、土曜と月曜、どっちがいいか?」と聞かれ、彼は「月曜日」と答えます。たまたま彼が週末勤務だったため月曜を選んだのですが、このRosa Parks逮捕の日が木曜でしたから、裁判まで三日。この三日間によって市の黒人有識者、聖職者によってバス・ボイコットが決意され、ビラなどによって周知され、日曜の礼拝時に司祭たちが「バスには乗らないように」と示唆する時間が生まれたのです。土曜を選んでいたら、バス・ボイコット運動はあり得なかったでしょう。

実はバスの座席を譲らず逮捕されたのはRosa Parksが初めてではありませんでした。E. D. Nixonが知るだけで四人の女性が逮捕され、中には殴る、蹴るの暴行を受けた人までいました。当時NAACPの代表だったE. D. Nixonは、その都度女性たちに会い、バス・ボイコットの可能性を探りました。しかし、どの女性も権力に立ち向かう気迫がなかったり、黒人社会から尊敬される人格が欠如していたり…で、ずっと見送っていたのです。しかし、「Rosa Parksなら満点だ」とE. D. Nixonは考え、彼女に運動への協力を要請します。Rosa Parksは即答を避け、その夜夫と自分の母親とに相談し、E. D. Nixonに協力を約束したのは翌日でした。

12月2日金曜日、Rosa Parksの返事を受け、E. D. Nixonは先ずバプティスト系の司祭Ralph Abernathy(ラルフ・アバーナシィ)に連絡し、Martin Luther King, Jr.にも連絡を取りました。Ralph Abernathyは市のバプティスト系の司祭全部、さらにメソディスト系、シオン系にまで連絡を取り、その日の夜会合を持つことになりました。

黒人有力者たちとは無関係に女性たちがすでに行動を起こしていました。WPC(Women's Political Council=婦人政治評議会)のメンバーたちです。WPCも以前からバスの差別に憤激していて市長に詰め寄ったりしていたのですが、いい成果は得られず、いつかバス・ボイコットをしようと時期を待っていたのでした。カレッジの教授でもあったWPCのJo Ann Gibson Robinson(ジョアン・ギブスン・ロビンスン)は、直ちにビラの原稿を書き、深夜から夜明けにかけ何人かの手助けを得てガリ版で17,000枚のビラを作成します。「バスの乗客の3/4は黒人なのに、我々は不当に扱われている。これは断固ストップさせるべきである。月曜日のこの女性の裁判の日に、逮捕に抗議するためバスには乗らないように」という趣旨でした。

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聖職者を中心とする会合は、バス・ボイコット実行は当然という前提で進行しました。後に、ある人物は「Rosa Parksの逮捕は黒人全員が逮捕されたような衝撃だった」と語ったほどですし、誰しもがバスの理不尽な扱いに憤っていたからです。この日は月曜のボイコットをどう進めるかを話し合い、月曜夜7:00にHolt Street Baptist Church(ホルト・ストリート・バプティスト教会)で一般を含む大集会を開くことを決議しました。Jo Ann Gibson Robinsonと彼女のチームは、この大集会を周知するビラも作成して配布しました。

黒人経営のタクシー業界に顔の利く司祭は、月曜日の早朝と夜間(いずれも通勤時間帯)に黒人一人につき10セント(バス料金と同額)で相乗り出来るという了解を取り付けました。

土曜日、白人社会は一つの間違いをしでかしました。ある地方紙がバス・ボイコットを特ダネとして報じ、ビラの内容まで掲載したのです。これはまだ隅々まで浸透していなかったボイコット情報を、黒人社会に完璧に伝達してくれる結果となりました。E. D. Nixonは「広告費が出せない我々を、白人衆がタダで助けてくれた」とニンマリしたそうです。

いよいよ月曜日、Martin Luther King, Jr.は「60%の黒人がバスをボイコットすれば成功」と踏んでいたのですが、家の前を通過するバスはどれも空っぽ。「私は喜びの声を上げずにはいられなかった。ほぼ100%に近かったのだ」白人社会は第二の間違いを冒しました。市の警察長官は「法と秩序を保つため」と称し、全ての警官と退職した警官をも動員し、バス路線をパトロールさせたのです。バス停でバスを待っていた黒人たちは、バスの後ろにぴったりついているパトカーを見て恐れをなしました。「バスに乗るな」という権威筋の恫喝に思えたからです。彼らは仕方なく歩くことにしました。こうした白人たちの予期せぬ“協力”もあり、ボイコットは大成功でした。

月曜午前9時、Rosa Parksが裁判所ビルに出頭すると、500人ほどの黒人婦人たちが群がっていて、口々に彼女を励ましました。嫌疑は市条例違反でしたが、検察側は急に州条例違反に切り替えました。差別的裁判長により判決は「Rosa Parksは$10.00の罰金と$4.00の法廷費用の支払え」というものでしたが、弁護側は直ちに控訴手続きを取り、$100.00の保釈金を払ってRosa Parksを解放しました。表ではRosa Parksの身を案じた群衆が悲痛な叫びを上げて乱入寸前でしたが、ショットガンを手にした警官たちが遮っていました。E. D. Nixonの説明・説得により、群衆は鎮静し、三々五々引き上げて行きました。

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月曜午後3時、聖職者たち多数とE. D. Nixon、人望のあった実業家Rufus Lewis(ルーファス・ルイス)などがMount Zion Church(マウント・シオン教会)に集合。ここでバス会社への要望(乗車方法と座席の平等化、黒人運転手の雇用など)を採択し、それが叶えられるまでボイコットは継続することが決められました。この運動を率いる組織が必要ということになり、MIA(Montgomery Improvement Association=モンガメリ改善協会)を設立することになり、その代表者としてMartin Luther King, Jr.が指名されました。実はこの会合の参加者のほとんどは、引っ越して来て間のないMartin Luther King, Jr.を知らなかったのですが、実業家Rufus Lewisの推薦があったことと、もしこの運動が失敗した場合、Martin Luther King, Jr.なら故郷のアトランタの父の教会に戻れるが、地元の聖職者たちにはそういう選択肢がないということもありました。要するにスケープ・ゴートとしての意味合いもあって選ばれたのでした。

Martin Luther King, Jr.は長女が生まれたばかりで、家庭を大事にしようとしていました。以前にE. D. Nixonから「NAACPの代表になってくれないか?」と打診された時も断っていました。しかし、この運動は断れませんでした。急遽帰宅し、妻Coretta(コレッタ)に事情を説明し、反対もされなかったのでホッとしたそうです。書斎に閉じこもりこの夜のスピーチの準備をしましたが、普段の説教でさえ15時間かけるのに、この重要なスピーチのためにはたった数分しか時間がありませんでした。

月曜夜7:00、大集会の場所Holt Street Baptist Churchは早くから押し寄せた人々で超満員。教会の表から道路まで人の波で、交通はストップする騒ぎでした。10,000人は集まったであろうとされています。この教会はラウドスピーカーの設備があったので、表の群衆も集会の音声は聞くことが出来ました。

賛美歌、祈りに続き、E. D. Nixonが立ち、「この運動が終わるまでには死人が出るかも知れない。それは私かも知れない、あなたかも知れない。私が死ぬのなら犬死にだけはしたくない」と、この運動の重大さを聴衆に認識させました。次に、Martin Luther King, Jr.がメインのスピーチに立ちました。「我々は信心深いクリスチャンとして行動する。K.K.K.のようにバス停で十字架を燃やしたり、頭巾をかぶった黒人が非協力的な白人を家から引きずり出したりしない。私たちは合法的に抗議する。私たちは間違っていない。私たちが間違っているなら、最高裁が間違っている。私たちが間違っているなら、憲法が間違っている。私たちが間違っているなら、全能の神が間違っている」と説き、感動した聴衆の叫び、拍手、足踏みで教会の建物が揺らぐほどでした。

一般大衆ばかりでなく、Martin Luther King, Jr.の人物を知らなかった聖職者たちもこのスピーチに感銘を受け、彼らの選択が間違っていなかったことに安堵しました。こうして、黒人社会の指導者たちの判断力、サポーターたちの行動力、一般大衆の実行力が三位一体となってボイコット運動の原動力となります。この日は一年余にわたる長い長い闘いの第一日目でした。

【参考文献】
'The Birth of the Montgomery Bus Boycott'
by Roberta Hughes Wright (Charro Press, Inc., 1991)

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